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455/1096 あなたは聖人

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で455日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

455日目、今日はクリスマスだ!!プレゼントを仕掛けるために夜更かししているついでにこれを書いている。

ここ数日降っていた雨は、夜更け過ぎに雪になるどころか昨日のうちに止んで、また今年も山下的ホワイトクリスマスは達郎できなかった・・・(笑)

でも今夜はいつになく霧が深い。外灯にミストがかかっていて、通りも見えないほど白濁した景色はとても幻想的。窓枠を画面にして観るSF映画のようだ。地面が見えない景色の中では、ぼんやりと灯る外灯がまるで宙に浮かんでいるみたい。

さて、2019年はあと6日を残すのみとなった。みなさんは今日をどう過ごすのだろう!わたしは毎日投稿を書く以外に予定はないので、これだけはしっかりこなすつもり。さあ早く仕上げて、プレゼペを見に行こう!

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今日は聖なる日・クリスマスだ!今日はクリスマスにちなんだことを書いてみようと思う!

わたしは、人にはいろんな層があって、性格や人格などを一口に言えるものではないと思う。いろんな自分がいるものだ。だから、どの自分が自分なのか、ということを決めつけなくても良いと感じられるだけで、ものすごく楽になる気がする。

昨日は誰かが人に救われた話で涙が出たのに、今日は他のやつを蹴落として自分が評価されれば良いのにと思ってしまう。そんなことってあると思う。そんなときわたしたちはつい、「人のことを思う自分なんか嘘の自分だ、ほんとうの自分は自分の都合ばかり考えていて心が汚いんだ」などと思ってしまいがちだ・・・・けれどわたしは、そんなことはないと思う。

少し前に、発生源はわからないが「腹黒い自分」をさらしていくというようなことが流行していた。わたしはそれらをたまに目にして読むたび、「言っちゃ悪いが、この人たちは、この程度のことを”わたしって腹黒い!””俺ってゲスい!”などと思うんだなあ」と本気で思った。時代劇に出てくる悪徳商人越後屋と悪代官の足元にも及ばない。やつらなど、自分たちがちょっと小判が欲しいがためになんの罪もない人を死に追いやり、さらにはその罪をなすりつけた無罪の人物を打ち首獄門にさせるのである。

ちょっとズルい意図があった、ちょっとずる賢い狙いがあった、という程度の話を、「自分のとんでもない腹黒さ、バンジー飛んで晒してみせましたんで」的にいうのを見ていて、言い方がひどいけどダッセーなと思っていた。

ワルっていうのはほんとうにものすごくワルなんだぜと思ったのだ。腹黒いなどと言って自分の告白を飾り付けなくても、自分は傷ついていて弱虫なところがありますと言ったほうがいいような気がする。

そういう腹黒告白を観るたび、わたしは「腹黒い、て!ただちょっと弱いというだけじゃん・・」「むしろ可愛いじゃん」「どんだけ天然の天使みたいなのを基準に?!」「ただのいいヤツじゃん」と思っていた。
ちなみに、自分の悪さももちろん、越後屋&悪代官の足元にも及ばない・・幼稚園児のお遊戯みたいなものだ。わたしも、弱虫なために薄汚れただけの半端なやつ。

多くの人が、自身のことを「心が汚い」と思っている。たしかに、ずる賢い人はいっぱいいる。相手を心配したフリして体のよい言葉で暗に相手を責めていたり、それとは気づかせないように相手の気持を操作する意図でうまいこと言ったり・・・誰もが日常的に目にすることだと思う。そんなところが多かれ少なかれ、誰にでもあるものだ。

わたしは人類のそんなところを、生き抜くために身に着けたもので、生存本能みたいなものだと思う。だから罪を憎んで人を憎まずでいいと思う・・

でもわたしは、そんなずる賢い人も、みなが聖なる存在だと思う。

そんなずる賢い人だって、赤ちゃんがベランダから滑り落ちるのを見たら、顔を歪めて叫ぶだろう。それを下にいた誰かが慌てて受け止めたのを見たら、膝が崩れるほど安心して歓喜するだろう。

子猫が車にひかれそうになったのが間一髪で助かったのを見たら、良かった!!!と言って駆け寄って抱き上げることだろう。
戦地で、ぬいぐるみを抱きしめて目をつぶって震えていた子供が兵士に見つかっていよいよ撃たれるというところを目撃したら、「たのむ、やめてくれ!!!!!!!」と思うことだろう。

あなただって、そうではないだろうか。これが、あなたの聖なるところだ。
わたしは、すべての人がもともとから性質として聖人なのだと思う。

ちょっとしたずる賢さも、『腹黒さ』ならぬ、、傷ついた弱虫腹汚れも、自分の圧倒的な良心を前にすれば塵のようなものだ。どんなにゲスくたって、自分の中の聖なるものにはまるで歯が立たない。そうではないだろうか?!

大抵の人が、動物が痛めつけられていることを知れば胸が痛み、地球の自然が荒らされていることにも心を痛めることだろう。われわれ人類って、そんな存在だ・・・!自分にも自分以外の存在にも、ほんとうは分け隔てない自然な愛情を持っている。

ただ、わたしたちの視野が狭くなりやすくて、生きる厳しさや幼い頃に得た恐怖の反応や、いろいろなことが重なって、ついつい自分のことで頭が一杯になってしまいがちなだけだ。でもどうか、それらを使って自分を汚いだなどと思わないで。聖なるものが宿っていることを、思い出して。
ほんとうに大切なこと。あなたは聖人だ。

クリスマスを、心の霧とホコリを払って、一年に一度自分の聖なるところを改めて思い出し、感じる日にしても素敵だと思う。

メリー・クリスマス!
すべての生きとし生けるものに、最高のクリスマスでありますよう。
この文に触れる運にあった聖なるあなたに、幸ありますよう。

それではまた、明日ね!!

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)