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979/1096【質問回答】恥ずかしい自分を見せられるようになりたい

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で979日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

979日目。人は孤独を恐れる。けれども、孤独は友だちになってしまうとつらくなくなる。これはほんとうだ。

孤独を認めないでいようとすると、人はとてもつらくなる。ずっと一緒だよね、つながっているよね、だから孤独じゃないよね、誰かと一緒なら孤独じゃないよね、と孤独から逃げている間はずっとつらい。

けれどもひとたび万人が孤独だと心から認めてしまうと、孤独はもはやつらいものではなく、ぬくもりの源である。万人がみな互いに孤独だから、自分だけが孤独なわけではないし、人はそもそも温め合いたい生物なのだと知っていられる。ふふ、地球人はみんな孤独なんだな。すごいな、かっこいいな、切ないな、強いな、素敵だな、と思っていいのだ。

どこまで行っても互いに孤独だね、どれほど一緒にいてもどんなにつながっても愛し合っても孤独だね、だからせっかくだから孤独な者同士、他者がいてよかったと思って寄り合っていよう。どこまで行っても孤独なんだもんね。ひゃ~うちら互いに大変よね~と思えると心があたたまる。

「よっ孤独者!元気か」「おお孤独者じゃねえか、元気だよ」というのが地球人同士であり、たとえ50年連れ添った夫婦だって、真実を言えば互いにずっと片思い同士の孤独者の寄り集まりなのだ。素敵なことだ…!

われらみんな、今日も孤独で生きていてえらいし素晴らしいし強いし可愛い。愛しき地球人に、幸あれ。

そんな思いでブログ執筆に向かうと、今日も書けることが「とんでもなくとてつもなく」、嬉しい地球上での体験のひとつに思える。
自分、孤独な地球人を体験中です!!みんなと同じように、誰にも優れず誰にも劣らず、今日も一端の地球人やってます!!ふおおーすげえなァ俺たち全員立派だぜ。

さて今日も、孤独な者同士、日本語でも使って交流しましょう。
孤独は、書く意欲にすらなる。人は孤独だから素晴らしい。
孤独は、われらの最高の熱の源だな。

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これまでは平均的に一度に3~4つのご質問にお答えしてきましたが、なかなか追いつかず、まだ未回答のご質問が約50件あります。うち、ブログ上では基本的に長文でないものを採用させていただきます。質問文が長かった人は、短文に書き換えて送り直していただけると助かります。

今日はこちらのご質問にご回答いたしますよ。

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「自分の一部を自分で愛する」のと「その部分を他者に見せる」のとは、まったく別のことです。

極端に表現すると、たとえばわたしは、街に出て素敵なお兄さん&おじさんに遭遇すると、裸が見たいなあと思います。もしも、自分が透明人間だったら、抱きつくだろうなと思います。もしもわたしがどんなものにでも化けられて、いつでも姿を消すことができるのだとしたら、なにをしでかすかわかりません。ドラえもんがそばにいたら、ろくでもない人になります。

そうなったらわたしは痴女となり、のぞき見犯となり、不法侵入者となること間違いなしです。ってなに言わすねん。

けれどももちろんやりません。やらないのは、そんな自分をひっくるめて愛していないからではありません。変な自分を愛することと、その変な自分を他者に見せるかどうかというのは、また別のことだということです。

わたしは地球人男性を好きな自分を、自分では良いと思います。誰がなんと言おうとそんな自分は悪い自分ではなくて、良い自分なのだと思います。愛あふれる自分です。けれども、それを人前では表しません。みっともないし、迷惑だし、場合によっては犯罪になるし自分を悲しませるからやりませんが、やらないからといってそんな自分を認めていないのではありません。

自分を認め愛するために、なにもかもを他人の前で披露しなくてはならないと考えなくていいですよね。

嫌いな部分や恥ずかしい部分を、ひっくるめて愛すぶんにはいくらでも愛してください。ただ、愛すること=隠さずにいること、と考えるのはおかしなことですよ。

なぜ、自分の恥ずかしい部分を人にも見せたいと思ってしまうのか。

それは「自分では認められないけれど、他人が先にそんなわたしを見て受け入れてくれたら自分でも認められる気がするから」です。

でも、あなたが自分で「デレデレする自分」を認められないまま、お酒の力を借りた上に他人の力まで借りてそれを披露して見せて受け入れさせたとて、果たしてそれにあなたは心からの喜びを感じるでしょうか。酔いが覚めたあとに、「ああ恥ずかしいことをしたな」と思うのではないですか。他でもないあなたがそう思うかぎり、誰に見せてもその感覚がつきまといます。

あなたがお酒の力を借りてデレデレしたいのであれば、まずはその「デレデレしたい」自分を単体で認めて愛せばいいのですよ。お酒は関係のないことです。

シラフの状態のときでも、甘えたいときに甘えられるようになりたい。遠慮なく可愛い女でいたい。これが奥にある本音なのではないでしょうか。ただ、それだとあまりにも恥ずかしくて難しい気がするので、お酒を飲んだときだけでもそれができたら、と思ってしまうのではないでしょうか。そうだとすると、それができるまでずっとこのジレンマが続くのです。

まずはそんな自分の本音を「かわいい奴め」とでもなんとでもいいので、受け入れて認めてあげてみてください。

それができてから、それとはまったく別個のこととして、「他者とお酒を飲むときにどんな自分でありたいのか」をまっさらに考えてみてください。「お酒の入ったときに他者にデレデレして見せたい」というのが、あなたという人の心からの願いなのかどうかがわかるはずです。

「あの人、日頃は甘えた姿を見せないけれど、お酒が入るとデレデレするよね」という認識を他者から持たれることに、あなたが心からハッピーになれるかどうかを考えてみて。もしかしたら、日頃から自然体であなたの甘えたい願望を叶えていられるのだとしたら、お酒はそのままの自分で上手に節度をもって飲めるほうがいいと感じるかも知れませんね。

自分を愛するということは、変な部分、ダメな部分、恥ずかしい部分、迷惑な部分、社会に不適合な部分などをぜんぶ人にさらして見せるということではないのです。

わたしたちは、他者に見せられないようなところや見せたくないところ、見せても仕方のないところなどがいっぱいです。そんなのがひとつもない人がいると思っている人がいますが、なに言うてまんねん。それは幻想です。

それでいいじゃありませんか。後ろめたいな、みっともないな、ダメだな、かっこ悪いな、恥ずかしいな、終わってんな、だらしないな、自分勝手だな、と自ら思ってしまうところを抱えたまま、そんな自分を愛し守り律してみんな生きているのですよね。こんなことができるって、すごいことなんですよ。これぞまさに、地球人にならなければ味わうことのできない苦と楽とのコントラストです。それで、思いっきりいいのよ!

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)