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考えなきゃしか考えられなくなる前に


 先日初めて投稿したものにスキを押してくださった方がいて、こんなに嬉しいものかと思うぐらい嬉しい気持ちになりました。本当にありがとうございます!


  今回は、考えなきゃしか考えられない時に知ってほしいことの話をします。全員そうというわけではもちろん無いと思いますが、私の経験を1つの事案として、悩んでいる方の何か助けになれればと思い、書き残します。医学的知識があるわけではないので、その点はご了承ください。結論だけが知りたい方、ダークな気持ちが苦手な方は★★★のところまでそのままスクロールしてください。

 私のその経験は、今から5年以上前です。当時はアパレルの販売をしていました。本当に未熟だったのに、店長にさせられ、就任して早々に閉店が決定、その後は別の2支店を1スタッフとして、掛け持ちするローリングスタッフとして勤務。その後、東京出張します。私がその何も考えられなくなっていたのはその東京出張前の1ヶ月~1ヶ月半です。

 当時接客したお客様には、今でも本当に申し訳ない気持ちがあります。その時期が来るまでは基本楽しくお話できたのに、ふと気付い時には、お客様と話そうと思えば思うほど言葉は出ず、脳内で考えなきゃ考えなきゃとずっと念仏のように唱えることしか出来なかった。愕然としました。どうにかしたいのに、考えたい気持ちしか出て来ないのです。もがいてももがいても沈みも浮きもしないドロリとした液体の中にいるようでした。

 なぜ、何も考えられなくなったのか。まずはその時の精神的な部分からお話します。

 閉店は私が異動する前から正式決定ではありませんが、なんとなくそうなるだろうとスタッフ同士で思っていました。厳しかったのはその後のローリングスタッフとしての勤務。パパッと物事を切り替えるのが苦手な私には、それぞれの店のカラーに順応できず、売上も上がりません。行く先々の先輩に注意をされる日々でした。念のため言いますが、注意は厳しい言葉では決してないです。お客様と私の為を思っての言葉で、本当に感謝しかありません。だからこそ、好きな先輩方がこんなにも言ってくださってるのに、お客様もお店に来てくれたのに、何も改善できない自分を責めるしかできなくなりました。

 そんな中でも私の中で活路を見出だしたことがあります。1支店の館のロープレ大会に各店1人出ろと通達があり、その話が私にきました。競技の内容としてはお客様役相手への疑似接客。目的は接客技術の向上です。このロープレ、私は本当に嫌なんです。上手い人、好きな人はいますが、この競技はけっこうな人が見ている前でするので、私はガチガチに緊張してしまいにっちもさっちもいかなくなります。でもどんどん自信を無くしていた私には、新しい発見や解決する糸口が見つかるかもと思ったんですね。だからこれだけは頑張るぞ!ってこの時だけは思えたんです。後にも先にもロープレに熱意があったのは、この時期だけでした。そう思った矢先に、東京出張の話が急に出てきます。本当に東京に行くのか。出張決定なら大会には参加不可です。頼りの活路が、ぐにゃりと曲がっていく感覚が正直ありました。

 この東京出張に関しては行くことになるのですが、行くまでに一悶着も二悶着もあったこと(独裁的な会社だからこそでした)。さらには別の問題が出てくるのですが、この件は話がぶれるので割愛します。とにかく、精神的な不安定さにより、周りが見えなくる内向的ベクトルに陥り、他者を敬えない自分にさらに落ち込むといったループが絡まっていきました。

 次に体調面。夏バテと精神面のダブルパンチから食欲も無く、身体がみるみる痩せていきました。もともと細い(正しくは薄い)とは言われるぐらいだったのですが、当時はどんどん骨ばり、頬が痩けていき、見るからにやつれてますという感じだったようです。これすら何アピールしてるんだと、自分を病む罠に追い込んでたなぁと書きながら思い出しました。

 そして根本的原因の、極度の貧血が判明します。これがなぜわかったかというと、考えてもわからない期にした健康診断。自分で何かを察知したのか、その時に血液検査を追加でお願いしたんです。それにより鉄欠乏性貧血の診断をゲット。思い返せば、血を抜く時からまずおかしかった。じゃあ血液抜きますよって時に、注射針一本はすっと出来たんですが、もう一本になかなか血が溜まりません。看護師さんに手をぐっぱ、ぐっぱ、と繰り返してくださいと言われ、手を動かしてなんとか2本目の血を溜めました。ただ、血をそんなに抜いたことがないので、それがおかしいのかどうかもわからずにいると、看護師さんに血が少ないと。珍しいですか?と聞くと、たまにいらっしゃいますよーと返されたような記憶があります。後から知り合いにこの話をしたら、このぐっぱの動作をするのは老人ぐらいじゃないかと言われました。当時は20代。どんなけ無いんだ私の血。そして届いた結果の鉄の項目、通常最低でも2桁いる数値が1桁だった。フェリチンも全然無し。これにより、内科で鉄剤を処方されました。この鉄剤がかなり効果があり、一週間すぎたころにはみるみる改善します。貧血だと、ふらつきとかは想像できるんですが、食欲減退・集中力低下・パニック障害・うつ等が現れることもあるそうで、私の症状にけっこう当てはまるんですよね。身長がある方なのですが、毎日立ちくらみしていて、きりんのような毛細血管が私には無いからだと思ってました。この理論でいくと、タッパある人は全員立ちくらみをしてないとおかしいわ。なぜそこを不思議に思わない自分。あとは過呼吸起こしたこともあるし、まぁ、そう思うと元々貧血の傾向はあったんでしょうね。

 そして、鉄剤に+アルファでそのしんどさを先輩に大泣きして打ち明けれたこと、その後に東京出張に行けたことで一気に回復します。

 当時、やつれた顔をしていたけど、家族、友達には全く相談出来なかったんです。それは本当に心配してくれて会社辞めぇやと言ってくれるから。ほぼ黒のダークグレー会社に勤めてたから、仕事の悩みを言うと退社話に直結してしまう。自分の未熟さを知ってるから、それを乗り越えたい一心で、当時の私は辞めるって選択肢を見たくなかった。優しさはありがたかったけど、それを言われると他に何も言えなくなるんですよね。東京行く3・4日前ぐらいに、ある先輩と2人になることがあり、その時に、溜まってた気持ちの水が決壊してしまって大泣きしながら話しました。職場の人だと簡単に辞めろって言わないし、何より全部受け止めてくれた先輩の包容力と、心配する純粋な気持ちがすごく伝わって、さらに泣いて。その後泣き止めたのが不思議なぐらい泣きました。この先輩がいなかったら、今の私は絶対にいません。自分の思いが誰かに受け止めてもらえるって本当に素敵ですね。それからの東京出張は、鉄剤が効き始めた頃というのもありましたが、環境が大きく変わったことで、考え方に柔らかさが出るようになりました。何より初めての独り暮らし。これが楽しくて楽しくて。独り暮らしだと家事を全部することになるから、何か仕事以外の事を考えられる時間が自然と出来たのも大きかった。せっかく東京に来たからと、何か別の事をしようって気になったのも良かったと思います。そんなこんなで、私は脳ミソが増しには働くようになり、東京で身に付いた脂肪と、標準語に近付いたわざとらしい大阪弁をひっさげて大阪に帰りました。その後も悩みながらではありますが、まだましな販売スタッフになっていったかなと思います。

★★★

 長々書いてしまいましたが、結論を言うと悩んでいる方には2つお伝えしたいです。

 1つ目は、精神的な問題だけでは無く、鉄分不足等の栄養不足も疑ってみてほしい。2つ目は、気分転換は本当に大事。のめり込みすぎたら環境を変えること。この2つだけでも、誰かに伝わればいいなと思います。環境を変えるのはこのコロナで本当に難しくなってますが、部屋の間取りを変えるだけでも私は気分転換になるのでいいのかもしれません。

 今でも、鉄分のサプリメントを飲んでいますが、精神安定剤に近いです。もし、精神的にしんどいとか、うまくできないといったことを感じた方は、あっかんべーして目の粘膜の色を確認してみてください。ちゃんと真っ赤ですか? 真っ赤だったという方は、そのまま一瞬だけでもしんどい気持ちにあっかんべーとサヨナラを。白っぽい方は、かかりつけ医に相談をしてみてください。

 最後に、この文章が悩んでいる方の助けになれば幸いです。



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