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959/1096【質問回答】母親にきつく当たるのをやめたい/子育てのモットーは/自分の存在に意味はないのか

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で959日。
※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

959日目。1000日が近い。1000日とはなんぞや。書き始めようと思った1日目のわたしにとって、異次元の領域ですらあった1000日目。一歩一歩行けばたどり着くということを理屈でわかっていても、実感が弱すぎて不可能に近いと思えていた1000日連投。なんということだろう。

このような、わたしたちが個人的な限界を破る体験というのは、わたしたちに「未来の人類にはブラックホールの全貌の観測と解明が可能である」ことを連想させる。

わたしが高校生のころ、ポケベルというものに代わって、持ち歩いて使える電話が世に出るという噂を聞いた。ポケベルがコードレスである以上、可能なことなのだろう。しかしあまりにも夢のような話だった。そのころのわたしには、それによって待ち合わせが簡単になりすぎるだろうという予測しか立たなかった。電話が持ち歩けるようになったらどんな世の中になるのかを考えると、頭から煙が出そうだった。あの時代の自分に見せてやりたい。あっという間に指で触るだけで感応する画面で操作する、パソコンのような電話が全世界に普及している未来を。

意識に、実現できないことはない。今はできなくても、必ずや今の限界領域がミクロの大きさに見える時が来るのだ。今のわたしたちの多くには想像もできないほど遠い遠いファンタジーが現実となるのを、わたしたち人類は目にすることだろう。

わたしは三年間毎日書ききってみせると書く度に、実感の伴っていないハッタリをこいているという強烈な感覚に耐えねばならなかった。未知だし、確認も取れないし、保証もないし、いわばそれは真っ赤な嘘なのだ。

けれども、実(まこと)というのは嘘から生まれ得るものである。

その嘘の実現化に宇宙が本気で付き合ってくれるのは、そのハッタリをこいた本人が、己の嘘に本気で乗っかってからである。宇宙を騙してみたきゃ、まずは自分を騙してこいよ。ということだ。欲しいものがあるのなら、まずは実際に自分がそのために動け、ということ。自分の夢叶えます詐欺にまんまと引っかかるべきなのは自分自身だ。

すみません、わたしは大根を売ることに現実味がないのですが、先に信じてお金出してもらえますか。と言っても誰も出さないのと同じ。自分がとりあえずは大根屋になろうとするくらいは希望を持っていなければならない。

売れるかどうかが未知な段階で、先に自分が買うなりもらうなりして大根を用意してこなくてはならない。自分は大根屋だというのがまだ実になっていない段階で、そうなろうとしなくてはならない。そこに向かうことなくして、どうやって大根屋になるというのだろう。

穴を覗いてみたら、穴の向こうもあなたを覗いている。

あなたがあなたの夢を、嘘だと思ったままにするのか、実にするのか。あなたが待っていると、現実世界のほうもあなたを待っているのだ。

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あなたがお母様を亡くしたあとに、今のことを後悔するのかも知れないと考えてみてください。反省のためではないですよ。ひとつのアイデアとして、そう考えてみてください。

その後悔しているあなたは、今のあなたになんと言いたいでしょうか。
止めておきな、後悔するよ、と言いたいのだと思います。

その自分の未来の自分からのメッセージを、今のあなたが受け取っている。
このことについて、考えてみてください。

そのあと、その自分が後悔のあまり今の時間に戻ってきて、今の自分になったと考えてみて。その自分だと思ってこの問題に向かってみるのです。

あなたはその未来のあなたです。そのあなたとして意識して行動してみて。

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子育てにモットーはないです。それを必要だと考えたり、決めようと思ったりしたことがありませんでした。

わたしにとって子育ては「子育て」と呼ぶのもおこがましいと感じるほど、娘には喜びばかりもらっています。子どもの存在に学ぶばかりです。申し訳なく思うことでいっぱいです。

子育てにはいつも葛藤ばかりするものですが、そうして葛藤しながらそこにモットーを持っていられる人ってすごいなと思います。

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もしも自分というものになんの意味もないのだとすると、この宇宙のなにもかにもに、なんの意味もないのですね。

自分のことを、犬の「い」のようにひとつの存在では意味がないのだとすると、なにをくっつければ意味が出てくるのでしょうか。

わたしや、あなたや、他のものなどが、全部くっついたひとつのものになったときに、意味があるのでしょうか。

すると、ではわたしやあなたや他のものなどが、「意味があるもの」を構成している固有の要素ということになりますが、そこには「意味があるものを構成する要素」という意味が生まれてきます。

どういうことかと言うと、犬の「い」には単体では意味がなくとも、少なくとも『犬の「い」』を担っているので、「い」は「犬」を作るのに必要不可欠なのがわかりますよね。「犬」に意味があるのだとすると、それを構成する「い」と「ぬ」には、意味のあるものを構成しているという意味が出てきます。「あ」や「う」に置き換えられない固有の役割が出てくるということです。

「犬」は「い」をなくしては存在できないので、「い」には「犬」という意味のあるものになる可能性をもってそこに存在しています。この役割が意味をなしていると見ることができ、完全に無意味と言うことができなくなってしまいます。

もしも「いぬ」に意味がないのだとすると、それは「あぬ」でも「いへ」でも変わらないこととなりますよね。

この世のなにかに意味を見い出せば、なにもかにもに意味が出てきます。
この世のなにかに意味を見いださなければ、すべてに意味がなくなります。

自分自身に意味を見いださないということが腑に落ちたとき、この宇宙の全てに意味がなくなります。すると、この世のいかなるものにも、重要度の差がなくなります。重要度の水平線化が起こったとき、重要度という概念が落ちます。自分の存在に意味がないと感じているかどうかを、これを基準にして考えてみてください。

もしもあなたが、ちり紙一枚よりもあなたの貯金のほうが大事だと思っているのなら、あなたはあなたの存在に意味を見出していることがわかるでしょう。

この世のなにもかもに意味はありませんが、意味が無いのと意味が有るのとのは同時に存在する概念です。意味がないと考えたときに、意味が有るという概念を同時に持ってしまいますよね。そこを突破したところというのは、言葉で表せる領域ではないのです。

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。

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