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976/1096 やりたいことがないという人へ

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で976日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

976日目。どうもおかしいと思ったら、体調が崩れた。昨夜からなんとなく胃が痛いと思ったら、やんわり風邪をひいているような。だるい、まだかすかに胃が痛い、そして微妙に寒い。ヒッヒッヒ…

わたしは何度も書いている通り無能なので、無能が体調まで悪いとクズ度が増す。こういうとき、わたしはとにかく楽しい。

なぜかというと、まず「ここまでウンジャラゲのクズなのに遊んでいていいってすげえ」「こんなにもひどい存在が素晴らしい存在たちと同じ条件でお日様浴びてるとか超お得」と思ってしまうからだ。

今日もこの世は安泰、順調、息災であるからして、わたしが無能でクズっていようが頑張って優秀でいようが、なんの心配もないのである。遊んでいていいのだ。ウエーイ

そして、これはクズってると認めた人間にしかわからないことだが、キラキラ輝いて生きるだなんていう幻想から解放されている軽やかな気分を改めて楽しむことができる。悪いがね、クズも活躍して生きている人と同じだけ輝いているのだよね、わたしの価値観の世界ではね。

ほら、朝露が当たってみなよ。美しい花だって路傍のゴミだって、おなじように輝いているでしょう。陽の光はどんなものにも分け隔てなく注いでくれる。自分にそれが当たっていることを、自分の状態がどうであれ確認できる人、そこにありがたみを感じられる人は、日を浴びてキラキラしたい!だなんて思わないものだ。

今日も無能で具合すらも悪いクズな自分は、これで今日も嬉しく輝いております。

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やりたいことや、使命や、好きなこと。
これを見つけて生き生きと生きたいという人がたくさんいます。

今日はその「こうしたい!」という欲求がどうやって生まれるのかを、お伝えしてみます。

欲求というのは芋づる式になっています。欲求を追ってみるとつぎつぎにまた欲求が生まれてくるのですね。いきなり結論を書いてしまいますが、新たな「こうしたい!」という感覚は、今の「こうしたい!」を現実にすると生まれてきます。欲求は、「こうしたい!」という欲求にゴールを与える行動をとってそれを形にしたことで、また次々に生まれてくるものなのです。

これを、欲求が卵子で、ゴールが精子で、交わることでそれらが出会い、次の欲求が生まれる。と考えてみてください。
だから、やりたいことを見つけるためには、今やりたいことを行動に移して自分と交わるのが必須だということですね。

こうしたい!をなかったことにしたり、
こうしたい!とは違う方向で突っ走ったりして、

本当のこうしたい!を無視していると、またフレッシュな「こうしたい!やってみたい!面白そう!楽しそう!これが好き!」が、生まれてこなくなってきます。(※おなじものをずっと好きでいるのも、「こうしたい!やってみたい!面白そう!楽しそう!これが好き!」がおなじ対象に向けて常にフレッシュに更新されているからです)

こうしたいという欲求を形にせずに押し込め続けると、自分がなにかを望んでも、どうせやれないという信念が残ります。すると、やりたいことに欲情できない、やりたいことを行動に移せない、したいことに勃たない『やりたいことED』に陥ってしまうのですね。

ちなみに、「いいなあいいなあわたしもやってみたいなあ」とゴールばかり眺めて実際に行動しない人は、欲情はしても自慰しかしていないので次なる「こうしたい!」が生まれてきません。

だからやりたいことがないときには、ちょっとしたことから、やりたいことをやってみてください。サンドイッチが食べたいのなら食べてください。友だちに会いたいのなら会ってください。

『サンドイッチを食べたいあなた』(欲求)という卵子に、
『サンドイッチを実際に食べる』(行動)という性交で、
『サンドイッチを食べて満足する』(ゴール)という精子が届きます。

すると、次の欲求が生まれてきます。

『サンドイッチを実際に食べる』という行為によって、『サンドイッチを食べたい』あなたが、『サンドイッチを食べて満足する』というゴールと結びつく。卵子と精子が出会って、ああサンドイッチ美味しかった!となる。この満足でやりたいことを妊娠して、しばらくたつと次の「やりたいこと」が生まれてくるのです。

そしてその次のやりたいことについての、

欲するあなたが卵子で、
実際に行動するのが性交、
満足するのが精子で、

また次の『欲するあなた』が誕生する。

卵子を女性に例えると、女性の欲には際限がありません。
精子を男性に例えると、男性は毎度の満足があります。

「無限」に対して「満足」を与えるということですが、これは無限に枠を与えて、無限を有限にすることなのですね。

すると次のフレッシュな「無限」が生まれてきます。

欲という無限の形のないものに、有限の形で決着をつけることで、また形のないものを生む…こうしてひとりの人の中での循環が起こるのです。

欲というのは、「誰かわたしを無限の中から捕まえて形にして枠を決めてこれがお前だと言って!」という、無限の自由からの、制限と限定への飽くなき渇望のこと。それに応えるのは「自由を奪って制限して限定して、お前の知らない喜びを形にしてこれがお前だとわからせたい」という、無限の自由への侵略です。

欲するあなたは無限の中で待っているので、その欲に興奮してやる気を勃発させて自分と交わって有限の形にして見せないと、次なる「こうしたい」を生み出せないのですね。

このように、やりたいことをやるというのは常に自分との交わりを繰り返していくということ。だから、やりたいことがないというのは、自分のやってみたいことを生み出せない『やりたいこと不妊』の状態だと言えます。

こうしたい!は生モノなのです。いずれ賞味期限が切れてしまいます。
こうしたい!を無視したら、それはダメになってしまうのです。着床しないので、流れていきます。ホルモンがだんだん弱くなって、生理が来なくなっちゃうのです。

だから、ちいさな「こうしたい!」を形にすること。フレンチ・キスでもいいから自分と触れ合うこと。ちいさな満足がホルモンになって、また排卵が起こります。これが先なのです。ほんとうよ?!

われら地球人は、その場その場でいいな~と思ったことをやるしか、やることなんてありません。自分と交わり直していくということ。自分と出会い直し、自分と交わり、新たに生まれた自分とまた出会う。そうして自分と恋人であり続けること。死ぬまでこれです。

だから、自分の好奇心を捨てたり無視したりしていながらにして、使命とか好奇心とかがあちらからやってくると思っているのは盲目なのです。

やりたいことがない人は、自分の「やりたいこと」に高い理想と条件を持ちすぎていて、なかなか手を出させないというガチガチの貞操観念をもっているのです。その操を捨てて、今持っているミニマムなやりたいことにどんどん手を出してみましょう。

頑張って気になっていたところの掃除をして自分を大満足させるとか、ちょっと怖かったことをやって自分の気がかりを減らすとか。”いいな”と思うことはどんどんやってみて。そうして今の『やりたい』を行動に移すことで、次のやりたいを生み出しましょう。これが唯一の道でっせ。

自分の欲を現実世界で形にして、それをプレゼントにして自分を口説いてください。そのときに自分が喜んでくれたら、きっとまた次の「こうしたい!」が出てきますよ。

というわけで今日は、やりたいことがないという人は、今持っている小さすぎて気がついていない「こうしたい!」のために動くことで、新たな「こうしたい!」に出会っていきましょうというお誘いのシェアでありました。

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)