674/1096 欠けるもののないあなたよ
吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で674日。
(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)
674日目。しつこいが、夢の・・・・!!700日が近い・・・・・!!
700日目!!まだ始めたころの自分が、遠く遠く、どこか天国に近いところのように想像した、あの、かの、700日目が・・・!!
残り26日・・まるで、一目惚れして後ろからそっと眺めるだけでもドキドキして幸せで、そばに寄ることすら許されない気がしていた相手と、ぬぁんと26日後にデートに行くことになったかのような気分。
これは罪なのではないだろうか!自分にはもったいない、間近で見られるだけでも信じられない!そんな気持ちだ・・
一体1000日を超えたらどんな気分になることやら・・・!
きっと最後の日を終えたら、うわあ~~檻から出た~!という解放感と、終わってしまった寂しさと、やり遂げたど~!という喜びが混ざっている気がする。三年を投じて味わうもの。三年かけなきゃ、味わえないもの。
ああ、楽しみだな!!
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昨日、デパートであれこれと買い物をしたついでにKFCに寄った。13歳になる娘はもう165センチもあって、目の前に座ったときの顔の位置はわたしとそんなに変わらなくなった。久しぶりのファストフードに子どものようにウキウキしながら、娘と雑談していると、こんなことを訊かれた。
「そうだママ。今、世界に黒人への差別を止めようという動きがあるの知ってる?すごく大きな動きになってるやつね」
わたしは、うん、と答えた。すると娘は、
「わたしはそれをおかしいと思う。黒人だけを取り上げていたら、差別とあまり変わらないと思う。”黒人への差別を止めよう””黒人が可哀想だから救おう”ではなくて、”全人種は平等だ”と言わないと、いつまでも差別なんか終わらないと思う。
黒人を可哀想だと言って、白人たちがそれを救ってあげる、って差別と変わらないと思うんだよ?でも友だちにそれを言ったら、みんなわたしのことをレイシストだって言うんだよ。
彼女たちはみな、黒人を救ってやらなきゃ可哀想だって言うの。でも、どこか彼らを下に見ているんだよ。そこがクレイジーだと思うし、問題がわかっていないと思う。だって、平等だと思うって言うと怒るんだよ?そして、そうじゃない、救ってやらなきゃいけない人たちだ、って言うんだから。わたしはそれが嫌だから、考えを変えないけどね。差別は黒人が可哀想だからやめることなんじゃなくて、平等だからやらないこと、でしょう?ママはどう思う?」
と言った。その間じゅう、小さいころと同じく普段どおり、娘の焦げ茶色の目や唇や頬が、日光を真っ白な光に変えてツヤツヤと反射していた。わたしは見ても見ても見慣れないそれを愛でながら、彼女の口からレイシストという言葉が飛び出すのを見ていた。娘は育っている。知らぬところですくすくと。
「ママもそう思う!」とわたしは言った。
「ママはさ、人間を可愛いと思うんだ、猫とか、花とかと同じようにさ!地球上のもの、いろいろ愛してるよ。好き嫌いはいっぱいあるけど、でもそれとは別に、ママは動物も消しゴムも人類も愛してるよ。みんな可愛いと思う。だから、なんでもアンハッピーなのは悲しいよ。ママはそういう風に言うと正直だと感じるよ。ママも、黒人、というふうにひとつのカテゴリにしているあいだ、いつまでも変わらないものがあると思う。それが差別のもともとのアイデアであってさ、それをやめること自体が差別をなくすと思うよ」
娘は黙って聴いていて、それから「いいね。きーちゃんは、自分が真似したくない人たちのことも、すごく大好きなんだ。たとえばパンク風のファッションは好きではないから自分が着たいとは思わない。でも、トレンドを気にしないで好きな服を着ている彼らのことが、すごくすごく好きだよ」
娘は話しはじめたときと同じく、イタリア人たちがそうであるように勢いよく楽しそうに「だから、お互いにレイシストだと思うポイントが違っても友達は友達だよ。わかる?でも黒人を白人と分けて見る人は、わたしのことも誰のこともそんなふうに見るから、わたしはそこは信頼はしないの」と言って、満足したのかスマホをいじりだした。
娘は、あまりに当たり前のようにリラックスしたまま、ズバリと持論を話し切って、そのままTikTokを見ていた。わたしたちはなにも結論付けなかったし、どれがなにが、正しいのかも話し合わなかったけれど、わたしが続きを話したり、そこでどんな意見を出すことにもオープンな感じがそこにあった。わたしは自分が子どもだったころから、日本の子どもがこんな風に話す姿を見たことがない。わたしと娘との間にある溝はきっと、ひょいと超えられるほど狭く、覗き込むと底なしに深いのだろう。
娘はそのあと同じように元気に、「ケチャップ3つもついてきた!使おうママ!」と言ってすごいスピードで容器の蓋を剥がし、ポテトを食べ始めた。
小さかったころはあんなに食べさせたくないと思っていたジャンクフードを、むしゃむしゃと食べる姿が清々しかった。
午後のKFCの心地よい喧騒。話し、食べながら、誰もとくに意図せずにみんなで自然と成り立たせているその空間が、ただ、ただ、なんの評価も求めずにそこで和合していた。美味しくて、よかったね・・という思いが、胸の真ん中からふぁーっと広がるのがわかった。誰に対して思ったのだろう。
わたしは熱く思った。なんでもいい。娘が”よければ”なんでもいいのではなくて、ほんとうに、なんでもいいと。わたしの心配など、娘の世界にはなにもヒットしないし、期待も予測も笑っちゃうくらいに無駄だもの。でも、そこまでなんでもいいと思いながら、生きて幸せであってほしいと、燃えるように思った。動脈が広がるほど。毛細血管のすみずみまで・・・!!
たしかにわたしから生まれてきて、別の宇宙にいる人よ。
わたしの知らない世界にいて、知らない常識を持って、”ひとりの人間”として存在する人よ。これを読むあなたよ。誰もがそうであるように、”ひとりの人間”であることに、なにひとつ欠けることのない人よ。わたしたち人類よ。
ただひとつ心から。幸あれ・・・
今日はめずらしく、昨日のなにげない日常に湧いたつれづれの思いを、日記にしてみました。どなたかと通ずる思いがありますように。
それではまた、明日ね!!
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