アジア安全保障会議での岸田総理演説(核軍縮部分)

  • アジア安全保障会議(シャングリラ対話)で岸田総理が基調演説の中で「平和のための岸田ビジョン」を打ち上げました。https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/nsp/page4_005629.html

  • ルールに基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化、防衛力の抜本的強化、国連の機能強化、経済安全保障に加えて、「核兵器のない世界」に向けた現実的な取組の推進を打ち立てました。

  • 先般の日米首脳共同声明に続いて、このような演説で核軍縮を主要な柱と位置付けるのはかなり珍しいことで、岸田総理のイニシアティブとして高く評価したいと思います。安全保障会議で核軍縮を打ち立てるということは、核軍縮を理想論としてだけではなく、現実の安全保障に資するものと位置付ける良い機会だったと思います。しかし、その点が演説ではあまり明確でなく残念です。現実は厳しいが、頑張って理想を追い求めるというニュアンスで、その姿勢も大事ですが、核軍備管理・軍縮を安全保障のツールと位置付け、核軍備管理・軍縮を安全保障のメインストリームの一つに位置付ける良い機会を逃した感じはあります。逆にNPTや国連といった多国間(マルチ)の場では安全保障、特に自国の安全保障に結びつけ過ぎるよりは、より普遍的な言葉で発信した方が良い。だからこそ、こうした安全保障との関連をより分かりやすく話せる今回の機会を最大限活用できたらよかったと思います。

透明性

  • 他方で、演説で示された個別の政策はいずれも「核兵器のない世界」の実現にとってそれぞれ不可欠なピースであると同時に、日本の安全保障を向上させるものです。例えば、透明性の向上。「核兵器のない世界」の実現でも、その過程での核軍備管理・軍縮でも、ベースラインがなければ軍縮が進んでいるのかどうか判断できない。加えて、不透明な核戦力の増強は地域や国際社会の不安定になる。透明性の向上は、「核兵器のない世界」の実現に不可欠なピースであると同時に、日本や地域の安全保障の向上にも必要です。

  • ちなみに、今回は、ASEAN諸国がいる中で中国を名指ししないという方針にあわせて、日米首脳共同声明とは違って、中国を名指しせずに、「すべての核兵器国に対して」核戦力の情報開示を求めています。日本の安全保障の観点からは中国を念頭に置きつつ、「核兵器のない世界」の実現のためには、中国だけでなく、すべての核兵器国による透明性が必要ですので、これは当然のことです。

  • (自己宣伝ですが、中国の核兵器の透明性をどう実現できるかという問題意識から「核の透明性」という本を出しています。https://www.shinzansha.co.jp/book/b550298.html


米中軍備管理

  • 米中二国間の核軍縮・軍備管理対話を後押しする、というのも重要なポイントです。後押しするだけでなく、日本の安全保障に直結する話なので、日本が積極的に関わっていく必要はあります。「核兵器のない世界」への一歩として、また、日本の安全保障の向上、この両者を満たす形で米中が軍備管理の対話をするよう日本として構想を練る必要があります。


核実験禁止規範、核分裂性物質生産禁止規範

  • 「忘れられた感すらある」CTBT(包括的核実験禁止条約)やFMCT(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の議論を再活性化させるというのも重要です。ただ、個別政策が羅列されている感じで、なぜここでCTBTやFMCTの話を持ち出すのか、時間制約はあるものの一言でも説明があってもよかったと思います。いずれも「核兵器のない世界」の実現には不可欠なピースであると同時に、日本の近隣の北朝鮮が核実験を実施する可能性があり、また、中国も核戦力増強を進める中で核弾頭の小型化のために本音のところでは核実験をしたがっていると思われます。そうした文脈で、核実験禁止の国際規範を強化することは極めて重要です。CTBTをすぐに発効させることが一番ですが、当面見通しはないので、例えば、閣僚級のCTBTフレンズ会合などを首脳級で開催したり、条約を暫定的に発効させる、あるいは、(法的and/or政治的に)拘束されることを各国が共同あるいは一方的に首脳レベルで宣言する、国連安保理で核実験禁止決議を採択するなど、様々な方法が考えられますが、あらゆる場面で核実験禁止の国際規範を強化する必要があります。

  • 核兵器の原料となる核分裂性物質(FM)の生産を禁止するFMCTも「核兵器のない世界」の実現に不可欠なピースであると同時に、中国や北朝鮮の核戦力増強を食い止める重要な条約です。北朝鮮は特にトランプ政権との交渉がとん挫して以降、プルトニウム生産やウラン濃縮を進めています。中国は現段階では核分裂性物質の生産は行っていないと考えられますが、今後10年で大幅な核戦力増強を進めるとみられており、数十年ぶりかに生産を再開する可能性が高い状況です。ですので、FMCTは日本の安全保障にとっても極めて重要です。しかし、パキスタンや中国の反対でジュネーブ軍縮会議(CD)での交渉はいつまでも始まりません。交渉開始や生産モラトリアム宣言を求めつつ、まずは核兵器用核分裂性物質に関する国際的な登録制度といった透明性レジームを構築してはどうでしょうか。例えば、国連事務総長に、各国の核分裂性物質の歴史的な生産量や今後の生産計画、生産モラトリアムを報告・登録させるといったことが考えられます。既に2010年NPT行動計画で国連事務総長の下に核兵器国による報告を登録するリポジタリーができているので、それを活用することが手っ取り早いと思います。恐らく中国は具体的なことは報告・登録しないでしょうが、それでもいいです。FM生産は今時恥ずかしいことだという国際的な規範を作ることが大事です。中国が反対するでしょうから合意はできないでしょうが、それでもいいので、8月のNPT再検討会議で合意を目指して提案すればいいし、合意できなくても、米英仏が自発的に実施するよう日本が働きかければいい。少なくとも米英は過去に類似の情報公開を行っているので、報告・登録できるはずです。


核不使用規範、核兵器禁止条約との協力の可能性

  • ロシアの核恫喝を受けて核兵器不使用に言及があったのはいいと思いますが、「唯一の戦争被爆国の総理大臣として」「強く訴え」るだけでなく、国際規範を強化していくということに一言言及があってもよかったと思います。ロシアに核兵器を使用させないということが核の分野では国際社会の喫緊の最重要課題です。それがひいては、北東アジアでの核使用リスクを低減することにもなります。そのために、ロシアによる核恫喝を強く非難し、核使用は認められないことを国際社会の総意として示す。8月のNPTで、コンセンサス・マイナス・ロシアくらいで合意できるよう日本がリードしてもよい。今月開催の核兵器禁止条約で、核軍縮を強力に進める国々がロシアの核恫喝に対してどれくらい強く出られるか要注目です。国連や今回のシャングリラ対話でもそうでしたが、特にアジアやアフリカではロシアに忖度する国もありますが、それらの多くの国々は、普段から核軍縮を強く主張するのみならず、核兵器に汚名を着せ、核兵器を無条件に非道義的であるとして強い決意で締約国になっている訳ですので、本来はロシアの核の恫喝には憤りを感じているはずです。したがって、今回の核兵器禁止条約の締約国会議で、忖度なしにロシアを強く非難できれば、それをベースに8月のNPTで議論できます。核兵器禁止条約の存在意義が問われますし、NPTとTPNWが協力できる分野です。日本としても、核兵器禁止条約を無視・軽視したり敵対視するのではなく、日本の安全保障向上のために協力できる部分は協力してもいいと思います。

  • こうしたロシアによる核恫喝への非難を通じた核不使用規範の強化は、NPTに加えて、国連でもやればいい。ロシアのウクライナ侵略に関する国連特別総会決議では、ロシアが核戦力の警戒態勢をあげたことは「強く非難」していますが、核の恫喝については何も言及ありません。警戒態勢をあげたことを強く非難できるなら、忖度しなければ、恫喝もできるはずです。NPTでの何らかの声明といったものをベースに、9月の国連ハイレベル・ウィークで決議案を出すのも一案と思います。


中距離ミサイルへの核搭載禁止

  • 個別の政策としてはあと一つ今回の演説で言及してほしかったのは、北東アジアでの中距離ミサイル・ギャップへの手当てです。防衛・抑止の観点からはまだ国内で議論中としても、中距離ミサイルへの核弾頭搭載禁止を先行的に提案してもいいと思います。交渉レバレッジを生ませるためにも、国内議論が了して、パッケージで提示するというのも一案だとは思いますが。いずれにしても、中国による限定的核使用をちらつかせた形での台湾侵攻や尖閣占拠といったことを防ぐためにも、中国が容易に賛同しないとしても、検証付きの中距離ミサイルへの核弾頭搭載禁止条約のようなものを日本がポストINF条約におけるアジアの核軍備管理・軍縮イニシアティブとして提案できると思います。

  • 検証については、ミサイルの形状など機微な情報を流出させることなく、ミサイルに核弾頭が搭載されているか否かを検証することは技術的に可能ですし、米国が2015年頃に立ち上げた核軍縮検証のための国際パートナーシップ(IPNDV)と組み合わせることで更に重層的な軍縮提案になります。日米側も相互主義に基づいて中国の査察官を受け入れる必要がありますが、日米が中国のミサイルを査察できれば、日米にとっては、全体としては確実にデメリットよりメリットの方が大きい。検証のプロセスそのものが地域の信頼醸成につながり得ます。


「核兵器のない北東アジア」構想

  • 今回の演説、「核兵器のない世界」という大きな風呂敷だけでなく、アジアの安全保障を議論する場なので、「核兵器のない世界」とのパラレルで「核兵器のない北東アジア」というビジョンを打ち立てて、その中に北朝鮮の非核化や中国の核戦力増強といった問題を位置づけることで、核軍備管理・軍縮を北東アジアの安全保障向上のためのツールとする良い機会だったとは思います。個別の政策を羅列するだけでなく、ビジョンを打ち立て、個別の政策がビジョンとどう関係しているかを示すことで更に良い内容になったのではないでしょうか。それによって、安全保障上プラスになるのみならず、solidな核軍縮イニシアティブとして外交上もより大きなプラスになったと思います。実現できなくても、外交上のメリットは非常に大きい。

  • ちなみに、NGO等から、いわゆるスリー・プラス・スリーという「北東アジア非核兵器地帯」が提案されています。これは、日本と南北朝鮮が非核化し、米中露がそれら3か国に対して「消極的安全保証(核兵器国が非核兵器国に対して核兵器を使用しないという約束)」という「核の傘」に代わる「非核の傘」を提供するというものです。この提案では、日本の安全保障に重大な影響を与える地域の大国である中国が、「北東アジア」の非核兵器地帯であるにもかかわらず、何らその核兵器に制約が加えられず、逆に日本は、その中国の核の脅威に対しては米国の核の傘から離脱して、中国(及び米露)の非核の傘に自国の安全を委ねることとなり、北朝鮮が完全非核化したとしてもそこから得られるメリットを上回るデメリットがあります。したがって、日本にとってはノン・スターターですが、他方で、「北東アジア非核兵器地帯」構想において、北朝鮮に加えて地域の核兵器国である中国を(ついでにロシアも)検証可能な形で非核化できれば、日本にとっては大きな安全保障上のプラスになります。その時には、日本は米国の核の傘に依存する必要は限りなくゼロになり、場合によっては非核の傘に安全を委ねることも可能になります。「北東アジア非核兵器地帯」と言うと、どうしても「スリー・プラス・スリー提案」が固有名詞化されてしまっているので、日本としてはまずは北朝鮮の非核化が先決という形で否定しがちですが、そうではなく、「北東アジア非核兵器地帯」あるいは、固有名詞を避けたければ「核兵器のない世界」のパラレルで「核兵器のない北東アジア」という一般名詞として将来ビジョンを示して道義的な高みに立つ。そして、中国を完全非核化することは当面現実的でないので、その第一歩として中距離ミサイルへの核弾頭搭載禁止を提案する。中国の完全非核化はまだ無理としても、最低限の制約を課す。NGOからの提案を無視するのではなく、むしろ日本の安全保障を向上させる形で逆提案する。発想を逆転させればいいのです。「北東アジア非核兵器地帯」の議論になると、なぜか非核兵器国である日本がいつも批判され受け身になりますが、本来批判されるべきは、核開発をどんどん進める北朝鮮や中国であり、日本ではなく中国や北朝鮮が守勢に立つべきです。そうなっていないことを批判してもしょうがないので、日本自身が外交でそれをひっくり返せばいいだけのことです。そこからNGOとの対話の糸口も生まれると思います。



次世代的な被爆の実相の伝達

  • 最後に、岸田総理の演説で、「被爆の実相を世界に発信」することを謳っておられます。これは唯一の戦争被爆国として日本にしかできないことで非常に大切なことです。核兵器禁止条約の締約国会議の前日にある「核兵器の人道上の影響に関する会議」に被爆者を政府代表団に入れる形で参加するのはその一環と思われます。これは、道義的な観点からだけでなく、中国や北朝鮮による核使用を抑止するための国際規範形成にもなり得るものです。岸田総理の演説では、願わくば、被爆者のいない世界が近づく中で被爆の実相を世界にどう伝達するのか、例えば、デジタル政府と絡めて、デジタルを最大限活用するとか、次世代における被爆の実相の伝達について何か少しでも言及してほしかったところです。今後日本政府がこれを具体化することが期待されます。


安全保障のツールとしての核軍備管理・軍縮

  • なぜ私がこれほど核軍備管理・軍縮を安全保障(ここでは国家安全保障)のツールとして位置づけることにこだわるのか。安全保障は国家の安全保障だけではなく、人間の安全保障などより幅広く捉えるべきという批判はあるかと思います。安全保障は何も国家安全保障に限定されるものではありませんが、政府というものは国家の安全保障を第一に考えるので、政府の政策に影響を与えたければ国家安全保障の論理に載せる必要があります。もちろん、これが政府の政策に影響を与える唯一の方法ではないので、それぞれのやり方でやればいいのですが、私がこれまでの外務省での実務経験を生かして世の中に付加価値を与え貢献できるとすれば、このやり方かなと思っている次第です。

  • この点は、昨年秋の共同通信によるインタビューで話しています。https://nordot.app/899906525836099584?c=39546741839462401

  • あと、核軍縮はただの理想論に過ぎない、あるいは左派のやってること、「核軍縮派」といった形でいろんなレッテルを貼られことがありますが、そのような状況を何とか打破したいという気持ちもあります。核軍縮は、使い方によっては立派な安全保障ツールになるということを示して、党派性のないメインストリームの考え方にしたい。そのためには、核軍縮をやってる人は安全保障を勉強する必要がありますし、逆も同じです。両者が一体化することで、これまで以上に核軍縮をより能動的に活用していこうという雰囲気が醸成され、より噛み合った対話も可能になればと願っています。

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