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その普通ってだれの普通なの?

「親なら普通学校に行かせますよね?」
「普通高校は行きたいと思うんじゃないですかね?」


ある学校での会議で出た言葉。
いや〜な空気になりました。
うん?
そのフツーてなんだろう?
言いたいことはわかるが、なんかみなさんモヤッとしている様子。


フツーという言葉って10人いたら10通りの意味や感覚があるなと思います。
定義が難しく、人それぞれで尺度が違う。
先生にはそれが普通でも、保護者にとっては普通ではないときも。
高校を出て、大学を出て、そのまま教師になって、親も高校を出ていて、
子どもも高校出ている人にとってはそれが「普通」ということなのでしょう。

「普通」の意味は?

辞書で調べてみました。
普通:一般的、通常、大多数、ごくありふれたこと
対義語は「特別」「特殊」
最近は「普通に美味しい」など「ほどほどに」という意味でも使われるらしい。

ずっと違和感がある「普通学級」と「特別支援学級」。
特別支援学級と言われると、自分は普通ではないんだと感じる子どもや保護者もいるので、名前変えてほしいなと常々思っています。
「大人数学級」と「少人数学級」とか。
他に「ホーム学級」とか「オンライン学級」とか「ハイブリッド学級」とか色んな学級、学習の仕方があると、選択肢が増えて子どもも安心して生きていけるんじゃないかな。
「学校にきてしか学べないこともある!」とか「学習指導要領があるから」とか
野暮なことは言わないでよね、先生☆

「普通」という言葉で傷つく親と子ども

「普通」という言葉は使い方によって、強制力のある言葉になるなと思います。
ときに人を傷つけることもあるので、注意して使っています。
というか、ほとんど使いません。

「普通は毎日お風呂はいるよ。」
「…すいません。(ときどきじゃだめなんだ…。)」
「ちゃんと入ろうね。女の子に嫌われるよ。」
「(※心の声 お風呂入らないのって悪いことなの?親も時々しか入ってないし)
…はい、わかりました。」
毎日お風呂に入るコミュニティに属している人と、
ときどきお風呂に入るコミュニティに属している人との会話です。

 そう言われた子どもが自宅に帰って障がいがある母親に、
「普通は毎日お風呂入るらしいよ。おかあさん、毎日お風呂入らないと。」
と子どもに言われたら、母親はどんな気持ちになるでしょうか。

「相互理解」できる社会をつくるには

相談を受けたときには、子どもの置かれている環境や生育歴、その保護者の生育歴もできるだけ確認することにしています。
他人を完璧に理解することはできませんが、想像することはできます。
いきなり、「こうしたほうがよいのではないか」と自分なりの考えを伝える前に、
「こういう環境で育ったので、こういう考えなのではないか、こういう気持ちではないか」とお互いの違いを理解していく作業が大事なので、先生にも一緒に面談に入ってもらってます。

福岡で過ごしていたときは普通と思っていたことも、沖縄では普通ではなかった。
ということを大学のときに学びました。
#ウチナータイム #最初はブチギレていた

今の日本社会は普通がよいという雰囲気がつよいな〜と感じます。
学校教育がそうなっているからかな。
学校教育が悪いと言っているのではありません。いいところもたくさんあります。
ただ、子育てしながら教育にも関わるようになり、子どもたちが育っていく社会を多様な生き方、多様な考え方をみんなが認められるようにしていきたいと思うようになりました。

じゃあ、自分たちができることってなんだろう?
親として、ソーシャルワーカーとして、人として、なにができるだろう。
今できることは、自分がそれを認めていくこと、思ったことを話すること、色んな人がいていいよねと伝えていくことかなと思っています。
そして、ソーシャルワーカーとしてできることを模索すること。
それがフリーランスを目指していることにもつながっている。
まだまだ、これからだ。
あたらしい世界に足を踏み入れるのは不安もあるけど、ワクワクする。

おしまい。

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