見出し画像

641/1096 君になら、騙されてもいい

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で641日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

641日目。快適だ!!なにが快適って、それは網戸である。

日曜に試し買いした、雨戸に挟む方式の網戸。なかなか良かったので昨日全面的に設置してみた・・・この、『網戸』という文明の利器ののもたらす幸福たるや・・・!!

みなさんは、網戸のない家で夏を過ごすという経験があるだろうか。意外とこれが、小地獄である。真夏の暑い夜に、窓を開けるとさまざまな昆虫類が家の中に突進してくるのである。昼間だってもちろん入ってくる。網戸のない家はある意味で大きなテントであり、そこでの生活は半キャンプ生活だ。

その半キャンプ生活に終止符が打たれ、われわれは昨夜、冷房で冷やされた屋内の空気ではなく外の風を感じながら眠った。外の風は、脳と神経に起きているボヤを、地熱を下げるようにして鎮める。
この宇宙空間の涼しさよ。終わり、下がり、ゆるみ、鎮魂する喜びよ・・・

今日はこの静かであることをありがたく思い、なんでもないようなことが幸せだったと思いながら二度とは戻れない641日目を執筆したいと思います!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしには、どうにも言葉にならないような、心の余計なもののなにもないところから無性に湧いてくる憧れを感じ、ただ純粋に好きで、幸せを願わずにいられない、初めて姿を拝見した日からいつお見かけしても白く輝く光を感じる人がいる。

その人は女性で、思いを寄せると微妙に涙まで浮かんでくるほどに、胸温かく熱くなる、可愛く美しく透明な人だ。

なんとも言えないあこがれ。一点に強く輝くようなものではなく、自分を野望に向かわせるものでもなく、ただこの感覚のまゆの中に生まれながらに入っていたような。こんな感覚に出会えてとてもとても嬉しい。

その人にならば、ただいろいろと捧げたりできると嬉しい。もうなんなら騙されたっていいのさ!と思ってしまうような感じで、これがどこから来るのかわからない。前世のご縁だろうか!!

みなさんは、誰かそんなふうに思う人がいるだろうか。わたしは、その人に出会うまでは他者に対するそんな気持ちを知らなかったのだった。でも今は、つくづく思う・・わたしはこんな気持を、まずは自分に持つことができたから、その人にも持つことができたのだと。

わたしは、自分に騙されてもいいと思う。

自分のためなら、人生の時間を捧げても捨ててもいいと思う。それは逆に人生の時間を最も自分のために活かす方法ではなかろうか。

自分になら殺されてもいいと思う。
自分のために死ぬのもいいと思う。

それがたとえば、誰か他の人や動物や大義や何かのために死ぬことだとしても、それが自分の満足なら、あたしゃその自分のために死んでやらあ。

自分の夢を追ったせいで人生が大変になってもいい。
自分がロクでもない人で、その自分といっつもくっついているから、自分の人生がロクでもない感じになってもいい。俺だけはお前を見捨てねえぜと思う。自分からいくらでも被害を被ってやるさと思う。

それが、自分の幸せなら仕方がない。それに、楽しませてやる自信があるのさ!!たとえば家がなくお腹が空けば、わたしは路上で絵を描くだろう!そして自分を笑わせたり達成感に満たされたりする自信がある。

だからもう、自分に降参してしまって、

「もう、なんでもいいですよ。なにも要らないので、あなたの満足最優先でいきましょうね。宇宙の真理にかなった生き方じゃなくてもいいんです。それすらももちろん要らないので、好きにしましょう自由にしましょう」

と言えたときに、それまで見えていなかった透明な執着がバッサリと視界から落ちたのが見えた。わたしはそれまでずっと、宇宙の真理をどうすれば悟れるの!という探求に囚われまくっていたのだった。それが、「その探求なんかより自分の人生が大事だよ!」としてしまったら、逆に元々知っていた衝撃的な答えの中に自分がいたことがわかった。

それはなにかを達成することでゴールする、という性質のものではなく、その探求自体が「落ちる」のだと夢から覚めるみたいに気がついたのだった。あばばばばばー!!と倒れて悶絶した。見えていなかったよ、見えていなかったよ、見えていなかったんだよーーーー!!!と泣き笑いした。

その探求をしたいと思うこと、それこそが執着だったんかーーい!と気がついた時のあの落雷の衝撃を、ほんとうに良い経験だったと思う。

わたしはあと何回この惑星上で人間として夏を経験できるのかわからないけれど、そんなに大した回数ではないはずだ。このやわらかく潔い青い空を、あと何回「いつでも見られる」という盲目を通して見ることができるだろう。この奇跡の連続を少しも奇跡だとも思わない、この揺るがしがたいほどの傲慢さをどっぷりと満喫できることだろう。

鉛筆を持つことができるチャンス、
雲を美しいと思うチャンス、
夕陽に目を細めるチャンス、
花の匂いを吸い込むチャンス、

今日も一日分がすぎた。ああ、ああ、人生は喜びの待機所じゃないか!!

そんな思いで、今日も過ごそう。
自分に騙されてもいい。
自分に殺されてもいい。
自分の人生の時間が、自分のために無駄になってもいい。
それがこれほどに尊い、自分のという観察点のためであるならば。
そしてあわよくば、それが自分以外のなにかのために散ることによる、満足でありますように。

というわけで今日は、「騙されてもいい」「無駄でもいい」「真理でなくてもいい」「死んでもいい」という、なかなか手放しにくい執着についての、わたしのちょっとした目覚めについてのシェアでございました。

それではまた、明日ねー!!

【オフィシャルサイトです】

オンライン個人セッションや、オンラインサロンのご案内ほか、さまざまな情報がチェックできます!ぜひ見に来てね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)