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427/1096 憧れの人

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で427日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

427日目、ヴェネツィアの悪天候は続き、今日も悲しいくらいに白けた空だ。こちらの冬は湿度が高く、室内から冷たく湿った空気に覆われた景色を眺めるたび、つい屋外のものすべてに同情してしまう。木たちよ、、、外にいて辛くないかい?木々はこれでも快適なのだろうか。もちろんこんなの、勝手な心配だけれどね・・

こんな憂鬱な日だから、母に楽しんでもらうため、母の好きなロッキー全6作品を一気に購入した。背後で母の鑑賞する映画の音声とともにこれを書いている。わたしはロッキーに生きるうえでの勇気をたくさんもらったから、改めて購入したことであの映画にちょっとだけ恩返しをしたような気になる。もちろんこれも、勝手な思いだけれど。

そう、ロッキーはこんな天気の中、ごみごみしたスラム街を抜け工業地帯を通って、ロードワークをしていた。そしてあのフィラデルフィア美術館の正面階段を全力で駆け上がり、灰色の空に向かって両腕を挙げてガッツポーズをしたのだ。あの美しい場面。曇った空。

そうだ、曇り空はロッキーの空だと思うことにしよう。
するとこれからきっと、曇り空を見るたびに力が湧いてきそうだ。
毎日投稿を書いていると、こうして書きながらの思いつきに出会える。始めて良かったな。。きっと最後まで、駆け抜けられますように。

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今日、母にロッキーを観せたことで気がついた。わたしは、幼い頃に観たロッキーに見事にKOを食らっていたことに。

忘れていたのか、気がついていなかったのか。わたしの理想の男性は、ものの見事にロッキー・バルボアだった。そしてわたしの理想の男女関係ももちろん、ロッキーとエイドリアンだったのだ。

気がついていたのは、わたし自身がロッキーのようになりたかったということだ。わたしにとって、あのアイコンはそれほどの憧れだったのだ。

ロッキーはイタリアの種馬というあだ名を付けられた、イタリア系移民だ。
イタリア人らしい顔の、不器用で口下手で照れ屋のロッキー。ボクシングだけが生き甲斐の、心優しき、貧しき男。

夫の顔を初めて見たとき、わたしはその顔の造作に強烈に揺さぶられた。自分の中で、なにかが爆発したのを感じた。でも、それがなぜなのかがわからなかったのだ。夫は他の人から「スタローンに似てるね!」とよく言われる。今思えば、そのためだったのだと思う。

そんな夫は、ボクシングを20年以上やっていたのだ。90キロを超える筋肉の塊のような身体が、口下手でシャイなために身にまとった殻のようだった。あれから10年、今や夫は筋肉と脂肪の塊である。(笑)

出会ったばかりの頃の夫は、しょうもない家に貧しい一人暮らしをしていた。初めて入ったとき、男の不器用が全開になっている部屋の様子に驚いた。ボクシングや格闘技の雑誌が転がった、寒くて汚れた部屋。チャンピオンのポスターが張ってあるロッキーの部屋のようだった。
わたしは厳しい鍛錬ばかりをしてきた彼に、なぜかひどく情けを感じた。今になって思えば、きっとわたしは彼に、幼い頃に憧れたロッキーを勝手に重ねて見ていたのだと思う。

子供の頃に、親から受けた影響というのはほんとうに根深いものだ。
母はロッキーが好きだった。拳を振り上げて立ち上がり、ロッキー!負けるな!と涙を流してこの映画に興奮していた。わたしはあれを、そっくりそのままコピーしたのだと思う。ロッキーの貧しさ、誠実さ、不器用さ、あの筋肉質の大きな身体とイタリアンフェイスを知らぬ間に理想としていた。

わたしはそれによって、わたしにとってロッキーのようだと感じられる男性と出会っていたのだ。

人の思いとは、げに恐ろしきかな・・・!
思い描いたものは、ほんとうに手に入ってしまうのだ。
逆に言えば、今手に入っているもの、今持っている現実は、その人が思い描いたものなのだ。本人が、そうだと認識していようが、していまいが。

わたしは自分の人生に想定外のことがたくさん起こるのだけれど、つまりは、それはわたしの思い描いたことが起こるために必要な、「想定外のプロセス」なのだ。

たとえば夫とのことを例にしてみると、わたしが何度もロッキーと一緒にいる感覚を想像し、それを一種のゴールとして設定したとする。この場合、その感覚を現実にするためにはイタリア人顔の男性と知り合う機会が必要である。

わたし自身にはその方法はわからなかった。ただ、宇宙はわたしにはまったく想定外の方法で、ロッキー風の男性を目の前に連れてきたのだ。げに、げに恐ろしきかな・・・!わかっちゃいるけど、ここまでだとは・・・

まさに、わたしたちの現実は、わたしたちの心の写し鏡。わたしたちは、この宇宙の真理をたしかめるべく生きているような気さえしてくる。
わたしはまさか、イタリアに行くということが、幼い頃に何度も思い描いた憧れを実現するための1プロセスだったとは知らなかった。でも、ただやってきたものに飛び乗ったのだ。

どんな思いだって、それが現実になるための方法などわからなくていい。ただ思い描いて味わい、現れてくるボードに飛び乗って、あとは心躍る方にガンガン動くのみ、である。

叶いそうにないと思えてもいいから。
自分がイタリア人を知らなくてもいいから。
イタリアに渡る用事もなく、そんな費用もなく、
自分がエイドリアンのように清純でなくてもいいから。
わたしたちの潜在意識は、そんなことは軽々と超えてその人の思いを現実にする。だから、そこはお任せしちゃっていいのだ。

そういえば、母がロッキーが好きであれほどまでに揺さぶられたのは、ロッキーに、父と重なるところ、父に求めて叶わなかったものなどを見ていたからなのだろう。わたしはそれを受け継いで、成就できたような気がする。

ああわたしも、人生の最終ラウンドまで自分を楽しませ抜きたいよ。そして死の階段を登りきったとき、両拳を振り上げて、思いっきりのガッツポーズをしてやるんだ・・・!白い曇り空に、満天の自己満足を見ながら。

というわけで今日は、親から受けた影響は根強いね、それをガソリンにした引き寄せは強力だね、望みを叶えるときのプロセスは宇宙任せにしちゃおうぜ!というお誘いでありました。ほんっと人間って、すごいシステムだね!

それではまた、明日・・!




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