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料理をしない人生なんて。

料理をしない人生なんて、文字通り味気ない。


今日はピーマンの肉詰めを作った。


太ネギを刻む。ひき肉をボールに入れる。塩胡椒をする。黙々とこねる。

ピーマンは縦半分にして、米粉をまぶしておく。

ひき肉の脂がねっとりしてきたら、ぎゅっぎゅっとピーマンに詰める。


鉄のフライパンをしっかりと熱して、油を多めに馴染ませ、肉の方から焼き始める。

肉がこんがりとしてくる頃には、余分な脂が1センチくらい溜まってくる。それを紙ペーパーで吸い取って捨てる。


ひっくり返したら水を入れて蓋をして蒸し煮にする。


味付けはケチャップとソースだ。うちはこれが定番。ご飯が進む味だ。


町の食堂のおかずのような、懐かしい味の仕上がりになる。


たかが料理だが、されど料理だ。工夫一つで時間を短縮できるし、買い物の仕方一つで値段以上の出来栄えにもなる。


料理をしながら私は、1日の出来事を考えている。


つい思い出し笑いをしてしまうような楽しいこともあれば、心配なこと、腹立たしいことだってある。この感情が料理に乗り移ってしまわないか、と心配になることもある。辛く悲しい出来事を頭の中から払拭できないまま、料理が完成するときだってある。それでもゴールはひとつ、おいしくなあれ、その気持ちには一度だって変わりはない。

「おいしくなあれ」。料理をしなければ、願うことができない思いだ。

その先には笑顔が見えている。食材への感謝が溢れている。

今夜は心配事がどうしても拭いきれなかった。心配すぎて、怒りや嫉妬さえ込み上げてきた。ため息が出た。それでも、それら全てを平等に味わいながら、手の動きも、嗅覚も、味覚も、視覚も、聴覚も止めることなく、あらゆる感覚を総動員して料理は出来上がっていく。

そしてついには、私の願い通りに、おいしい料理が今日も食卓に並んだ。


毎日のメニューに頭を悩ませることなんてしょっちゅうだ。疲れすぎて作れなくて、買って済ませることもある。それでもやはり、「おいしくなあれ」、この感覚を味わえない人生なんて、私には考えられない。








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