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646/1096【生まれ変わる】セルフイメージで遊んでみない?

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で646日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

646日目、先程645日めの記事を書き終えて、すこし数独パズルで休憩してからこの記事を書いている。ちょっと忙しい明日に備えてのことだ。日本の日付が回ってさほど経たない。こちらイタリアは夕方だ。

まだ陽が高くて、時計がなかったら何時なのかわからなくなってしまうくらい明るい。西側の部屋には金色の靄が立ち込めている。窓から入り込んだ陽が部屋の中でまっすぐな旅を終えてふわふわと靄になる。

そういえばわたしは子どものころから20歳を過ぎても、こうした傾いた陽の射し込んだ部屋を見ると、どこか虚しく物悲しくなったものだった。

それが当たり前のようだと思っていたのに、いつの間にそうではなくなったのだろう。きっとそれも、どこかにたどりついて靄になったんだ。

今日はそんなわけでいつもとは違う環境で書いているから、この感覚に任せてどんどん書いてみよう!たまにこんな日があるのもいいな。

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普段からついつい言い切り調で理屈っぽくて小難しいことばかりを書いてしまいがちだから、今日は感覚的なことを書いてみよう!

みなさんは、ご自分に対するイメージってありますか。わたしにはいろいろあるんです。それも、変なのばっかりです。

まずわたしは、自分に茶色い馬のイメージがあります。馬の寡黙な感じや、筋肉や皮の感じに、どこか自分と重なるものを感じます。

「お前、寡黙さなんもないじゃん」というツッコミが今時点で時空を超えて聴こえてきますが、ええ、ええ、みなさんは正しいのですけれどもね、わたしは赤ちゃんだったころも大声で泣かず、フニャフニャと泣いていたそうで、小さなころも静かな陰キャだったため、自分自身に対する元々のイメージがそのような感じなのです。まあ、このあたりはまだ、普通の感じです。

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↑目つき含め、ほぼ相似形だとしか・・・!

他にも、折ろうにも繊維が多いためにポキンと折れることのない、よくしなる非常に強い木の枝というイメージがあります。細長く節張ったやつです。こうしたイメージは自分の体型からくるもので、長年に渡って自分と重ねて見ているものです。

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その他、ユンボのアーム、映画エイリアンのエイリアンなどなど、おおまかに「寡黙で細長く、筋や関節のある強いもの」という共通点のあるものを見ると「自分だ・・」と感じています。

こうして考えてみると、自分には「骨、筋繊維、関節」のイメージが強く、まとめてみると自分のことを「強靭な関節とその周囲」だと思っています。つまり自分は、「馬の脚」。つまり馬脚ということです。意味的にロクでもないです(馬脚とは、偽り隠していたもの、ぼろ、化けの皮のこと)。いやなんやねんこの話。と思いますよね、わたしも思います!

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↑自分です。さまざまなポーズを撮ってみました。

しかししかし、これはなにも容姿だけの話ではないのです。
わたしは今日、人は自分がイメージしている通りの人になるのだということ、さらにはイメージを書き換えると自分に大きな変化がある、ということをお伝えしてみたいのであります。

わたしはこれまでにもあちこちに書いたことのある通り、とても力持ちであります。ゲソゲソですが力持ちです。ターミネーターみたいなところがあります。たとえば本のビッチリ詰まった本棚を、模様替え時に本を抜かずに移動させることができます。

こうしたときに、どうやって重いものを動かすのかと言うと、下腹の位置にテコの重心を置きつつ、とにかく骨や関節を使っているのです。力技ではなく、骨の堅さをそのまま使っています。なので、筋肉をメインにしてはいないのですね。筋肉は骨や関節の強さを活かすために必要なサポートをしているというイメージです。すると、マッチョマンにならずとも、筋肉を傷めることなくほんとうに驚くほど強い力を使うことができます。

これは大きな力を出す時のコツなのですが、わたしはたまたま自分の痩せた身体へのイメージが骨や関節にあったため、自然とこのコツが身についていたものと思われます。わたしは自分の身体のイメージをそのまま使って動いていたのですね!

だから、自分の身体をイメージしたときに、たとえば骨よりも肉の部分の感覚や形へ意識が向くという場合、その人が自分の身体を使おうとするときには筋肉を使おうとするものだと思うのです。

わたしたちの多くが、自分の身体に持っているイメージを使って動き、そのイメージのもとで生きているということをほとんど意識していないのだと思います。

たとえば自分を大きく見せたいという意識が働いている人は、つま先を外に開いて歩いているそうです。反対に、自分を隠したい、あるいは守りたい、目立たせたくないと感じている人はつま先が内側に向いているのだとか。等身大でいる意識のある人はまっすぐ前を向いているということだそうです。

また、わたしの観察するところによりますと、自尊心のまっすぐな人は、股関節がまっすぐです。そうすると膝から肩までがピンとしていて、そのために猫背になっていない人が多いように思います。自尊心の低い人は股関節が身体の背側にあって、そこで身体が折れていて、身構えるような印象を受けます。

そこでわたしはちょっとした実験をしてみたのですが、わたしは自分の身体がちょっとだけ右側に傾いているということを足の専門家に言われてから、自分の身体のイメージに、「水平器」を加えてみました。

わたしには頭や鎖骨のあたりに水平器(あの、工事現場の職人さんが使っている道具ですw)が備わっていて、それがいつも働いている、とイメージしてみて、そのイメージをいつも持っているようにしてみました。

するとなにが起こったのかと言うと、我が家にあった、座面が植物の繊維で編んであってそれがちょっと傷んで崩れてきている椅子に座ると、強い違和感を感じるようになったのです。水平器が傾いていて、そのままでいることが不快になってしまいました。自分に水平器を備える以前には、なんとも思わずに座っていたのです。これには驚きました。

そのあと、机や椅子を含めたパソコン周辺の環境を一気にリニューアルしました。長時間いる場所なので、水平器がまっすぐになる環境に変えたのです。硬めの椅子に薄手のクッションを置いて座っていたのですが、それだとクッションの綿の具合によって水平器が傾いてしまうのです。これで肩こりがだいぶ良くなったのが大きな収穫でした。

それから、ちょっと面白い実験ですが、自分のことを「花」だと思ってみることにしました。エイリアンやユンボとはだいぶ違ったイメージです。
動機は単純で、なんか綺麗で可憐で華やかで、いい感じがしたからです。もちろん誰にも言わずにやっていましたよ?「わたしは花なの・・・!」と思っているのって、ちょっとアレですよね。

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↑ピッタリの写真が見つかりませんでしたが、こんな感じでした。一輪の白っぽいグラジオラスでした。

まず最初に感じたことは、「自分はこれですでに『咲いている』ってことなのか・・・!」という感覚です。でも、花として居てみると(文にすると変人に見える)、とにかくこれで咲いているのです。どう見られようともそんなことは気にもせず、風が吹こうとも槍が降ろうとも、咲いたままでいるということに、なんだかどえらい感動を覚えました。

それまでわたしは、「花」に対してか弱いイメージをもっていました。すぐに傷つくようなものとして見ていました。

けれども自分に花のイメージを持ってみると、夫とケンケンと言い合いになっている最中も咲いていて、仕事で心荒れることがあっても咲いている。花はいつも開いていて、自らしぼんだり蕾に戻ったりはしないのです。

咲いている花は、常に自然にしていて、常にベストを尽くしています。そのことに胸打たれました。強く見せようともせず、しぼんで隠れようともしない。謙遜もしないし、自分の美しさを黙って放ったままでいます。ただ外に向かって、「これがわたしだよ・・!」と黙って自分を尽くしている。花とは、なんと強いものだろう!なんと華麗なものだろう!と思ったのです。

そうしてみると、自分がいかに不安定なものかということを思い知りました。自分にとても良いことをしている気がしたので、しばらく慣れるまで、いつも自分を咲いている花だと思ってみることにしました。

これによってなにが起こったのかと言うと、自分はいつか咲くというイメージがあったのだという気付きが起こりました。まだ全開じゃないと思っていたところがあったのが、いつだってこれで全開なんだと感じられるようになったのです。ダメな自分も、咲いているのだからいいのです。それから、今回は水平器のときとは違って、他の人もみな花だと思うようになりました。

すると思わぬ変化がありました。好きなように表現していていいという感覚がムクムクと湧いてきたのです。わたしは最近マンガを描けるようになりたいと思ってお絵描きをはじめましたが、そこから思い切り方向性が変わって、漫画に自分を閉じ込めていられなくなり、模写やデッサンをはじめました。するとやる気が何倍にもなってとても面白くなってしまったのです。

わたしたちは思い切り咲いているんだ、ただ無償に花開いて、世界に向かって自分のベストでいていいんだ。そんな思いが、これまでにないほどにしっくり来て、自分を花だと思えることがとても嬉しくなりました。

自分の身体というものに対して「咲いている花」とイメージすることが、まさか「やる気も開放して好きなように表現する」ことをオープンにしてくれるなんて・・・・!可憐だと思っていたお花は、自分にとって自然に静かに自分を発揮し、強くあることについての認識を変えてくれました。

自分に対するイメージのうち、好きではないものをやめたり、好みのものを加えてみるなど、自分でデザインすることができるのって、なんだかとてもワクワクしませんか?!(≧∇≦)

わたしはこのセルフイメージの実験で、人はいつでも変われるのだということを、改めて身を持って感じることができました。みなさんもぜひ、取り入れてみてくださいね。

というわけで今日は、セルフイメージを使った素晴らしき心の遊びのお誘いでございました。やってみてね、ピンときた人はほんとにやってみてー!
それではまた、明日ね!!

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