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努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る

2013年から17年まで某大阪にある大学の外国語学部に4年間通っていたが、の割に英語がそんなに話せない状態で卒業した。コミュニケーションが下手くそだったのと、脳内に蔓延していたネガティブ思考が原因だったのだろう。「みんな俺のこと嫌いだもんな」スタンスで過ごしていればそりゃ人が怖くなるし、会話の機会もゴッソリ減る。まあ過去のことを悔いたってしょうがない。今あるもんで、気づいた時に勝負していくんよ。大丈夫。


大学で外国語学部への進学を選んだのは、クラスの中では落ちこぼれだったなりにも英語の成績だけは良かったからだ。英語だけを教えていた英語特化型の個人経営の塾に通っていたのが大きな理由だろう。昔からやんちゃ坊主だった僕はそこでもトラブルメーカーだった時代があったが、心の優しい先生のおかげで7年間ほぼ休まず毎週塾へ通うことができた。英語が得意科目でなければそもそも海外に目も向かなかったかもしれないと考えると、こうしてオーストラリアで楽しく生活している自分もなかったのかもしれない。感謝である。

受験や英会話に用いる英語学習だけでなく、先生が教養として良いと思ったトピックは授業に取り上げられる。NHKのドキュメンタリー番組をみんなで観賞して感想を言い合ったり、朝日新聞の天声人語を取り上げたり、など。授業の最初に恒例となっていたのは、あらゆる偉人たちによる格言の紹介だ。

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この名言、格言というものは短い言葉の中に多くのエッセンスを含んでおり、インパクトも強い。心の深いとこを殴られてるようで、僕は授業の中でもこの格言紹介コーナーが好きだった。人を動かすのはいつだって言葉だ。

そして豪州で色々な人と出会い、学びを得ていく中で、先生が紹介してくれたある格言が記憶から掘り起こされてきたのは最近のことである。


努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る


戦後を代表する作家、井上靖氏の格言だ。特に何かを隠喩していることもなくインパクト、という部分では他の名言に劣る部分もあるかもしれないが、この年になって、ようやく、かなり腑に落ちた。


この言葉は、核心を得すぎている。


努力している人というのは、何か目指すものがあるから努力しているのだ。「夢はなんですか?」「どんな風になりたいですか?」と聞くと抽象的具体的は問わず必ず何かしらの答えは返ってくる。そして、目は輝いている。オーラも輝いている。

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他人の夢についての話を聞くのは楽しい。自分も感化されるし、それこそ心を動かすもの凄いボディブローがやってくる。

逆に不満を言っていて、何かに一生懸命だ、という人はあまり見ない。大抵諦めてしまっている。不満や愚痴は時々出てしまうのは人間だしょうがない。ただ率先して常に不満を話している=語るということになれば聞いてる方はつらい。正直僕はそういう人はあ、面白くない人なのかなと思ってしまう。


最近stand.fmで収録だけでなくライブ配信もし始めた。先日フランス語、英語が喋れる?らしいユーザーさんが僕の放送を聴いてくれていたのだが、コメントで流れるのは日本に対する愚痴ばかりだった。思考が凝り固まってるだったり、海外志向の人は日本合わないですよ、だったり・・・確かに矯正すべき常識や固定概念はあるのだろうが、僕は日本が好きだ。こんな素晴らしい文化を持つ国は他にないと信じているし、皆が皆偏った思考を持っているというわけではない。「じゃあ海外に住んでいるのですか?」とその方にお聞きすると、現在は日本。フランスに永住も考えたが、飛行機で14時間かかるだったり、様々な理由から日本にいることにしたそうだ。それはただの言い訳じゃないか?それだけ日本が嫌ならあらゆる理由を差っ引いても移住すればいいだろう。おそらくこの人は不平不満を言うことで自分のプライドを保ち、安心をしているのだろう。それによって何らかの形で努力することを辞めている。この格言通りである。


とはいうものの僕もこのnoteを通して若干の不満を語っていると言えないこともない。ブーメランにならないよう気をつける必要があるだろう。気づいてるだけ大丈夫、とポジティブに捉えたい。




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