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東北から届いた手紙

 珍しくポストにハガキが入っていた。送り主は東北の女性で、震災直後一緒に物資を運んだ方からだった。彼女との当時の思い出は膨大だ。なので拙著『震災ジャンキー』にもご登場いただいている。

 9月11日の河北新報に掲載された『婦人公論』さんの広告で、茂木さんの名前から私の名前が目に入り、気づいて雑誌を買ってくださったというのだ。
 出会いは震災だし、昨年本を届ける際にお会いしたのが5年ぶり。そんな疎遠な男の名前に反応してくださったことに驚いた。さすが100年を超える歴史を誇る超高級誌だし、脳科学者の茂木さんの知名度もあらためてすごいと感じた。
 (茂木さんとの対談についてはこちら)

「小林さんもお顔がまんまるとなって、貫禄ついたような感じですねぇ」

 我ながら丸いと思う。アンパンマンとあだ名されるグループに属せるレベルだ。震災から半年後に会った時も、「あれ、なんかちょっと太ったんでないかい」と言われ、昨年も「だいぶ太ったねー」と笑われた。私は彼女に会うたびに太っていっている。
 今年の冬にラダックを訪れ、雪と氷の中を200キロ以上も歩いた。帰国後は反動から率先してエスカレーターに乗るようなダレた生活を送り、酒もガンガン呑んでいた。すると2ヶ月ほどで一気に5キロくらい太ったのだ。このペースだと来年には100キロになってしまうとビビったが、その後適性体重かのようにキープしている。それがアラフォーというものなのだろう。

「人との繋がりって、何か? 嬉しいです」

 手紙までくださり、こちらこそ本当に嬉しかったが、同時にわずかばかりの後ろめたさも感じてしまった。
 真冬のヒマラヤを200キロも歩く元気があり、ブクブクと太っているくせに、この1年ほどは以前のようなペースで東北を訪れていない。誰も言っていないが「本を出したら、もう知らんぷりか」という声が聞こえる。自意識過剰の性だ。
 理由は母親の介護なので、ボランティアどころか仕事もままならない。そんな話を周りにすると「え、大変だね」に続いて「仕事とか大丈夫?」と心配される。せっかく声かけていただいても泣く泣く断ることもあり大丈夫なわけはないが、どうしようもない。親の介護は多くの人に訪れることだと思うのだが、みんなどうやって乗り切っているのだろうか。長期取材でなく、打ち合わせの少ない仕事があれば、ぜひください。
 体は元気なのにたいして仕事をしていないと書きたい欲求が溢れてくる。私も物書きの端くれなのだと思った。ちょっとしたスキマ時間はあるので、突如noteでいろんなことを書き始めて、欲求を満たしている。これもそうだ。

 彼女も手紙で触れていたが、このところの自然災害はすごい。阪神淡路、新潟中越、3.11、熊本と平成は自然災害に襲われてばかりだ。とりわけ平成最後の今年は豪雨に洪水、大地震、猛暑まで災害級ときた。そのたびに「何かしなければ」という思いに駆られたりもするのだが、現実なかなか動くことはできないでいる。茂木さんとの対談で最後に私が、

「誰もが気負わず自然に、自分なりの方法で」

 とかなんとか言っているが、それは誰でもない、自分に対して言っているのだと記事を読みながらあらためて思った。

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