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82年生まれキム・ジヨン ①

書籍と映画の両方をみた。

映画は、ジヨンがライターとしてスタートし始めて終わったので、少し希望が持てた。
ジヨンは、窮屈で押しつぶされそうな生活の中で、精神的に壊れていく。これは、ジヨンに限ったことではなく、多くの女性が、少なからず、自分の意志を押しつぶして、抑圧されて生きている。それが意識的であろうと、無意識であろうと、それは、「生きる」ために必要な手段である。
文化的な慣習に合わせて生活し、どこかに矛盾や違和感があったとしても、それを受け入れて生きていかなければ「排除」されてしまう。
適用せずにはいられないにせよ、それを強いられる文化や慣習、制度をどうやって壊していけばいいのだろうか。

私が覚えている、ジェンダーを意識した初めての記憶は、小学生5年生になりたての頃、女性の担任の先生が、荷物を運ぶのを男子学生のみに頼っていたときだ。私は、手伝いたかったのだが、「男子のほうが力がある」という理由でやらせてもらえなかった。“男子のほうが力がある”は、まだ小学生高学年に対して、女子のほうが成長も早く大きいくらいの時期だったから、疑問の残る理由で納得できなかった。その女性教師は、何かに付けて男子に気を使い、何より男子と話しているときが、とても楽しそうに見えた。兄も同じ先生が担任だったときがあって、兄にとってはその先生は、とてもよい先生だったようだ。
子供ながらに、その事実に傷ついた記憶がある。
どうして、手伝いたいという私ではなく、イヤイヤやっている男子に仕事を頼んだのだろう。ずっと心に残っている出来事だ。

ジヨンの住む世界も、子供の時から男性が優遇される社会であり、昔は、“女性である”という理由でこの世に生まれてくることさえ許されなかったという。1990年韓国では、女性100人に対して男性116.5人。自然出生性比は、100対103~107。
社会に出てからも同じで、「女性が賢いと社会でも持て余す。能力が劣っていても、優れていてもだめ」では、どうしたらいいのか、とジヨンも憤る。
なぜ、女性は頑張っても認められない世の中なのか。

私は、コンサルタント営業職時代、同期の男性から、「女売って仕事取ってるんじゃないかって、幹部の人達が話してたよ」といわれた。その同期は、その場で、否定してくれなかったという。世の中の男性は、みんなこんななのか…と、心底幻滅した瞬間だったし、いくら頑張っても、そう言われる私って、一体なんのために頑張っていたのだろう、と、張っていた糸がプツリと切れた瞬間でもあった。
多くの女性が、日々のちょっとした出来事で、頑張る衝動を失い、何かを諦めているのかもしれない。
それと同時に、自分たちの中にミソジニーやジェンダー問題を内包していることに愕然とすることもある。
ジェンダー問題を学べば学ぶほど、自分の中に幼少の頃から培われてきたステレオタイプに捕らわれてしまっていることに気付かされる。
その度に遣る瀬無い気持ちになるのだが、ここで諦めたら未来は変わらないし、私の娘たちが同じ迷いに直面することになるかもしれないと思うと、諦められなくなる。
負の再生産はしてはならない。

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