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はねかえる声 (小説)

 私の今日の仕事は、官房長官会見かんぼうちょうかんかいけんを聴くことである。官房長官が何を言ったのか、記者からどんな質問があったのか、記録するのである。
「各位 本日午後の官房長官会見の概要は以下のとおり……」とEメールで関係者に記録をまくのである。
 私は真剣な顔つきである。暖房の効かない肌寒はだざむい職場で、ささくれた指さきをんでいる。私は両耳にイヤホンをしている。スマホで官房長官会見のライブ配信をみつめているのだ。うなだれた日本国旗と誰もいない壇上だんじょうがさびしく映っている。官房長官は臨時閣議に出席しており、会見は定刻をすぎたが始まらない。私は真剣な顔を保ちながら眉間のしわをやわらかくほどいていく。職場はいくつもの島があり、その島で職員たちは鳥が鳴きあうようにひんぱんに相談しあっている。そんな島の声がさざ波のように押し寄せて聞こえるが、だんだんと意識の岸辺まで上って来なくなる。私は自分だけの意識の冴え冴えとした、自分だけの大地の奥深くへと、肩で風を切って降りて行っている。
 ほんとうは、片耳だけイヤホンを外し、片耳で職場の会話に耳を澄まし、片耳で官房長官会見を聴くというマルチタスクが私に課せられている。そして、私はそれを難なくこなしてきたのである。だが、今日はひと味ちがうのだ。私は義務に背を向けることに決めた。仕事を一から百まで意識的にこなすことが人生にとってどれほど愚かしいことか分かったからである。自分の人生が仕事一色に空費される現実に耐えかねたからである。仕事中であろうとも、自分の人生をたのしめる人間でありたい。指示のままに動かされて、わずかな給料に生かされる人間になりたくない。社会はそれを許すほど甘くないが、私は社会の間隙かんげきってでも私がおのれの頭を動かしてその場に居たという記憶を築きたい。老けて自分の人生を振りかえった時に、その記憶が、どれほど輝かしい宝の山として映るか知れないと思うのである。これは若者のたわごとである。日本で独自性を発揮することは、得てして日本の和の精神を断ちきることになる。協調できない者は職場から見放され、「仕事ができない人」のレッテルを貼られがちである。だが、私は若者らしくおのれのたわごとに従うのである。思いつきをきちんと試みるのだ。つまらない仕事の合間に、私の思想を深めることに時間をあてるのだ。そして、その責任をひとりでかぶるのだ。「仕事のできない人」を突き抜けて、筋道の立った、独自の見解を述べられる、一目置かれる人間に成ればよいのだ。
 それにしても官房長官は来ない。私は仕事のふりをするためにスマホの画面をとりあえずにらんでいる。ニコニコ生放送のアプリで観ているので、タイムラインのコメントがおのずと目に入る。官房長官会見をリアルタイムで待つ人がこんなに居るとは知らずおどろいた。同時にそのコメントの流れは、読めば読むほどに、私をきこんでいく何かがあった。
「来んのう」
「ほんとに来ん」
「臨時閣議は長いものや」
「来なさすぎて晩御飯できちゃうなあ」
「晩御飯なあに?」
「おでんよ」
「おでん」
「🍢」
「乙だねえ」
「おでんの季節」
「さぶすぎて、くしゃみでた」
「どこで観てんの」
「おでん食べたくなった」
「(-ω-)/ティッシュ」
「顔文字古っ」
「公園の滑り台」
「なんかリアル」
「いそう」
「寒すぎて滑り落ちた」
「え、その発言とともに?」
「草」
「来ないねえ」
「おでんあげる」
「ごちそうさま」
「テンポいいね笑」
「くしゃみって話題になるのね」
「寒すぎて草も生えない」
「来ん」
「セブンのおでんでも買いにいくか」
「これはとうぶん来ないね」
「六時かもね」
 私はこのタイムラインに口もとを引き上げられる。マスクのうらで歯をきだして音もなく笑った。このひとたちは知り合いではないはずだ。おたがいの名前が分からない群衆のはずである。それが、「晩御飯なあに?」だの、「(-ω-)/ティッシュ」だの、距離を越えて堂々と呼びかけあっている。知らない人にこんななれなれしい素ぶりをすることは、面と向かっていたら難しいはずである。だが、インターネットだと、なれなれしい言葉がいともかんたんに飛び交うのである。
 群衆は、場所を問うこともなく、名前も顔も性別も分からなくとも、言葉を交わし合っていくのである。
「島山くん」
 私はすぐにイヤホンをとった。上司に呼ばれたのである。頬のあたりを硬くしながらふりむいた。
「何でしょう」
「会見始まったの?」
「まだです」
「なんで?」
「臨時閣議があるようでして」
「へえ、何時開始か分かる?」
「おそらく六時かと」
「ほんと?」
「ええ、一応、確認いたします」
「一応?」
「いえ、報道課に確認いたします」
「遅れている理由も確認しといて、ほんとうに臨時閣議なのか」
 上司の顔は崖っぷちのように険しくゆがんでいた。責任を負った者の冷たい空気に充ちた眼であった。私はせわしなくダイアルを叩き、報道課の一番下っ端に電話した。
「報道課の木戸です」
「島山です。長官会見は十六時メド開始とうかがっているんですが、遅れている理由を御存知でしょうか。また何時開始でしょうか。臨時閣議のせいだと思うのですが」
「長官会見が遅れている理由と開始時間ですね。ちょっと確認して折り返しますね」
「よろしくお願いいたします」
「失礼いたします」
 上司が間髪入れずに聞いてくる。
「わかった?」
「確認して折り返すそうです」
「そう」
 上司はパソコンに向き直る。私は自分のデスクにうつむく。
 官房長官が会見に遅れている。よくあることである。だが、この官房長官の遅刻から生まれる、下っ端の仕事は一体何なのかとくちびるんでいる。たわいのない情報のために急かされては奔走させられる若者たちの情けなさは何なのか。結局、たわいのない情報は何も産まないではないか。新しい情報を以て新しい判断を下したとき、情報は役立ったと言えるかもしれない。だが、たわいのない情報を右から左へと流す作業は、あまりにも無意味なのである。
 電話が鳴った。私はすぐに受話器を取った。
「報道課の木戸です。島山さんですか」
「ええ」
「先ほどの件ですが、臨時閣議のため遅れている模様です。開始時間は臨時閣議次第のため正確には分かりません」
「そうですか。承知いたしました」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、失礼いたします」
 私は受話器を置くと、肺の深いところから溜め息がもれた。私の電話応対により、官房長官会見の遅れに対する「臨時閣議」という理由は、しかるべきところにおすみ付きを得たのである。そして、開始時間は誰にも分からないのである。しかし、これを確認したことに、一体何の意味があるのか。
「報道課に確認したところ、臨時閣議のせいで遅れている模様です。開始時間は臨時閣議次第であり、正確には分からないとのことです」
「そう、ありがとう」
 私は上司に報告を終えると、両耳にイヤホンを付けた。私は首の裏側をてのひらでこすって苦笑した。私は先ほど義務に背を向けると息巻いたが、仕事の義務は逃れがたいものである。例えどんなに些末さまつな仕事であっても、上司の指示に従うほかないのだ。そもそもこの長官会見の記録も、上司の指示に従っているに過ぎないのである。それでも私は上司の指示の裏をかくように自分の大地の奥深く、自分の声の反響するほらの中へと風を切って降りていくのだ。私は池の底へと目をこらすようにスマホの液晶をみつめた。会見の壇上には誰もいない。
 コメントのタイムラインをスクロールすると、短時間のあいだにずいぶんとたくさんの言葉が流れていた。
 オミクロン株という変異株発見を発端として、群衆のなかで火が付いたように、不安がささやかれているようだ。不安の言葉の広がりようは、水に垂れたすみのようにまたたく間である。
「南アフリカで新たな変異株だってさ」
「株価急落」
「オミクロン株」
「お先暗いねえ」
「臨時閣議はそういうわけね」
「水際やばそ」
「ワクチン効かない説」
「だりぃ」
「日本で流行る」
「借金して対策でしょ」
「一二二〇兆円の借金どうすんの」
「諭吉が一二二〇億人って冷静にやばくね」
「老人は若者のことを考えてない」
「政治家=高齢者」
「\(^o^)/オワタ」
「ツケがくるぞ、ツケが」
「日本人、いやなことにはふたしがち」
「分配するよゆうなくね?」
「辞任?」
「成長とか夢みすぎ」
「辞任好きだねえ」
「日本を根本的に変えようって人はいないね」
「おるけど、高い地位につかせてくれないんや」
「日本、なんなん」
「おれがなんとかしてみせる」
「へ?」
「は?」
「なんだ」
「勇者あらわる」
「勇者くん、乙!」
「誰?」
「官房長官の代わりに会見求む」
「この国、なんとかしてクレメンス」
 群衆のコメントは、その場その場のものに過ぎない。群衆の本音なのか分からない。情報が正確なのか分からない。だが、群衆は、この国の政治に少しでもしがみつき、この国の行く末を案ずるがゆえに、官房長官会見のために待機しているように映る。
「なんにもならない現実ばかりが世じゃないさ」
「わろた」
「深い」
「どしたww」
「タイムライン革命家」
「茶をふいた」
「きざなやつだ」
「政治はお金で回るし、お金が相手への動機付けにはなる。だが、政治の本質は、お金じゃないよ」
「え、どした?」
「まじで誰」
「政治は、この国をどう守るのか、どう動かすのかさ」
「新手の荒らしですか」
「長官会見より面白いからおけ」
「総理大臣はその視点で政治の舵取りをしている」
「ふうん」
「君は国の回し者ってこと?」
「親中スパイ内閣」
「だが、日本の国民は国を守る、国を動かすという政治の視点がない」
「喧嘩売ってる?」
「勇者君、中国ととりあえず国交切ろ」
「反中のそゆとこでは?」
「親中は黙れ」
「諸君、日本をどんな世にしたいのか、ぜひ考えてほしい」
「親中じゃないんだが」
「お金に困らない世」
「中国に甘いのは親中だろ」
「コロナはよ終われ」
「おれが、みんなの言葉をんで、しかるべきところに届けるから」
「わけわかめ」
「然るべきところって?」
「888888888888888888」
「え、ぱちぱちするの?」
「平和ならいいです」
「それなりの暮らしがあればね」
「然るべきところって政府?」
「がちスパイやん」
「もっとましなところで調査するべき件について」
「わいらでええんか」
「買いかぶりだわあ」
「勇者君がしたいようにすれば?」
「あ」
「来る」
「お」
「来るぞ」
「おおおおおお」
「官房長官、来た」
「きたー!」
「♪───O(≧∇≦)O────♪」
「待ってたぜ!」
 官房長官は壇上でマスクを外すと、無表情の上に青みがかった透明な眼が光ってみえた。冒頭に臨時閣議で水際措置の強化を決めたことをとうとうと述べはじめた。
 私は官房長官の発言を一言一句洩らさないように聴きつづけた。私は記録を仕上げながら、タイムラインの先ほどの会話を反芻はんすうしていた。「おれがなんとかしてみせる」そう愚かにも書いたのは私であったのである。しかし、私は群衆のあまりにもばかばかしい態度に嫌気が差してしまった。私は群衆の言葉をつづり、総理大臣秘書官だの、官房長官秘書官だのに、メールを送付するという気宇壮大きうそうだいな計画を思いつき、それを実行せんとたくらんでいたのであるが、ネットの群衆の声はどうにも好きになれなかった。その声を汲む気になれないのである。それはやはり自らの声で自らの名前で発信するという責任を負っていないからなのか。あいつらのコメントは、無味乾燥な、無知な、聴くにあたいしない、そこらへんを吹き転がる落葉のような言葉でしかないのである……。
 官房長官会見は二十分足らずで終了した。私はがっくりと肩を落として所在なさげに頭をかきながら、記録を仕上げるために会見の動画を巻き戻した。してみるに、私は官房長官の言葉を聴くことに集中していたので、タイムラインをすべて追い切れていなかったことに気が付いた。私は会見が始まって四十秒経過したあたりで動画を止めた。
「勇者君、あなたに賛同する」
 私はそのひと言のメッセージをみたときに、百の罵倒にも一の賛同あれば心が救われることを知った。このひとのコメントは、密林にひっそりと生えた光るきのこのようであった。このひとのコメントはそのほかの雑多なコメントに埋もれているが、みるひとがみれば、そのかがやきがひと目で伝わるのだ。
「世のなか苦しいこともいっぱいあるけど、正直に話せて分かり合える世になってほしい」
 私はこの声を聴くことしかできず、もはやメッセージを返すことができないことを悔やんでいる。
「夢物語かもしれないけど、競争は純粋な競争だけにしてほしい。嘘をついてまで戦うことを求められない世であってほしい」
 私もそんな世になればよいと思いながら、果たして政治はそんな夢のような世を国民に提供できるのかと疑っていた。競争を前提とした社会に慣れた以上、この社会と上手く付き合って生きるしかないだろう。しかし、私は常識に捉われるなとかぶりをふった。実現性が先んじるとなにかと手堅い退屈な結論におちいりやすい。私は身分相応にこのひとの言葉をありのままに届けよう。あのたわいない情報を右から左に流す無意味な作業ではない。私の受けた大切な声を私のところではねかえして伝えるべき者に届けるのである。私は、今こそ、情報を受け止めて、その情報を届けることの重要性をみとめた。
「声をあげられる社会だけではなく、声をきちんと尊重して分かってあげようとする世であってほしい」
 このひとのメッセージはここで終わっていた。
 私はこのひとの残り香を保つように、メッセージをメモ帳に写しとった。私はそれに基づいて一通のメールを起案した。私は澄みきった頭で総理秘書官を含めた総理官邸の関係者をBCCに入れて、送信先を職場の上司にして、ためらうことなく送信ボタンを右クリックした。

「各位 本日午後の官房長官会見を配信していたニコニコ動画において、国民から是非とも拝聴すべきコメントが寄せられていたところ、その概要は以下のとおり。

 正直に話せて分かり合える世がよい。競争で嘘をついて戦うような身のすり減らし方をしなくて済む世がよい。声をあげられる社会ではなく、声をきちんと尊重して分かってあげようとする世がよい。
 国家間の競争があるなか、思いやりだけでは生き残れない。だが、声が分かり合えるならば、競争を選ばず、共存を選ぶことができる。
 人間の短い生涯を、つまらない競争で終わらせないために、人のかすかな声にきちんと耳を傾けられる国民性のはぐくまれるように、世界に類のない、新しい国造りに邁進まいしんしていただきたい。」







【写真】音無おとなしの滝
(京都市左京区大原勝林院町) (著者撮影)

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