表現としてのラップの敷居の低さ
流行りに乗っかるのが遅い僕は、今更ながらラップに浸かり始めている。
たまたまYoutubeに上がっていた呂布カルマさんの切り抜きを見てこの人面白いなと思い、本職ではどんなことをやってんだろうと思いMCバトルの動画を視聴。
そこからその世界に関心が湧き、バトル動画を色々漁ってみること数ヶ月。
そして現在、僕の一番好きなラッパーがDOTAMAさんだ。
ラッパーといえばオラオラ系という印象が今でも自分の中では拭えなかったのだが、この人の存在によってそのイメージが大きく覆った。
眼鏡、痩せ方、どちらかといえばMCバトルより予備校の教師にいそうな容貌。そんな素手で喧嘩したら他のラッパーに秒で負けてしまいそうな見た目の人が、マイクを握れば速射砲のように言葉を連射し相手をズタズタにディスる姿は僕の心に大きなインパクトを残し、心から「ヒップホップってカッコ良い」と思えるようになったのだった。
そして本日、Kindle Unlimitedにてこちらの本を読み始めた。
日本語ラップを語る上で欠かせないとされるユニット、キングギドラのMCであるZeebra氏の著書『ジブラの日本語ラップメソッド』である。
ラップとヒップホップの違いは?といったビギナー向けの説明や、上手な韻の踏み方を具体的な例を挙げて説明しており非常に分かりやすい。
ラップやヒップホップの知識を知るのにも良いし、これからラップを本格的にやり始めようと思っている人たちにとっては帯にもある通り教科書といえる本だろう。
てか定価だとこんなすんのね笑。サブスクに感謝である。
そして本の中で、Zeebra氏はかく述べている。
今までやんわりと感じていたものが言語化されて、腑に落ちた気がした。
大抵の場合表現をするには、入念な準備や練習が必要である。
演劇やミュージカルといったものは言わずもがな。
学生時代に僕が打ち込んだ落語。座布団と多少の小道具という質素な表現だが、これも噺を覚えないと話にならない。
他の音楽表現…例えばギターはコードやメロディが弾けないと披露できたものではない。ドラムは未経験でも良い音鳴らせそうだが(偏見)、どこか物足りないものになってしまうだろう。
ところがラップは、表現としての敷居が比較的低いように思う。
必要なのは己の声、伝えたいことを書き上げたリリック、ある程度のリズム感、そしてビート。このビートは他者が作成したものでもOKであるところも敷居の低さに通ずると思われる。
ラップといえば一番にイメージされるであろうライム(韻を踏む行為)も、絶対的必須事項かといえばそうでもないだろう(皆無だと聴いてて面白味のないものになりうるかもしれない)。
「ラップは簡単だ」などということは口が裂けても言えないほど奥深いものだと思っているが、表現として成立するための素材はそれほど多くないのではないだろうか。
そして、ラップを形成する大きな要素である「言葉」。
これは、どんな人でも日常的に使ったり触れたりしているものなのである。
恥ずかしながら、数年前僕も友人の前でラップを披露したことがあった。お世辞なのだろうが「おぉ~」などと言っていた人もいたため最低限表現としての形にはなっていたということなのだろう。
もしかしたらラップは、幼い子からお年寄りまで楽しめるカルチャーになり得るのではないか、
などと思ったりした。
日常的に空想に耽ることが多い僕だが、最近ではたまぁに思いついた言葉で韻を踏んでみるなどということをやったりもしている。
機会があればサイファーとかもしてみたいなぁとか思ったり。
新しい趣味がキッカケでまた新しいコミュニティに出会えるとええな。
てかなんか間違ったこと言ってねぇかな?この界隈の人って怒ったら怖いイメージだから嫌だな。しかしながら新規ファンを獲得するためににわかの存在は不可欠なんだぜ。間違った表現や理解があってもできれば大目に見ていただきたい。
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