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453/1096 きゅうくつだから、遊びたい

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で453日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

453日目、今日は忙しいぞ!買い出しやらプレゼントの用意やらで外出せねばならない・・・!前菜の他にひき肉のラグーやアイスクリームを使ったケーキなどを作る計画のために、その準備をするのだ。

今年のクリスマスは、母も一緒のお祝いだ。わたしと夫と娘だけの核家族だったわたしたちが、にわかに定義として親子三世代を含む大家族の形態になって、家族でのお祝いという雰囲気が増した。

この毎日投稿は、前日の書き溜めをしない形でここまできている。日本の日付が変わってから執筆したものを、その日のうちにアップしている。

現在イタリアは夜の11時前。日本はすでに夜明けを迎えている。朝起きてからできるだけ長時間家族と楽しむために、夜型人間であるわたしの、この夜のギンギンギラギラな目の冴えたエネルギーを執筆に向けてみようと思う。(笑)

さて、今日も書く楽しみを堪能しよう!!

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星がいっぱいの夜。
星を見ると、いつも忘れているということを知る。
そういえば星空ってこんなに素晴らしかった。
何度も見るのに、そう思う。

人はどうして、陽を見ると星を忘れるのだろう。
星を見ると陽を忘れるのだろう。

女はどうして、男を好きでも男になりたくはないのだろう。
男はどうして、女を好きでも女なりたくはないのだろう。

忘れていたい。
驚きたい。
愚かでいたい。
違っていたい。
包みきれなくて、ひとつになれなくて、わからなくて、別々なまま。
どうしてそれがいいのだろう。

忘れなければ、困らないのに。
違っていなければ、もう苦しまないのに。
人がみな男でも女でもあったのなら、もう誰も、さみしくなんかないのに。

陽が昇るのを待っている。
星空がこんなにもきれいなのに。

星が光るのを待っている。
陽がこんなにも喜ばしいのに。

狂気を待っている。
こんなにも真ん中でいたいのに。

安楽を待っている。
こんなにも狂ってみたいのに。

その狭間で、いつもジレンマをもっていたい。
生きているなら、半分であることに焦れていていい。
半分が面白いと知ったときに、ちょっと皮肉にも全体になる。

生きるということ。
半分で足ると知ること。
いつまでも不思議なこと。
知らないと、知ること。

生きるということ。
星空に感嘆すること。
自分が星空だったと、思い出すこと。


夜が好きだ。昼間もグレイトだけれど、夜の良さもまた素晴らしきかな!
昼と夜があるということ自体が、すごい設定だと思う。まあきっと、人類は地球に適応している生き物だし、わたしが地球で生まれ育ってしまっているからそう思うのかも知れないけれども・・・・

夜の暗さは、どこかお布団みたいだ。暗いということが生む感覚の中に、包まれている感じがある。暗いと、どうしてかなにかに覆われているような安心感がある。なぜだろう。人は、解放感だけを喜びとする生き物ではない気がする。静かに包まれて、詳しく見られることのない、こもる喜び。

子供の頃、広いグラウンドで何をしてもいいと言われるよりも、狭い基地で遊ぶほうが好きだった。きっと、広い大地にぽつんとかまくらを作って子供を解き放ったら、多くの子がかまくらに入って遊ぶ気がする。
人って、ただのだだっ広い広遠な自由よりも、制限のあることを楽しむ生き物なのかもしれない。

制限とは、無限ではないこと。限界があること。選択できないこと。
たとえば、猫になれないこと。肺呼吸ができないこと。
走るスピードに限界があること。別の人になれないこと。

人の気持ちを変えられないこと。すべてを見ることができないこと。
すべてを手に入れることはできないこと。月に飛んでいけないこと。
永遠に生きられはしないこと。永遠に誰かと一緒にはいられないこと。
今のわたしたちの、ほとんどすべてのことだ。

わたしの電話はわたしのものではない。いつか、触らなくなるもの。
わたしの夫はわたしのものではない。いつか、最後の顔を見るもの。
わたしの命はわたしのものではない。いつか、閉じて拡散するもの。

わたしの身体も制限だ。わたしの能力も制限だ。

そんなふうに考えているとき、制限こそが面白みだと思った。制限がないとできないことがいっぱい。だから、制限をなくすことばかりが生きる「目的」になると大変だと思った。制限というのは、それがあることで生まれるクリエイションと、突破するまでの過程と、突破時の快感の源だ。だから、ただただなくすことを目的にしてしまうのがちょっともったいない気がした。三次元人生のうまみ、みたいな、、!

そしてそれは、肉を焼くときに脂分をすっかり落としてしまうと、同時に旨味も失うからもったいないと思うときの気持ちに似ている気がした。わたしはケチなのかもしれない・・

小さい場所から広大なところに出て自由になろうとする人もいれば、せっかく大きなグラウンドに放たれたのに、かまくらにこもって遊びたい人もいる。わたしは後者を楽しんでいる。

かまくらから出られないのであれば、きっと怖くて辛いだろう。でも、いつでも出られるのだと思えば、その空間の制限は面白みになる。

夜も、明けると知っているから素敵だと感じるのだろう。昼も、いずれ鎮まると知っているから楽しめるのだと思う。自由だけを目指すのは、闇を嫌悪し、光だけであってほしいと願う感覚に似ている。それはとっても大変そうだ。

わたしたちに、包んで見せないでいるところがあってもいいと思う。
闇を好んでいてもいいと思う。そんなところがあるのもなかなかいいよね。
不自由も「不自由こそが旨味の素」と思ってしまう楽しみ方もある。そのほうが逆に自由だと思う。より地上の自然とフィットしている気もする。パラドックスなのだけど・・

ああ、制限がある!
ああ、不自由だ!
自分は怒っている、自分は嘆いている、自分は切なさでいっぱいだ!
まっすぐに、まっすぐに、そう感じることがないだろうか。
良いも悪いもなく、外界の刺激に対して天然に沸き起こったその感覚。

わたしたちが感覚をまっすぐに眺めたとき、沸き起こってくる熱情がある。
この制限があるからこそ、これができる!あれも味わえる!やってみるか!
とても、人間らしい宇宙の楽しみ方。
制限があるからこそ湧いてくる、創造の高揚。
すっごく、面白いんだよなあ!

かまくらで遊んでいる子供に、出ておいでよ!狭っ苦しいところにいたら不自由じゃないか!と言っても、きっと「うるせー!それが面白いんだよ!」「それをするのも自由じゃん!」と言われる気がする。

つまり自由って「不自由でいる選択肢すらある」ということだ!
制限を嘆くだけでなく、制限をひとつの選択肢と見なして面白がってみると、それに対して「そこから出られる」という前提が生まれ、その制限から逆に抜けられるのです。

というわけで今日は、夜空がくれたインスピレーションのシェアをしてみました。実は今夜の空は濃灰色で、星は出ていなかったのだけど!
夜だったので、せっかくだからそれを利用して夜らしきことがしたかったのでした。やっぱりケチなんかな!!(笑)

ケチもひとつの制限だ。ケチをかまくらだとすると、いつでも外に出て太っ腹になれるのなら、この制限が楽しみになる。。
逆説的に、ケチであることを面白がり、ケチであることをひとつの選択肢にすることができたとき、その人はもうケチであることにも太っ腹であることにもとらわれない、その間を行き来できる自由な存在なのだ。
人の自由って、面白いものですね。

それではまた、明日ねー!

【チャレンジ】式にして数学風に解けるかな??

Q. 制限=苦 とするとき、この苦を脱し自由になる方法を述べよ。

A. 問題文より、苦を脱する=自由(式1)

この自由を、「制限なしに選択できること」と言い換えると、
制限自体も選択肢に含み、
自由=制限すらも選択可能なこと(式2)となる。

問題文より、制限=苦なので、式2の制限を苦に置き換えると
自由=苦すらも選択可能なこと(式3)

式3の自由を式1により「苦を脱する」に置き換えると
苦を脱する=苦すらも選択可能なこと

∴苦を脱するには、苦を選択可能にすること

苦を選択可能に・・・!
苦を自ら選べる。それを自由と認識する。
それほどの自由ってないのかも知れない!

しかし、簡素化できるかと思って勝手低能な式にしてみたのに、余計にややこしくなってしまった気が・・・・

広いところにある小さなかまくらにわざわざ入って身を縮めて遊ぶ子供は、広くなくては自由ではないと考える人よりも、ずっと自由ってことなのかもね!

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頭とハートを繋ぐネックとなっている首が整うことで、背骨本来の自然な動きが促されるようになり、骨盤と頭の関係性も飛躍的に向上し、頭の重さを骨盤で受け止められるようになり、頭の重さがすっと身体の中を抜けて地球の中心に落ちていくようになります。

子供の頃見ていた新鮮な視界・世界が瞳に飛び込んできます。

□このレッスンで期待される成果□
・顔や全身の歪みが芯部から整う
・視野が広がり明るくなる
・重力と調和して立ちやすくなる
・深い呼吸ができる身体になる


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)