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【質問回答】嘘をついたり、おべっかを使ったりしてきた。これからは本音でコミュニケーションがしたい。どうすればいい?

こんにちは。壇珠さんの管理を任されております、壇珠さんをちょっと高いところから観ているハイヤーセルフ、通称『上壇珠』です。(通称ってのは嘘です…念のため。笑)

壇珠さんは、掃除をし始めるとその掃除に集中し、料理をし始めるとその料理にのみ集中し、家事モードになると家事モードのみが発動して、気がつけば一日が終わっている…という特徴を持った人物なので、今日はブログを書き始めさえすればそれだけに集中するだろうということで、ブログを書いてもらうことにしました。作戦がうまくいって、これを書いています。

自分になにを入力すると、なにが出力されるのか。
これを冷たいほど冷静な目で観てつかんでいく。そうすると、

この人はこの音楽を聴くと、無条件に気分が良くなるようだ。
とか、
この人はここで別のことを考えれば、怒りをすぐに忘れるようだ。
などの、便利な情報が集まってきます。

自分を観察し続けてこの入力・出力情報を常に更新しながら、それをうまく駆使して生活するのがなかなかに面白い。自分がロボットのようにも思えてくるし、感情というのは意外なほど切り離すことができるのだとわかってきます。自分についての発見をするのって、ひとつの大きな喜びですね。

そんな喜びの中、今日はこちらのご質問にお答えしますよ。

※質問は届いた順番通りに回答しています。ブログに取り上げずに、質問箱上で直接答えることもあります。まだ未回答のものがありますが、必ず回答しますのでお待ち下さいね。

ここ数年、『本音』という言葉をとにかくどこでも見かけるようになりました。本音を隠して生きると、自分が窮屈で辛い、かといって、本音丸出しで生きると、他者との軋轢を生む。じゃあどうすればいいの?!というところに悩む人が増えたように思います。

そんなときには、まずは他者に対してではなく、自分自身に対して誠実になることに挑戦してみましょう。

そのためには、私たちがよく使うこの「本音」という言葉の定義について、着目するのが先決です。

本音というと、私たちは安易に「真っ先に思ったこと」「人に向かって言いにくいこと」「ひとつしかない思い」というイメージを抱きがちですが、これは真実でしょうか。

例えば、ある人がお菓子を作って持ってきてくれたとします。

このとき、あなたは実は誰にも内緒でダイエット中でした。そのためあなたはまず真っ先に、お菓子をもらうことを「迷惑だ」と感じたとします。これは相手に言いにくいことですよね。ですから、こうした思いを私たちは「本音」だと思ってしまいがちです。

これが言えればスッキリするが、その人との仲が壊れる。
でも、言わないと自分がモヤモヤする。
ここで引っかかり、立ち往生してしまう人が多いのです。

けれどもここで、よく考えてみてください。

あなたは、その人があなたのことを思って作ってくれたことを、その瞬間は忘れています。もしかしたらその人は、あなたともっと親しくなるきっかけが欲しかったのかもしれない。先日会ったときに、あなたがちょっと元気がなさそうだったので、なにかをしてあげたかったのかもしれない。

あるいは、お菓子作りが楽しくなってきて、うまくいったレシピで誰かに喜んでもらいたいと思ったときに、あなたのことが頭に浮かんだのかもしれません。あなたのことを、少なくとも、なにかを作ってそれを無償であげたいと感じる相手だと思っているのでしょう。

このように、自分の都合に限られた最も狭い範囲ではなく、もっと広い範囲でこの状況について観察して、相手の感覚や気持ちもそこに含めて考えてみる。その時あなたは、その人のその行為に対して、本当に迷惑で厄介な行為だと言い切ることができるでしょうか。それしか、感じられることはないのでしょうか。

めちゃくちゃ大げさに言えば、神仏に向かって、「あの人のあの行為は悪である」と言い切れるでしょうか。少なくとも、悪意に満ちた、天罰を受けるべき行為だとまでは、思わないのではないでしょうか。

「まぁ、あまりに自分のことばかりを考えないで冷静になってみたら、相手に悪気があるわけでもないのだし、こちらのことを好いてくれているのは嬉しいことなんだよな。だから、迷惑だと伝えて、あの人をグッサリと傷つけたいとまでは、思わないんだ…それはそれで自分も後悔しちゃうよ…」

そう思ったのだとしたら、これもあなたの『本音』なのです。

私たちには、ひとつの事柄に対して、いくつもの本音を持っています。

まず真っ先に、条件反射的に思うこと。
一歩立ち止まって考えてみたところで、感じられること。
じっくりと深く思いを馳せ、自我を手放したところから、感じられること。

これらのどれもが、あなたにとって嘘ではないと言えるのではないでしょうか。ですからまずは、「本音」という言葉の一般的なイメージに囚われずに、自分を観察して、自分にはいくつもの思いがあるのだということを感じられるようになってみましょう。本音はひとつではないのです。

そこで、より誠実であるためには、それらの本当の思いのうち、どれを大切にすればよいのでしょうか。どれを優先すればよいのでしょうか。

これはもう言わずとも明らかですよね。
真っ先に条件反射的に湧いてきたものではなく、自分をよく観察してみて、はじめて分かること。自我から離れたところから見てみて、感じられたことです。誰に教え込まれたわけでもない、世間の常識に合わせただけでもない、自分の深いところから湧き上がってきて、自分で味わえる感覚。
(条件反射で湧いてきたものと、本来の直感や第六感で感じられるものとは、別物だと考えてください)

これを優先するほうが、自分と他者をどちらも大切にした、後悔の少ない、人間らしい選択だということですね。

自分の中にある本音のうち、『自分のことだけではなくて相手のことも含めて考えた時の、自分の冷静な感覚』を最も優先しながら、相手との関係性を考慮して、伝えるべきことを決めて、できるだけ後悔のないように伝えればいいのです。

そうしたときに、上の例で言えば、人によってはシンプルに相手を尊重して
「わあ、美味しそう!これを作るのに時間がかかったでしょう。嬉しい~ありがとうね」

と言う人もいれば、相手との関係によっては、

「これあなたが作ったの?すごい!私今ちょっと痩せようと思っているから、調子に乗って一気にひとりで全部食べないようにしなきゃ!」

と言う人もいれば、冗談を言い合えるような親しい相手ならば、

「ちょっと!こんなにうまくできたのを、もらっちゃっていいの?うわ~ありがとう!でもさ、あなた私にあまり美味しくて甘いものを与えないでね?太ったらうらむぞー?笑」

と言う人もいるでしょう。

でも少なくとも、「え。ダイエットしてるんだけど。こういうの迷惑」と言い放ってしまうよりは、相手の気持や、冷静になった時の自分の後悔を視野に入れた、かつあなたの深く落ち着いた、慈愛に満ちたところから湧いてくる本音を組み込んだお返事になっているはずです。

私は「本音をぶちまけよう」「言いにくいことでも自分の心のままに言っちゃおう」「相手を傷つけてもいいから自分に正直になろう」という、昨今よく見かける考え方には乗ろうと思いません。

もちろん、誠実であろうとしたときに、言いにくいことを毅然と伝える必要のあるときもありますよね。それができる人は立派です。ですから、こういうことは時と場合によるものですが、パッとした思いつきをそのまま言葉にして相手を傷つけたり、言いにくいことをあえてどんどん言ってしまえばよいというのは、浅はかです。

それに憧れる人も少なくないですが、でもなにも考えずに最も簡単に思いつくことを、少しも深く考えずに言うなんて、至極かっこ悪いことではないでしょうか。まさに動物的なあり方ですね。いや、動物以下です。

人に向かって、思いつくままにブスだとか馬鹿だとか間違ってると言って、「言いにくいことを言ってやったぜ」という満足を得る。これを「本音で生きている」ということにする。そういう人は、その人自身がまだ幼く、誰かに認められたくてやっていることですので、真似しなくていいのです。

あなたは「口数が減っても、自分にも相手にも誠実なコミュニケーションを取りたい」と書いておられますが、こう思ったということが、素晴らしいことだと思います。

余計なことを言わないと決めると、はじめは口数が減ることもあると思います。でも、それでいい。その間に、自分の深いところにある本音について考えるということをしてみる。面倒でも、それをどう伝えるのかを自分で真剣に考えてみる。

すると、どんどん気づきに出会って、コミュニケーションの質が上がっていくと思いますよ。私もこれを磨いていきたいと思っています。ともにがんばろう~!

というわけで、どこか参考になるところがありますように。

それでは、またね。



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