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【下北での記録】神格化しすぎないということ

4月25日木曜日

本日も訪れたこちらのお店

入ると既に5、6人ほどの来客。お店自体がそれほど大きくないので一部のお客さんは席に座らず立って団欒している。木曜担当の店長さんの人柄から常連さんが多いのだろう、知っているお顔がちらほら見られた。

カウンターで話に夢中になっているのは下北にある別の立ち飲み屋で働いているサブカル女。職場に出向いてお話させていただく時にはよく気遣いしてくださるものの、一度オフモードになれば右手に映画、左手に音楽の金棒を据えて間髪入れずに殴りかかってくるから恐ろしい。

彼女が僕がお店にいるのに気づいたのは5分ほど経ってからだった。

「え??てかみちやすさんいたの???声かけてよ!!」

「いや、お話に夢中みたいやったし、このまま気づかれずにお店を出たらそれもそれで面白いかなぁと思って」

「いやそういうところが怖いんだって(笑)」

僕はこの子に「怖い人」認定されている。どうやら僕は人によっては「怖い」らしく、仲良くさせていただいた先輩曰く、その怖さがモテない要因の一つともなっているらしい。

「みちやす君この前のライブどうだった?」

店長さんが僕に聞く。

この方が推しているアイドルグループの無銭ライブに誘われたため、そのお店のちょうど向かい側にあるライブハウスに行ったのが前の土曜日のこと。アイドルについてはかなり疎い自分だが、音楽配信サイトで事前に聴いていたそのグループの楽曲は大分カッコ良いと思えたし、初めてのアイドルのライブは自分にとっても素直に楽しかった。

「いやぁ、思いの他楽しかったですね」

「え、でも特典会行かなかったんでしょ??」

同じくライブに行っていたサブカル女がこう返す。

そのアイドルのライブ終わりにはメンバーの方々と握手やらチェキやらが可能な特典会が恒例行事となっているらしく、僕もひそかに推している方がいたりするのだが、その日はフラッと出向いてフラッと帰り、特典会には参加しなかった。

「そうですね、まあ次回機会があれば行きたいかなぁと」

「いや、でもみちやすさん怖いから変なこと言いそう」

「言わねぇよ!」

「初対面なのに5回目ですけどとか言いそう(笑)」

それに店長さんもカブせる。

「最初から最後まで英語で話したりとかね(笑)」

「やらないですよ(笑)」

「最後まで名乗らない、とか」

サブカル女の大喜利に対して少し考えてから返す。

「あぁ、いや、それはあるかも」

「ほら!そういうとこだからね!!!」

こいつはどうしても僕を「怖い人」に仕立て上げたいようである。

「いや言うてもね、相手にとっては何百人のうちの一人なわけじゃないですか。だからわざわざ名乗ってもさぁ、とか思っちゃうのよ」

「大丈夫!あの人全員の顔と名前覚えるから!」

卓越した記憶力を持っている人は世の中に少なからずいる。僕の「推し」とも呼べる方は大変器用で頭の回転が速いといったことは伺ってはいたけれども、そんな特技もあるのか…驚いた。

それに対して、店長さんが続けた。

「ていうか、人と人だからね」

ハッとさせられた。

僕はミュージシャン含む自分の好きな全ての表現者を尊敬している。

ただ、この言葉を受けて過剰に神格化しすぎているかもしれないと感じた。

わたくしなぞあなたのかざかみにもおけないそんざいですのでどうぞわすれてくださいじぶんのえごによってあなたさまとおはなしなどしてしまってたいへんもうしわけございませんでしたございませんでした

みたいな根底に漂う自己否定感がそうさせているのかもしれない。

表現者の方々へのリスペクトが必要なのは間違いない。ただそれが自分の卑屈さに拍車をかけて過剰な媚びへつらいになってしまえばむしろ相手に気を遣わせて失礼となる。「慇懃無礼」というやつか。

どんなに名を馳せた人であれど人間だ。欠点もあれば、他者への不平不満を感じたり吐いたりすることもあるだろうし、もちろん排泄もする(アイドルはしない)。

人とは別次元の「神様」として崇め奉るのではなく、尊敬の念を懐きつつも「人と人」として接してみること。

それこそ真にリスペクトすることなのかなぁなどと思ったり。

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