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391/1096 天然さんいらっしゃい3

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で391日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

391日目、明日は日本へ向けて出発だ・・!20時間を超える移動中に毎日投稿がちゃんと更新できるのか、これがまだ心配だ。

こんなとき、わたしはこうした心配を「一過性のもの」だと思う。わたしにとって移動中に別のことをするのが不得手なことなのだと思うのは早合点だ。
その心配だけに身を任せずとも、自分を観察すると別の感覚があることもわかる。「慣れれば心配せずにサクッとやれるようになるのを知っている感覚」もまた、今の自分の中にあるからだ。

その自分もちゃんと拾って、そこに安心して渡航しよう!とにかく今は今のことだけ考えて、今日の更新をしよう!

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11月に、なんとあの「いばや通信」の
坂爪圭吾さんとトークライブを行います。

イベントの場で、みなさまにお会いできるのを楽しみにしています!

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今日は『天然さんいらっしゃい』の第3回目。
登場するのはわたしの妹だ。

わたしには年子の妹がいる。
小さい頃、妹は気が弱くておとなしい子だった。よくわたしを頼りにしてくれた。そんな妹も、今や4人の子どもたちの母だ。

そしてこの妹は、独自の視点を持っているタイプの天然さんなのだ。妹はわたしにとって、最も発言を予測できない人物であり、最も変わった人なのである。

今日は妹の天然エピソードのうち、ちょっとイントロ的な位置づけの記事を書いてみようと思う!

わたしの妹は、最初の結婚をしたあと、とてつもない苦労をした人だ。
結婚してすぐに子宝に恵まれたが、その後の暮らしが暗転。小さな子どもたちがいながら、食べるものもままならないほどの貧困や元夫の起こす社会的なトラブルなどに悩まされた。
反社会的な立場の者が家に繰り返し来るなどのひどい思いをしながら、最後は小さな子どもたちを連れてほぼ無一文で、家出のような形で逃げるようにして家を出て、準備していた方法で正当な離婚を成立させた。
ここにはとてもではないが説明しきれないほど、大変な思いをしている。

そして、自己破産を経て生活保護を受けてアパートを借り、乳飲み子のいる状態でいくつも仕事を変えながら働き、さらにはその状態で病気に襲われて見るも無残なほど痩せこけ、そのまま熾烈な生活苦と戦って、自力で人生を立て直した強者である。

その後、再婚した夫とともに新築一軒家を建て、4人目の子供を生んで仕事をしながら子育てをしている。お弁当を作り、家事をして、子供の学校のために必要なことをこなし、近所付き合いをして、地に足をつけて生きている。

そんなしっかり者の妹が、天然さんなのは意外なことだ。
これまでも幾度か別のところで書いたことがあるけれど、この記事から読み始めるお方のために再度書いてみよう。

まだ最初の結婚をしていたころだった。妹はよくわたしに電話で相談をしてくるのだった。大抵は子育てや家事や人付き合い、生活のことや夫のことなどについてだった。それらの内容も多少常人とは違ったものがあるにはある。しかし、その中に一風変わった相談や話題が紛れているのである。

妹はあるとき、わたしにこう宣言した。
「あのね、川原亜矢子っていう女優知ってる?川原さんは、言葉遣いを日常生活から気をつけているんだって。それが、人前に出たときにも気品になるんだっていうんだ。だから、俺これから敬語を使うようにします」

わたしは、驚きつつも承諾した。半分冗談かもしれないと思った。数日もしたら忘れるだろうと。しかし、それ以降妹はほんとうに敬語を使って話すようになり、もう15年以上は経つと思うが、今もそのままなのである。

妹はその宣言のしばらく後に、それに関して追加の補足説明をしてくれた。

わたしのことを「むーちゃん」と読んでいた妹だったが、突然、今後は基本的に「お主」という呼び方にすること、でも家族間だから、普段から「お」までは付ける必要がないと思うから、おを抜いて「主(ぬし)」と呼ぼうと思う、ということだった。

わたしはいつものように、わかったと伝えたが、また半分は冗談なのかと思った。しかし妹は一度言ったことは貫き通すところがあるため、それも結局今日まで続いているのである。これにより、今現在も妹はわたしを「主(ぬし)」と呼んでいる。

このような、天然かつ侍である妹なのだが、妹はときに、例えばこんな相談をしてくるのだ。

「あ、もしもし?夜分にすみません、今忙しいですか?俺ちょっと、主に相談があるんです。俺、大変なことをしてしまったんですよ・・・」

かなり焦っていて、「本当にまずいことになってしまいました」と言う。
どうしたのかと真剣に心配して聞いていると、

「さっき俺、家の前でヤニを吸っていたんです。玄関の前で。そのとき、つい長渕剛の『とんぼ』が頭に流れてきたので、ウォ~オ~オ~オーオオーオオオオッオ~~のところから、ついつい口ずさんでいたんですよ・・それで、俺は俺っで~ありつづけたい~そう思ったぁ!のところを、長渕そっくりに歌ったんです。わかりますよね?思ったあ!のところ。我を忘れていて、俺・・・そしたら、ふと見たら近所の人が外に出ていてこっちを見ていたんです。恥~~~っ・・!どうしたらいいと思いますか、主!」

こういうときにわたしはいつも、さすがだと思う。どこかが決定的にわたしの敵う相手ではなく、妹のそのわたしの敵わないところは、有機的構造のひとつの生命体のようなもので、そのままで完璧であり、なににも穢されず侵されないものなのだ。そしてそう、それはちょうど、ユニコーンのような聖なるなにかを纏った架空の生物のようである。

だからわたしはこんなときも、いつだって真面目に答えるのだ。
「大丈夫だと思いますよ!そのことで嫌な人間だと思われるわけでもないし、ちょっと可笑しくて笑っちゃうだけで、深刻なことにはならないし・・・!」などと答えたのを覚えている。

妹はそんなとき、「そうですか、主がそう言うなら、、、そう思うことにします。今後あの人に会うたびに苦しむと思いますが、主のその感覚も伝わったので、信じることにします」などと、わたしの感覚を読み取るかたちで話を聞いてくれる。

それについては、相手の体感を読み取るためのスカウターのようなものを持っているのだという説明をしてくれたことがある。

ちなみに、スカウターとはこれのこと

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妹は、大抵のことには常人のものとは異色のコメントをくれる。
先日、義父が横転事故を起こした際に、ネット記事でニュースに使用された画像を送信したときにも、そこに写っている上下逆さまになってしまったトラックを見て、

「見てください、トラックの半開きの目を。死んだ生物の目です」
という、独自の視点からのメッセージをくれた。

「命のないものの目です。義父の代わりに死にました」
と続けるので見てみたら、トラックはまさに死んだ動物の目をしていた。

こうして、ときにハッとする、そして一風変わった意見をくれる妹だ。

わたしたちは日本とイタリアにそれぞれがいるために離れていて、ときどきラインのチャットで話をする。時差もあって、国際間の連絡のためなかなか思うようにコミュニケーションできないこともあるが、そんな中で最近妹のくれた質問と言えば、

「淡水魚が海水に入るとどうなりますか」
「ハリネズミは手で持つことができますか」

などの生物に関することであった。

先日わたしの好きな曲の動画を送って聴いてもらおうとしたところ、間違って別の動画を送ってしまったので急いで送り直し、すみませんでした!と言うと

「いえいえ、水道管から海を伝わってその気持ち届きました」

というお返事をくれた。わたしはときどき、妹はどんなふうに世の中を見て、どんなふうに感じて生きているのだろう、と思うことがある。
小さな頃から霊感が強かったり予言が当たる子供だったけれど、大人になってもやはり独特の天然要素を持っている。けれども、決してボケているのではないのだ。天然ボケ、ではないが、しかし独自の、非常に感覚的なものの見方をしていて、その感覚の説明が入ると常人とはかけ離れた会話となることがある。

妹はよく、こんな事を言う。
「自分が眼球の中にいて、その窓から下界を見ているような感覚ってわかりますか」
「意識を飛ばすと、どこにでも行けるんですよね。よく過去の空間の中を見に行っています。空中を飛んでね」

このように、独特の体感覚や意識の使い方についても興味深いことばかりだ。

わたしがプログラミングを独学していた頃にも、バグの原因が見つけられずに苦しんでいるなどと話すと、「俺も短大時代にプログラミングをやっていたとき、enterキーを押しても思ったとおりにならないと、enterをぎゅうううううううーーーーっと押していました。押しすぎてキーボードから外れてしまってね、いつも」
 
と言っていた。わたしは笑った。妹は、わたしが自分の人生で最も笑わされた相手であり、最も風変わりな人である。こんなに変わった人と、他に会ったことがないのだ。

妹からは、いつもいつも面白いなにかが飛び出し、それはいつでも予測不可能。妹は最高のきょうだい。わたしの人生の宝だ。
そんな妹の本格天然エピソードを、これからはここに時々書いていくことにしよう。

天然さんに接すると、わたしたちがいかに常識にとらわれているのかがわかる。それがわたしたちの深い気付きにつながることだってある。
常識とは、円滑な人間関係を保つための潤滑油にもなりうる。しかし、その常識に染まらない彼らは、油と決して混ざり合わない、水のような透き通ったところのある存在だとも言えるのではないだろうか。

というわけで、今日はこんなところで。
それではまた、明日!!

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