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「地方に移住したら農業をやりたい」と思ったことについて

 ぼくが、いわゆる「地方」へと移住したら「やりたいこと」のリストには、「農業」がありました。「業(なりわい)」にするつもりはないので、「農業」ではなく「農作業」といった方が正確なのでしょう。地域おこし協力隊としての3年間の任期が来月・3月の末で終わるのですが、「協力隊が終わったら農作業をやりたいです」と近所の方にお話ししていたところ、たいへんありがたいことに、使っていなかった農地を貸していただけることになりました。
 でも、ぼくはどうして、地方に移住したら「農作業(あるいは、農業)」をやりたかったのか? 「地方では農業をやらないと」と漠然と思っていたのですが、どうしてだったのか? うまく言語化できず、ずっと考えていました。
 農地を貸していただけることが決まった直後、尾道の映画館「シネマ尾道」で、日本の農業についてのドキュメンタリー映画「百姓の百の声」が上映されると知り、今日、さっそく観に行きました。「シネマ尾道」での上映が始まったばかりの週末ということもあり、上映後には、柴田昌平監督や広島県内の農家さんたちが登壇するトークイベントもありました。お得!

 映画を観終わって、ぼくなりに日本の農業を、いまの限られた知識で、ざっくりと整理してみます。
 流通の限られていた時代、「地域社会」には食糧を供給する農家(生産者)が必ずいて、食糧を供給するだけでなく、自然環境などを含めた「地域社会」を維持する役割を担っていた。あたかも「地域の守護者/公共性の体現者」であり、「自分さえよければ」という考え方をしていなかった。というのは、現在からのユートピア化された理解だけれど。
 だが、明治維新後、そして戦後、農業が近代化され商品化・経済化されて物流のラインに乗ることにより、「地域社会」との関係は薄くなり、「農業における公共性(特に「地域社会」の文脈における)」は失われていった。それに大きく貢献したのが、農協か。必要だった役割を果たしたまでであり、悪く言われるのもおかしいとは思う。人口的な地域社会の維持が難しくなり、自然環境の持続可能性を求める要求もこれまでになく高まったことから、「地域社会における公共性の守護者」としての農家が必要とされている、という理解では、どうでしょう?

 映画の中で紹介されていて初めて知ったのが、2018年に国連総会で決議された「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」。ここで「小農」と訳されているのが「peasant」であり、映画タイトルの「百姓」とは、言葉に含められた意味がオーバーラップする。この「peasant」は、特にグローバル化した近代経済にとってはマネー化されない、排除すべき存在だったのか。ちなみに日本は、この宣言の採択を棄権したそうです。

 いま、ぼくの住む弓削では、仕事を引退した高齢者たちの多くが、市場に出すわけではないが農地を耕し、使うあても無さそうなのに空き家を管理しています。まさに「地域社会」の「守護者」の役割を果たしているのです。そんな生き方に憧れて、といいますか、「地域社会」に住むのなら、そしてできるのであれば、その役割を果たすべきだし、だから「農業をやりたい」と思った、のかもしれない。これから、真似事であっても、使ってもいいことになった農地だった土地がこれ以上荒廃しないよう、なんとか土地への働きかけを行ってみたいと思っています。

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