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636/1096 もう”わたし”でないものよ

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で636日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

636日目・・暑い・・突然本格的な夏になってしまった!イタリアの夏は乾燥していてジメジメとした暑さが無い代わりに気温がものすごく高くなる。一昨日まで時々ヒザ下がスースーするような気温だったというのに、昨夜は一晩中扇風機をかけていないと眠れないほどだった。

先日暑いのが好きだと書いたばかりなのに、こんなに突然暑くなるとさすがに身体も慣れるまでに時間がかかるようで、軽くバテてしまった・・・!

というわけで夜の執筆。昼間よりも書きやすい気がする。さらには絵の練習を昼間に動かすにはブログを夜に書くしかないというのもある。

毎日同じことをしていると、定点観測をしているのと同じようにその日その日、季節や時期による自分の変化に気が付きやすい。地味だけど大切なことのような気がする。とくにわたしのようなズボラな人には良いのだと思う。

あと約三ヶ月で残り一年を切るのだ。大切に行こう!

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みなさんは、たとえば23歳の10月ころを覚えていますか。
わたしは少しも覚えていません。ただ前夫と一緒にいたことだけ、それしか覚えていないんです。

あなたがもし23歳以下なのであれば、たとえば11歳の5月はどんな気分で過ごしていましたか。一日一日の出来事を覚えていますか。当時の日記を保管している、あるいは何十年も日記をつけている人でない限り、なかなか詳しく覚えている人って居ないと思うんです。きっと、日記があったとしても、その日に感じた生の感覚は、もう再現できないのだと思います。

わたしたちは、自分にとって重要でないことをどんどん忘れていきますよね。人間は忘却の生き物です。今のこともきっと、重要でないことはみんな、あとになると忘れてしまいます。

忘れて生きている。取り出せる記憶はどんどん心からこぼれていく。わたしは先週食べたものも思い出せません。こぼれてこぼれて、よほど心を震わせたこと以外は、どんな記憶もサヨナラさえも言う前にお別れです。脳には記憶されていても、走馬灯を見るまではバイバイです。

わたしたちは生きた時間の分だけ、見聞きしたものを蓄積している感じがしますが、実際に味わえるその瞬間瞬間の生の感覚を味わえるのは、その瞬間だけです。

わたしはこの毎日投稿やさまざまなイベントでも、生きたまま死んでいてみませんかとお誘いしていますが、実際は毎瞬の自分に出会って別れて出会って別れているわけですね。だからわたしたちは、別の言い方をすればずっと生まれて死んで生まれて死んで・・常に常に別の人であり続けているといると言えると思うんです。そうすると、「わたし」とは何者なのでしょうか。

これまでを忘れながら今に出会い続け、捨てながら更新し続けて、宇宙の中で一瞬たりとも止まることなく脱皮し続け変わり続けているわたしたちは、いったい何者なのでしょう。

自分が何者なのかを知る方法はたくさんあります。今はアプローチ法もほんとうにたくさんシェアされていて、本当に多くの人がそうした事に取り組んでいます。でもわたしはそれらから刺激をもらいながらも、いつでも自分ひとりに立ち返って、「自分が常に別人であること」ことを感じ直し、新たに認知し直し、新たに知覚し直してみることが好きです。

まっさらに、そのことを初めて知ったかのように、そして実はずっと知っていたことかのように。

過去の自分よ、もうわたしでないものよ。あの瞬間の、あのわたしにしかわからなかった気持ちたちよ、体感たちよ・・・!もう愛しきそれらを、わたし自身も拾ってあげることができないよ。ごめんね、そしておかげでずっと新しくなれるんだね。だからさよならでいいね。

二度と触れることのないものたちよ。ほんとうにあきらめて、ほんとうに別れられると、それが永遠に宇宙に存在する体験だとわかるね。だから、覚えていようとしなくても、抱えなくても、握らなくても、よかったんだ・・・どうせ、できないのだから。そしてどうせ、ちゃんと今ここにある。それはいつでも再現できる「自分の所有物」でなくてもよかったんだ。

もうさようならしていたものたちよ、さようなら。

わたしたちの多くが、この切なさをすべて受け止めることができません。それがとてもさみしく、とても離れがたい思いだから。

わたしは、自分が死ぬときにはきっと、たとえばこの世に名を残したかどうか、などもどうでも良くなってしまうのだと思います。朝起きて現実世界に戻ってから、さっきまで見ていた夢の中で有名にならなかったことを悔やまないのと同じように。次回はあの夢の世界で名を残そう、などと思わないのと同じように。

なにも持って行けず、なにを残してももうそれを夢のことのように思うのなら、自分にとって心残りになり得ることってなんだろう。夢の世界で自分が心を震わせ楽しんだかどうか。それから、その世界で交流した誰かが、幸せであってほしいということだけではないかな。あとは思いつかないけれど、他になにかあるだろうか・・・・

過去の自分も、今の自分も、過去の誰かも、今の誰かも、なにひとつ檻に入れられないのなら。永遠のアルバムに保っておくことができないのなら。
そしてそれがわたしたち個々にはできないことだとしても、宇宙の記憶として、ただ無償に、永久にあり続けるのだとしたら・・・・

それならば、新しい瞬間瞬間に、真新しく出会って、自分を邪魔せずに目いっぱいに経験する以外に、なにかわたしにできることがあるのだろうか。

ああ、きっと忘れていくこの今よ!!
ここに今を見ているのは、今の自分だけだ!!
バイバイ、バイバイ・・・・!!
今見えるもの、それが今のわたしにとってのすべてだ!!

この、丹下のおっさん(あしたのジョー参照)のように熱く、冬の湖面のように静かな感覚で味わう今が、わたしたちの宝のすべてですね!だからその記録カメラに、もう再生できないのだとしても、自由に自分の映したいものを映していきましょう。

というわけで、今日はちょっと珍しく、ただつらつらとこのときに感じることを書いてみました。みなさんも良き瞬間を!!
それではまた、明日ね!

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