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【質問回答】愛されたい、感謝されたい、認められたい…夫の承認欲求が嫌でたまらない。どうすればいいの?

今回は長くなってしまったので、枕話しはナシで!
今日はこちらのご質問にお答えしますよ。

男女の仲って、とくに恋人になったり結婚したりする相手というのは、私たちにとって、個人的に最も葛藤する問題を突きつけ合うようになっているものですね。夫婦というのは、お互いに誰よりも気に掛ける相手でありながら、誰よりも憎くなったりするものです。

そのため、ついついお互いに盲目的な部分が出てきてしまうのが、夫婦というものだと思うんですね。だからあなたの気持ちもとてもよくわかります。

しかし、このご相談を簡略化してみますと、

『愛して認めて感謝されたい人 V.S. 愛したり認めたり感謝したくない人』の戦いにおいて、愛したくない側が、愛されたい側を自分の支配下に置くにはどうすればいいか。

ということだと思うんです。ねっ、なかなかに盲目的でクレイジーなご質問でしょう。でも、そんな深みにハマってしまうのが、男女の仲の難しいところでもあるんです。

さて、質問者さまとご主人は、両者ともに譲らない姿勢でいるわけですが、私は質問者さまの考え方について、自分勝手なものと思うんです。

なぜなら、あなたは自分の苦手なこと、自分のしたくないことについては「仕方がないこと」と考えて、相手にそれを受け入れろと要求している。なのに、相手の苦手なことや欲しいものは受け入れずに、それを克服しろと言っているからです。

あなたは、ご主人に感謝の言葉をどうしても伝えたくない。
これを絶対に崩したくない。

これを良しとするのなら、彼が彼の姿勢を崩さないこともまた、認めなくてはなりません。あなたが、「私はありがとうを言うのが苦手なんだから、言わないよ。これは仕方ないよね。だから理解してよ」というのであれば、彼がありがとうを言われたいと考えるのもまた、仕方がないし、あなたが理解してあげないのは不公平なことではないでしょうか。

あなたは、承認欲求を持っている彼を承認してやるのが、嫌でたまらない。あなたのその反応は、あなたのこれまでの経験や育ちに起因するものですね。あなたがそれを自分自身に許すのであれば、ご主人が、彼の育ちによって承認欲求があるのだとしても、これもまた全面的に認めなくては対等ではではないのです。

つまり、あなたがご主人を責めるのを当然のこととするこの考え方は、とても公平で真っ当なものだとは言えないのです。

ここで大切なのは、あなたがありがとうを言いたくないのは、彼のせいではない、ということです。

彼が母親を早く失っていようといまいと、母からの愛情に飢えていようといまいと、強い承認欲求があろうとなかろうと、それらは”「あなたが」ありがとうを言いたくない理由”にはなりません。

あなたが感謝を表したくない理由について、彼のせいにしないで考えてみる必要があります。それらはまったくもって、別個のことだからです。

それを理解するために、たとえばこのように考えてみてください。

あなたはお腹が空いて、飢えていました。
そんなあなたに、パンをくれた人が二人いました。

まず一人目の人は、あなたにお礼を言ってもらいたくて、自分が良いことをしたのだと感じたくて、感謝してくれたら自分が嬉しいから、パンをくれました。あなたはそのとき、それを食べて飢えをしのぎました。

もう一人の人は、あなたを心配して、あなたのためを思って、飢えたあなたのためにと、パンをくれました。あなたはそのとき、それを食べて飢えをしのぎました。

さて、あなたはどちらからもらったパンも食べたにもかかわらず、一人目の人には「自分の承認欲求のためにくれたんでしょ」と考えて、お礼を言わないのですか。それをあなたはどう思いますか。

自分がパンを食べることができたのに、それには感謝がないのでしょうか。自分が助けられたという事実のみを考えた時、その事実そのものへのありがたみはないのでしょうか。

あなたは生き延びられた。空腹の苦しみから、しばらく開放された。
シンプルに、その状態に対しての”ありがたみ”はないのでしょうか。

あなたがこれまでご主人の収入によって生活してきている部分があるのであれば、あなたはこの喩えでいうと、彼のくれたパンを食べてきたということです。彼の承認欲求がどうであれ、あなたは本当に、彼のもたらしてくれたものに対して、お礼を言う必要はまったくないと考えているのですか。

もちろんこれは「相手の動機」と「こちらのありがたみ」を切り離して考えるための極端な喩えなので、現実のあなたが飢えているというわけではありませんが、彼が感謝してほしいと考えるなにかを、あなたは得て生活しているということでしょうから。

それに対して、本当に、まったく、なにも、感謝がないのでしょうか。

別の極端な例で喩えてみると、電車で、荷物の多いあなたに席を譲ってくれた人がいたとします。あなたには、相手の動機がわかりませんよね。その場合はどうしましょうか。

譲ってくれた相手に、「これはあなたの承認欲求のためですか。それとも私への無償の愛ですか」と聞くのでしょうか。さらに、彼のその答えが「正直、感謝されたら自分が嬉しいから、譲ったのかもしれません…」というものだったときには、なんの礼も言わずに座るのでしょうか。

違いますよね。相手の動機はわからなくても、譲ってくれた行為そのものに対して、あなたはきっと、ありがとうございます、とお礼を言うはずです。

たとえその動機が、このあとあなたを勧誘するためなのだとしても、それとお礼を言うことの正当性とは、まったく関係がないのです。

譲ってくれたことにお礼を言う。それだけです。相手の行為に対して感謝を表すということと、相手の動機について考えるということとは、まったく別のことなのです。

そのあとその人物が、「あの~ちょっといいですか?実は僕、こういう仕事をしていましてね…」と、ねずみ講の詐欺まがいのビジネスについてあなたを勧誘し始めたとする。そうしたら、それについては毅然と、「興味ありません」と断ればいいわけですね。

つまり、あくまでもこちらは、譲ってくれた行為、その行為のみへのお礼を言ったまでだ、ということです。それ以上でも、それ以下でもなくていい。なにかをしてもらってもお礼も言わないなんて、人間の尊厳に関わることなのです。

あなたは20年も一緒にいるご自分の家族に、それをしたくないと言っているんです。あなたはこんなにも、彼だけではなくあなた自身の尊厳を無視した行為を、当然のごとくまかり通るものだと思っているのです。

それであれば、離婚のためのやり取りに時間を使うのすら嫌だ、などと言っていないで、離婚したいというのはあなたの望みなのですから、自分のために裁判をすればよいのではないでしょうか。あるいは、荷物をまとめて出ていくこともできます。あずさ二号に乗って、私はあなたから旅立ちますと伝えればいいのです。

自分の大切な時間を、夫の承認欲求と被害者意識改善のために使いたくないから離婚したい、ということですが、離婚をしたいのはあなたなのですから、これはあなたのためでしょう。

それでも、あなたはそれをしない。

なぜあなたは、彼に反対されることで、離婚を進めることをやめてしまうのでしょうか。なぜ自分のために労力を注ぐことができないのでしょうか。
これについて考えてみてください。なぜ、どうして、彼の反対を受けると、突き進めなくなってしまうのか。そこになぜ、彼の承認を必要とするのか。

なぜ彼に、あなたのワガママを受け止めてもらい、彼の欲求を抑えてもらい、自己犠牲とも言えるほどの無償の愛を見せてもらう必要があるのか。

ここに、あなたの”さみしさ””満たされなかったこと”が隠れているように思いますよ。まさしくそれは、あなたこそが、育つ過程でお母さんからもらえなかったものなのかも?しれませんね。

それから、彼の承認欲求が、母親の愛情不足だけが理由なのかどうかも、あなたにはわからないことなのです。

母親にたっぷりと愛情を注がれた人には、悟りを得た仏様のような人格者になるのでしょうか。

誰かのために愛を注いだときに、相手から「お礼も言いたくない」と言われ、一切の感謝をされずとも、気分良く過ごせるような人格になるでしょうか。そうとはかぎりませんよね。ですから、彼があなたからの承認を欲しがることを、彼がお母さんを早く失ったことだけを理由にはできないのです。

私は、絶対に感謝したくない失礼なあなたと、そんな失礼なあなたに絶対に感謝されようと頑張る彼とは、お互いの最大の問題を突きつけ合い、それを共に克服するために出会った、いわゆるベストパートナーなのだと思います。だから、離婚するしないは別として、本当はとてもいいコンビなんですよ。

私ならどうするかというご質問でしたが、私がもしも誰かと一緒に生活を成り立たせているのなら、相手が承認を欲しがりまくっているとしてもそうでないとしても、それとは関係なく、感謝を伝えます。

これを言い換えてみると、このとき私は、相手の不足感とはつながっていない、ということです。あなたはご主人の不足感を無視できず、それを相手にし、それと格闘し、いつまでも強くつながって、それを保ち、助長してしまっているのです。

それから、もしもあなたのように「パートナーに一切の感謝を表したくない」と感じているのだとしたら、私ならばまずは自分になにか問題があると考えます。

そして、早速そこにいろいろと仕掛けてみます。

感謝とはなんだろう。
自分はなぜ感謝をしたくないのだろう。
他人には感謝できたりするのに、なぜ夫にはできないのだろう。
感謝って、どうして表すべきなのだろう。

疑問を出してみては、それに答えてみようとします。そして、あれこれ視点を切り替えて、まったく気がついていなかった感謝の対象に目を向けることに、チャレンジしてみると思います。そして、七転八倒しながら、感謝を表してみる。きっとそれに際してあれこれと苦しい思いをすると思いますが、どうせすでに今の状況に苦しんでいるのだから、とにかくやってみると思います。自分のその問題を克服することを、ひとり密かに楽しむと思います。

そして、自分の感謝の表現を彼がどう感じようとも、どう受け止めようとも、それは彼の領分、彼の自由です。

また、感謝とは別に、私が彼と一緒にいたいかどうかということについては、これは私の領分なのですね。

つまり、一緒にいたくない相手でも、相手のしてくれたことには感謝します。その相手のことが好きだろうと好きじゃなかろうと、相手の動機がなんであろうと、自分が頂いたものについては感謝を伝えようとします。

そのことと、離婚するかしないかの問題は別々に見る、ということです。

もちろん、感謝を表したという変化によって、関係が良くなったのであれば一緒にいたいと思うかもしれない。あるいは、それでも一緒にいたいと思えないかもしれない。それによって、離婚を考えるという面もあると思います。

でも、感謝というのは、どんな相手で、どんな動機によるものだとしても表すべきときには表したいと思うことです。それについては、相手の承認欲求がどうのこうのということと切り離して、自分の課題として考えるのです。

そして、結婚や同居の存続については、生活の安定や楽しさ、相手への尊敬、男女間の情愛、互いの人間としての尊厳、相手の生命への慈悲など、いろんなことを見て考えたいことだと思います。

あなたは、感謝を物やお金のように扱っているわけです。相手にあげると、自分が損するものとして見ている。でも、感謝は減るものでもなければ、相手のためだけにする行為でもありません。あえて言うなら、自分のためにするのです。人は、感謝を表さない自分というものを、自分でも愛し尊重することができないからです。

ですから、あなたは、あなた自身を傷つけているのです。それは、彼が、あなたからの愛を求めて彼自身を傷つけているのと同じように。これは互いに支え合っていることでありながら、あなたと彼がそれぞれに抱えている個人の問題なのです。

だからまずは、あなたがあなた自身を見てあげてください。彼の問題は彼に預けて、あなたはあなたのことを見て、ケアしてあげてください。

あなたが感謝を表すことに拒絶感があること。
自分ではなく相手が変わるべきだと思っていること。
離婚に反対されると面倒くさいという理由で、20年も共に暮らしていること。

なぜこうした状況をキープしているのかを、ご主人のせいで、と考えずに、自分を相手にして考えてみてください。ご主人ばかり見るのではなくて、あなたのことを見てあげてください。

これらの考え方に触れることで、あなたに湧いてくるものや、気付きや、怒りや悔しさや、自分を愛することへのヒントとの出会いがありますように。

この回答が、あなたから見ればいかにもあなたを突き放したようで、私はすっかり嫌われてしまったかもしれませんが、ここから抜けるのはそれなりにハチャメチャな自己との格闘がありながら、あなたが超えられるものであることは間違いないのです。だから絶対に大丈夫。がんばって!!

それでは、またね。

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)