見出し画像

ある方へのお手紙


【“ご縁”と“引き寄せ”と“天中殺”】

“化粧品をつくりたい”

11月のベルフルール8年目に入ったと同時くらいに色んなところから

“お化粧品を作ったら?”

と声が聞こえてくるようになりました。

その時はとっても不思議でした。私自身そう思い始めていたから。

西新宿に今の美容サロンを持つようになったのも、2015年11月、それまで一緒にやっていた10年育ったサロンを出ないとならなくなった。あることがきっかけで望まずしてそうなってから心はガラスが砕けたみたいに傷んで、毎日寒空に一人床掃除をしながら床に落ちてくる自分の涙を拭き取っては自分を励ましていました。

それが不思議と、激しく辛いことがあると、幸せ貯金からお金が降りてくるかのように奇跡的な売り上げがもたらされ、あれよあれよと出店準備に入り、当時のスタッフが望んだ中野坂上あたりで探そうとしていたら2016年年始から、やたらと周りで「西新宿の熊野神社をしっていますか?八咫烏の。」と言われるようになった。

あまりに人が言うものだから、1月26日に熊野神社へ社員たちを連れてお詣りに行くと、そこは毎年自宅近くの氏神様にお参りに行く氷川神社に奉られる“素戔嗚尊”でした。

この氷川神社も不思議なことに、30歳で離婚のあと、あまりに酷い出来事が続くからお祓いに行けと色んな人が言うもので、一切目に見えないものを信じなかった当時の私は“くだらない”と思いながら、いよいよ神頼みな事態が続くので仕方なくモノは試しに行ってみた。

その日、氷川神社で不思議なことが起きました。その内容は長くなるからまた今度(笑)ですが、その後7年間半年に一度ご祈祷を受けに行っても最初の日に祈祷してくださった宮司様には二度とお会いできませんでした。

その宮司さんは、私の筋素性も知らないのに、

「ここがあなたの家族だと思っていつでも来なさい。あの鏡を見てご覧なさい。あの奥には素戔嗚尊がおられます。文武両道の神様です。神様も仏様もありません。ここいるのはあなたのご先祖さまです。寂しくなったらいつでも帰ってきなさい。」

そう言われました。驚きました。実家は両家とも古い歴史の武家で子供の頃から神仏の教えは濃く、私は“そんなもので幸せになれたら苦労しないわ”と思っていました。

泣いても叫んでも誰も助けてくれないじゃないか、そんなのクソ食らえだ。人の言うことを信じたらバカを見る。信じられるのは自分だけ。

8歳の時にはそう言っていました。

なのに、この日、この宮司さんの言葉で、面倒をみえくれた祖母が死んでも、大人になって離婚するような悪縁に苛まれても泣かなかった私が止めどもなく流れてくる涙で洗われていきました。涙が温かいと感じました。安心した涙でした。

それから、私には色んな方が救いの手を差し伸べてくれるような体験が続きました。神仏の力を信じていたわけではないけど、氷川の神様にはとっても暖かい安心があったので、頂いたお札に毎日朝晩ありがとうございますと伝えて手を合わせました。そうやって家を出るといつもそばで守ってくれている気持ちになったのでした。

何年かしてあの日の宮司さんはもういらっしゃらないのですか?と尋ねたら

「誰のことでしょうか、そんな者はいないのですが」

と、そこの奥様が不思議そうに言うので私の方がよっぽど不思議でした。ただ、何かに導かれたのだなということだけ確信が生まれました。

そのことから“ご縁”や“引き寄せ”の力を体感で信じるようになったのでした。

そして、2016年西新宿にサロンを出すための不動産契約をしている瞬間に気がついたのですが、住所も部屋番号もその日の日付にも数字の2と6ばかりなのです。

波動をダウジングでチューニングをすると言う面白いことをされている方がいたのでその方にこの数字は偶然かと聞いたところ、

何やら2と6の組み合わせは、家を持ったり会社を起こしたりするのにとても縁起が良いらしく、スピリチュアルなエネルギーが注ぎ込まれて大きく発展する、という意味があると聞かされました。

あ!!!と思いました、熊野神社に行ったのも26日。素戔嗚尊のお導きかと思いました。

しばらく忙しくしていて忘れていたのを2週間ほどして当時の社員と温泉に行くのにふと思い出し「そういえばね、2と6でね、」と下駄箱でそんな話をしてたら、なんと、二人が握っていた下駄箱のロッカーの鍵が『2』と『6』でした。

そんなことある?w 信じても信じなくてもいいけど、信じた方が得なような気がして、それからというもの熊野神社へお詣りに行くようになったのです。

さて、前置きが長くなりましたが、

で、3年間陰陽五行論を齧ってきて今思うと、2016年から申酉の天中殺に入るちょうど3ヶ月くらい前からの予兆だったのだ思いました。

天中殺中は、目に見えないものの、神仏の、無形人脈といって、ご縁が広がるそうです。


で、今回の11月も、陰陽論の中のある読み方から私の仕事における重要な局面の10年のスタートの予兆が始まる頃でしょう。。。


毎月1度、学びに行くお師匠様のところで、いつも小出しにヒントが降りてきて、天から必要なときに必要なことだけを知らせれているような体験で、

ああ、だからか。と毎回その日までに起きた出来事が腑に落ちていくので不思議です。

元来は、目に見えるものが好きですし、化学や科学が好きですし、理路整然としことを望むのですが、それとは裏腹に、森羅万象のエネルギーを紐解く陰陽五行論には何故か信じずにはいられない動物的直感というか本能というかが体験と一致していく謎解きのように、元々知っていたことを思い出すが如く安心感があるのです。


これから何が起きるのか、私自身分かりませんが、もしかしたら恐ろしく変転変化する可能性もあり、このnoteを記録のつもりで書き始めました。


奇しくも早速、世界中が大波乱に巻き込まれている今日、少なからず当然私の波乱は始まり、予定通り破壊現象が起き始めています。


人間は森羅万象の一部です。物質にエネルギーが宿っている“生かされもの”だと思っています。


陰陽五行を知れば知るほど、ただそこに存在しているだけの小さな小さなエネルギーの私達は、太陽系の一つの星になぜか生命として物質的肉体を与えられ、ほんの一瞬、ただ体験をするために存在を許されたものだと思います。だから大きなエネルギーの波動に影響され、神羅万象のリズムに共鳴し、バイオリズムという名の波動の変化にただ身を任せるだけなのだと、最近特に思います。


電子工学で波動という言葉を使われます。化学だと信じてなぜ“引き寄せ”や“天中殺”というと急に怪しいと思うのでしょうね(笑)

私たちの思考は勝手なものです。


なぜ目に見えないものを信じようとしないのでしょう。私たちの肉体は体温や代謝や交感神経や脳派や感情など目に見えないものの力で動かされているのに。

どう捉えるかも自由ですけどね。



私のこのエッセイのタイトルも“目に見えないもの”を描きたかったから

【鏡花水月】
鏡に映った花や水に映った月のように、目に見えていながら手に取ることが出来ないものの例え、知覚することはできるが現実に存在しない幻。


にしたのです。感情や感性とこれから始まる“出来事”を記録したくて。



【ある方へのお手紙】


2020.4.吉日

化粧品「〇〇〇〇」への思い

「美容を通じて可能性の花が咲くまで。あなたらしく、私らしく」
私自身、アトピーや体調不良、外見のコンプレックスで子供の頃から自分の存在に対してとても否定的でした。この23年、美容を通じて、自分自身はもちろん、たくさんのお客様のお悩みに関わり、痛みに寄り添い、自分の事以上に大切に思える方々の笑顔に触れるたび、その輝きに魅了され続けて、気付けば今に至るまで美容の仕事を続けて参りました。
思いが確信に変わったのは、2011年。震災後、美容どころではない状況に、不安なお客様方、ご友人親族を亡くされた方々、その方々に関わるスタッフたちを励ましながら自分を奮い立たせ、私自身はどう生きていきたいのか、、、と問われる体験でした。そして、この言葉と共に一歩、また一歩と歩き始めました。
“ビジョン”
目標やビジョン夢を持つことで救われることがたくさんある。
それは私自身もそうでしたし、お客様もスタッフもそうだと思いました。だから、私は目の前の方にただただ可能性とその方の中にある“輝き”を見出し伝え続けました。
2012年11月『美しい花たち』と意味付け“ベルフルール Bellefleurs”と名付け独立しました。どこまでも広がる花畑のように、そして「私にもできたからあなたにもできるよ」と渡されていく花渡しのように、可能性に出会う喜びと、輝きが広がっていきますようにと。そしてどんな花であっても、ただそこに咲くだけで与えられる存在だということを、また“そうでありたい“と願う自分自身への思いも願いも込めて、お客様もスタッフも皆が愛し愛される世界を創っていくと決めました。スペルは造語です。唯一無二、あなたらしく、私らしく。と。

たくさんのお客様に出会い、関わらせて頂くことを通じて私自身成長させて頂き、励ますつもりが励まされ、愛されているという実感と心から“感謝“という感情を感じ知りました。スタッフたちにも体験してほしい、そしてこの仕事を通じて、お客様の輝きを通じて、お客様と共に夢を実現してほしい、そう願ってベルフルールはスタートしました。どこまでも喜びが広がっていくようにと。

「ゆきこちゃん」との出会い
私は、23年間、たくさんのお客様のお悩みに応えたくてたくさんの技術や知識を身につけました。だけど、最初はそうではありませんでした。
目に浮かんでくるのは1番最初に担当した「ゆきこちゃん」。ニキビが顔中に真っ赤に腫れ上がって笑うと膿みが破れてしまうほどの炎症でした。いつも髪で顔を隠して、人の後ろに立って、ほとんど言葉も出さず、斜めに覗き見る目が印象的でした。私がそもそも美容の仕事でアルバイトを始めたのは、自分のアトピーや外見のコンプレックスの理由を知りたくてお勉強ができるからという“自分のため“の始まりで、全然、人を癒したいとかお役に立ちたいなんて思ってもいなくて、ましてや自分の肌にコンプレックスがあったので、同じようにトラブルのある肌を見て受け入れることができませんでした。そんなゆきこちゃんは私に「みっちゃんが行ってるサロンに連れて行って」と自分から話しかけてきたから驚いたのです。私は断る理由も見つからず、なんとなくモヤモヤと不安なまま、ゆきこちゃんのご案内をしました。その不安は、”私はたまたま綺麗になったけどこの子のこんなニキビが綺麗になるんだろうか。。。“
技術も知識も経験もゼロに等しい私はとてもモヤモヤしながら彼女の肌改善の体験が終わるのをただ待ちました。ゆきこちゃんはその日に1年かけて肌改善をすると決めたのです。20年前、美容はとても高くて、そして私たちはまだ新卒で収入も不安な中、”このニキビに責任を取れない!!“と私はすぐさま反対しました。そしたらゆきこちゃんは「大丈夫、私みっちゃんのこと信じてるから」。
衝撃でした。そんなこと言われたこともないし、私は人を信じていませんでした。なのにサラッとそんなことを言われてショックでした。そして次の瞬間、“ヤバイ、責任取らなきゃ!この肌私が綺麗にする“
一瞬にして世界が変わりました。ゆきこちゃんの人生を私も一緒に背負ったような気持ちでした。むしろ、自分のことならまあどうにでも半分は諦めていたけど、“この子のことは絶対失望させたくない!!“私はゆきこちゃんの悲しい顔を見たくない!とその瞬間胸が痛んだのです。それから、仕事の後にサロンに行きフェイシャルの技術を学びました。先輩たちに深夜まで付き合ってもらって練習練習練習、試験試験試験、、、深夜3時くらいから2時間寝て、始発で帰宅して1時間寝て、7時に支度して9時の出社に何事もなかったように出勤しました。そしてまた仕事が終わるとサロンへ向かったのでした。何度も試験に落ちてでも初めて諦めませんでした。必死でした。そして合格した日、1番にゆきこちゃんに電話をしました。「ゆきちゃん!今日から私がフェイシャルできるよ!!」その日から週に2回、約一年。若かったのもあって、ゆきちゃんはとても白く張りのある艶やかな肌へと変わり、その過程では髪型も、メイクも、どんなのが似合うか、サロンで2人で何時間も過ごしました。ある時ゆきこちゃんに彼ができました。恥ずかしそうに教えてくれて、そしてまもなくゆきこちゃんは結婚しました。「ありがとう、みっちゃんのおかげ」。にっこり笑って、その笑顔はとても輝いていました。ゆきこちゃんは、それからはお会いすることがありませんでした。
卒業していきます。 “綺麗になったら私の役目は終わるんだな。。。“
嬉しいいのに、寂しい、ポッカリと穴が空いたようでした。気持ちはとても寂しいけど、気付けばたくさんのお客様の担当をするようになって、転職もちゃんとして本職にしていて、23歳でチーフマネージャーというライセンスを頂いていました。自分がリクルートした新人スタッフに“在り方“を教える側になっていました。あの頃の体験は忘れられません。どんなに迷ってもまた立ち戻ってこの仕事をやり続けるのは、あの出会いと、感動とゆきこちゃんの”笑顔“があったからです。『ゆきこちゃん』との出会いが私の原点です。

「世界中の人が使ったらいいのに」
そう思えるお化粧品を作る過程に関わってきました。私自身も、私の元へいらしゃるお客様たちにも、「これ、ほんっとうに良いから使ってみて!」そうやって口コミで広がっていきました。今も男女問わず私のお客様たちはお使いくださいます。
40歳になる歳、私は本当に一人で歩き始めました。大好きなお化粧品や商品の開発に関わることや、スタッフの育成が大好きでなかなか決められませんでしたが、とうとう育ててくださった方々のもとを離れ、愛して育てた社員たちと別れ、私は自分の夢を実現する道を、チャレンジの道を選びました。
そしてお化粧品も少しずつ変わっていったのでした。超敏感肌でアトピー持ちの私は使えないものが入り始めて、お客様たちも気に入って使ってくださっていたお化粧品たちが次々と廃盤になっていきました。
お客様たちが「みちさん、お化粧品作ってー!」と言うようになりました。私も本当に納得のいくお化粧品を作りたいと思うようになりました。
どんなお化粧品?『世界中の人が使ったらいいのに!!!』と思うようなお化粧品が作りたい。そう思いました。世界中のどこかで誰かが、そのお化粧品をつけた瞬間、とんでもない笑顔になるような“幸せのお化粧品“そんな魔法みたいなお化粧品を作りたい。そしてキラキラ笑顔がお花畑みたいに広がっていったらいいのに。そう思います。
どんなお化粧品?目を閉じると浮かぶゆきこちゃんとその向こうに、小さい頃の私がいました。真白な肌、真っ黒な黒髪と真っ黒な瞳。所々カサカサと赤くただれて、ムズムズして痒くて掻くと怒られて、皮膚科に行くのが怖かった。皮膚科の洗剤も皮膚科のお薬も臭くて嫌いでした。ベタベタして気持ち悪かった。泣いたら怒られるんじゃないかと思って泣くのを我慢していました。悲しかった、怒られるのも、痒いのも、白いところに赤いカユカユができるのも、悲しかった。
こけしのお人形みたいな私は4歳以降笑っている写真がありません。自分のことが大嫌いでした。だけど、今は、その頃の私を抱きしめてあげたいくらい愛おしく感じます。
自分を愛して、慈しんで、心から笑顔が溢れる人生をどなたかに届けたい。私が生まれた日本の美を世界中の人に伝えていけたらいいな。。。もしこのお化粧品が私の手から離れてもずっとどこかで誰かが幸せになっていたら、私は生まれてきてよかったと思えるでしょう。
そう思いながら、2020年元旦、生まれた土地の別府に帰省して深夜の露天風呂で月明かりにお湯で体を撫でていたら、「なんて柔らかくて気持ちいんだろう、そうか、温泉水。」そう思いました。そのお湯は柔らかくてトロトロと肌を伝います。私が生まれた土地。自分と自分を取り巻く環境が疎ましく18歳で離れた土地。でも今はとても心地のよい懐かしい土地。しかもその温泉屋さんが特殊で、100度の源泉を何層もの青竹で濾過して湯船まで運ぶ特別なお湯だったから、とても香りが良くて、露天風呂の草木の香りと混ざって自然の中に生かされている安らぎを感じるのでした。そしてお湯をかき上げた瞬間、ライトに照らされて私の腕を伝うお湯がキラキラと光ながらこぼれ落ちてきました。
「あ、百華千珠。。。にしよ。」お化粧品の名前は“百の花が咲くように、千の珠が輝くように“たくさんの可能性の花が咲き、喜びで満ち溢れている、そんな世界を創り出したい。私が関わらせて頂いたお客様たちの笑顔がたくさん浮かびました。だからそう決めました。
この思いを佳しとして一緒に夢の実現に参加してくださる方がきっといるはず。そう思っています。


ベルフルール 中原美知子


。。。。


【思いが現実を引き寄せる】

このお手紙は、ある素晴らしい研究者の方にお読みいただくために書いた、私の“思い”です。

思いや記憶って、目に見えないのに、20年経っても色鮮やかに私の心を締め付けます。

私の原点。

“ゆきこちゃん”との出会いがなかったら、今私は

何をしていたでしょう。

あの時の“ゆきこちゃん”の思いが私を動かしました。そのあともたくさんの方の“思い”に動かされ支えられて、ここまで来ました。

私は、『望んだら手に入る』と少し前まで勘違いしていました。

私は、

たくさんの方の“思い”に、ただ“生かされて”きたのだと思います。

ですが、こんな小さな存在の私にさえ、強く願う“思い”がまたどなたかの心に届く瞬間があることを体感として捉えています。


思いはバトンを渡され続けて増幅するのでしょうか。。。


このお手紙を読んでくださったその研究者の先生は、

『中原さんには2つのものを創りだして欲しい、一つは、、、』

ととても核心をついたご提案をしてくださいました。まさにそんなものが生み出せたら、私のこの23年の思いも感謝もゆきこちゃんへの思いも浄化されていくと思うようなものでした。


この“ゆきこちゃん”とのエピソードをお化粧品に、

この“ベルフルール”への思いをあるスペシャルなエッセンスに。

本当はもう名前も決まっています。それはまだお知らせできません。

これから試作が始まります。同時に現実的な課題が湧いてきます。


夢の実現を、どうしたら出来るのか、は、

“思いが現実を引き寄せる”まで、ただ



流れに身を任せて。。。。



【鏡花水月】
鏡に映った花や水に映った月のように、目に見えていながら手に取ることが出来ないものの例え、知覚することはできるが現実に存在しない幻。


2020年4月16日

庚子 庚辰 己丑

美知子

https://be-a-live.themedia.jp/pages/3002829/page_201906191405

 https://bellefleurs.shopinfo.jp/



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?