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本当の味覚を取り戻させてくれた料理人との出会い

はじめに。今日これから書く内容は、ちょっと長めです。一度に書ききれなくて、下書きに入れて、幾度となく加筆修正していました。写真と食と旅と、それが自分が最も興味あることであり、noteにそれを綴っていきたくて始めましたが、32日間毎日続けてきたことで、それなりに見て下さる方も増えてきて、とてもうれしいです。ありがとうございます!

ただ、きっと写真に興味あっても、食のことはそれほどでもという方、あるいは、その逆の方、あるいは、移住暮らしのことに興味がある方、色々だと思いますので、noteの機能でもある「マガジン」を作成してみました。なので、今後は、それだけ見たいよ、って方はマガジンの方でフォローして見てくださいね。もちろん、全体をフォローしてもらえたら嬉しいですが、強制はしません(笑)

さて、では本題に入ります。

私達夫婦は、今でこそ、なるべく添加物を使わず、身体にいいといわれるものを日々の食卓には取り入れていますが、私も旦那も、元々は、美味しければなんでもあり、でした。かといって、添加物を気にしていなかったわけではなかったけれど、とはいえ、完全に避けるのは無理と思って諦めていた部分もある。特に、旦那は美味しい物を食べ歩くのが大好き、色々な場所へ行って、そこでしか食べられない、その土地ならではの美味しいものを食べるのが大好き。

私は、といえば、食べることに対するこだわりよりも、どちらかというと、色々なところへ出かけて、見たことがない綺麗な景色、風景、あるいは、その土地ならではの街並みを歩くことが大好きで、そんなところへ出掛けられたら、それだけでよかった。といっても、せっかく出かけたのだから、そこでしか食べられない美味しい物を食べられたらもういうことないし、お互い、それで一緒に出掛けて楽しめるならいいよね、そんな感じで、お互いの趣味を、旅、という共通のカテゴリーに当てはめることで、楽しんでいた。

そして、それは、いつしか、彼が大好きなラーメンを食べ歩く、ということにつながっていく。私も、ラーメン自体、嫌いではなかったけれど、もちろん、時々、食べに行くこともあったし、でも、結婚当初、彼に何を食べる?ラーメンは?と聞くと、たいてい、ラーメンは・・・と気乗りしない答えが返ってきていた。だから、この人は、あまりラーメンが好きじゃないのかな、と思ったことはよく覚えている。それでも食べに行くラーメン屋は何軒かあった。ただ、あちこち、冒険して、知らないお店を食べ歩く、ということはなかった。あとで聞けば、それをやり始めたらとまらなくなるだろうな、という予感があったからのよう。いわゆるラーメン沼というやつか。

また、当初は、化調、いわゆる化学調味料というものも、そんなに気にしてはいなくて、ただ、化調が強いものを食べると具合が悪くなるというのはあったけれど、それが化調のせいだ、ということに気づいたのは後になってからのこと。

そして、だんだんと、遠出しない休日は、近くのラーメン屋へ行く、ということが増えていき、その頃になると、彼は、ネットなどでラーメン屋の情報を調べるようになって、今度はここへ行ってみよう、あそこへ行ってみよう、また、当時彼の仕事は不定休、いわゆるシフト制だったでの、基本的に、曜日を決めて週3日というパートをしていた私とは、休日が合わないことも時々あり、彼が休みで私が仕事、ということもあった。そんな日は、ひとりで、行ったことがないラーメン屋を調べて行って、美味しかったらまた私を誘っていくということもあった。

そんなある時、気になるラーメン屋がある、と言う彼。ネットで調べていたのだけど、でも、その評判を見て、ちょっと躊躇する気持ちもお互いにあった。そのラーメンは、ラーメンというよりは、和食のスープを食べているような、とてもあっさりとしたスープで、何か物足りない、というものだった。そんなこともあって、気になりながら、実際に行ってみるまでちょっと時間がかかったのだけども、でも、気になるので、やっぱり行ってみよう、とあるとき、出掛けてみた。

そして、初めて食べたときの私の感想は案の定、何か物足りない、あっさりしすぎている。美味しいとは思うけれど、すっきりとしすぎていて、また食べたい味ではない・・・・と。

ところが、気付けば、逆に、そのラーメン屋、というよりは、その店主と出会ったことで、私達の味覚は大きく変わり、こちらに移住してくる直前まで、食べに行くラーメン屋といえば、ほぼ、そのお店ばかり。逆に言うと、それまで美味しいと思って食べていた他のラーメンが食べられなくなった。

ラーメンだけではない、ファミレスの食事はもちろんのこと、それまで美味しいと思って食べていた、ほとんどのレストランの食事さえも、食べられなくなった。

それが、いわゆる、その店主がこだわっていた『化学調味料不使用』であり、その化学調味料こそが、本来の味覚を壊していたのだと、そのお店に通い続けたことで、ハッキリわかるようになった。

その店は、当時東京の町田市にあったのだけれど、その後、店名を変えて、八王子に移転した。特に、その八王子へ移転後のその店主の作るラーメンを食べると、とても優しい気持ちになれる、とてもほっとする、そんなラーメンだった。

当時の私の仕事は、お客様のクレーム対応などを担当する部署にいて、クライアントとの間に入って、板挟みになったり、あるいは、女ばかりの職場だったので、人間関係も難しく、上手く立ち回ることのストレスも大きかった。疲れて、ガチガチに身体が凝り固まるような感じのときに、特にそのラーメンを食べに行きたくなった。スープを一口飲む毎に、身体の隅々まで染み渡っていって、疲れた心と身体がほぐれていくような、とても優しいラーメンだった。今思うと、まるで薬膳料理みたいだな、と思ったりする。

なので、仕事に疲れると、よくそこのラーメンを食べに行っていた。


でも、そう最初は、物足りない、次はない、と思っていたのでしょう?ではなぜ、また行ったのか?

それが、移転前この店がよく行っていた限定ラーメンにあった。

例えばこれ。

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天然とらふぐを使ったラーメン

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あるときは鯖。

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あるときはイカ。

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あるときは 甘鯛

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↑↓これは何だろう。

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見つけられた画像はこれぐらいだけど、当時の携帯カメラで撮っているので画像も悪くて美味しそうに見えないけれど(汗)これがどれも本当に美味しくて、しかも安くて、この値段でいいの?これ大丈夫?というような金額だった。(こっそり後で聞いたら、全然大丈夫じゃなかったらしい・・・笑)

他にも天然ぶりとか、あるいはウニラーメンとか。あ、表紙のらーめんは牡蠣です。

採算度外視のそんな限定らーめんをよくやっていた。

初めてその店を訪れて、次はないかな、と思ったときに、たまたま店内に貼ってあった「限定うにらーめん」の告知ポスターに目が留まった。そして、帰宅してからネットで改めてその店のことを検索して見ていたときに、過去に何度かあったその店の限定うにらーめんについて、ブログなどに書いていた記事をいくつか発見。どうやら相当美味しいらしい。ならば、行ってみよう、ということで、その限定のうにらーめんを食べに行き、初めて食べた剥きたてのウニの旨味、濃厚なウニの旨味がぎゅっと凝縮したスープに驚き、以来、しばらくは、そういった限定らーめんばかりを食べていた気がする。そうやって限定らーめんを食べているうちに、当初物足りないと感じていたシンプルな普通のラーメンも美味しいと感じられるようになっていく。

と同時に、それまで美味しいと食べられていたものが食べられなくなる。脳が、すっかり騙されていたんだな、とわかるようになった。

その頃、私達がはまって通っていたある場所がある。福島県の奥会津地方。冬は大雪に閉ざされ、完全に孤立してしまうような集落もあるところ。そこで出会った高遠蕎麦に魅了され、そして、その地域の自然やそこに暮らす人々に魅了されて、最初は日帰りで行っていたのが、一泊、それでも物足りず、二泊、いや、もっとと三連泊、最後は四連泊していたかも。そんな奥会津で出会った高遠蕎麦とは違うあるお蕎麦屋さん。たまには冒険して、他のお蕎麦も食べてみようか、と入ったそのお店。私達の他には誰もいなかった。ざるそばに天ぷらを付けた。その天ぷら用にと食卓に置かれていた抹茶塩を見てちょっと心配になった。アミノ酸等、化調を使っている。

まぁ、でも、化調慣れしていたらこういうのが欲しい人もいるよね、と思いながら蕎麦が出てくるのを待つ。そして、食べたお蕎麦は、最初、とてもいい蕎麦の香りがした。あ、これはいい蕎麦だなと思った。ところが、食べていくに従って、あんなにいいと感じていた蕎麦の香りが、まったくしなくなった。しかも、飽きた。美味しいと感じられなくなって、やっとの思いで最後まで食べ終えた。それで、これってひょっとして・・・・と二人して、タレか?と、タレだけで飲んでみて、あ、この旨味・・・出汁をちゃんと取ってない、とわかった。蕎麦湯を入れて温かくしたら、それがまたハッキリとした。

こんなに美味しいお蕎麦なのに、もったいないことこの上なくて、二度とその店には足を運べなくなった。

化学調味料を使わずに、だれもが美味しいと感じる料理を作るのは、とても難しい。手間もかかる。苦労して作っても、それを感じ取れない人も多い。だったら、簡単だよ、その魔法の粉をふればいい、そうなる。

でも、その魔法の粉の旨味は、口に入れた瞬間、脳にダイレクトに働きかけて、本当は味なんてないものを、美味しい、と感じさせるもの。

だから、口に含んだ瞬間に「美味しいー」という人の言葉を、私は全く信用しない。そんなにすぐに美味しいってわかるわけないやろうって。

その素材の持つ本来の味、旨味をしっかり引き出したものは、噛むに従って、だんだんとその旨味がじんわりと広がっていくもの。最初は、あれ、味がしないかな?と思ったりすることもある。でも、噛んでいくに従って出てきた旨味は、飲み込んで口の中になくなった後も、あぁ、美味しい、染み渡る~と、その心地よい余韻がしばらく広がっている。魔法の粉を使ったものは、逆に、後味が悪すぎて、今は無理。しかも、素材の持つ本来の旨味まで感じ取れなくしてしまう。

だから、いい素材を使っているのに、もったいない、と感じることもある。こんなものを使わなくたって美味しい筈なのにって。

脳にダイレクトに働きかけるそれ、化学調味料とは、本来持っている味覚を壊し、満腹中枢すら、麻痺させる。だから、食べすぎになる。必要量以上に食べてしまうことになる。

本気でダイエットしたいなら、まずは、これ、化学調味料を徹底してやめたらいい。といってもね、今は、表記が「化学調味料」ではなく、「調味料(アミノ酸等)」だからね。わからなくされている。自分もそうだったから。しかも、アミノ酸、だったら身体にいいんだね~と勘違いしやすい。

更に今はもっと巧妙になって、食品添加物に属さないけれど、働きは化学調味料と同じである酵母エキス、たんぱく加水分解物、が添加されていたりする。それならば、化学調味料不使用、と堂々と表記できる。でも、働きは一緒なので、本来の旨味を損ねてしまう。

とある人が、ちょっといたずらな実験で、自分のとても親しい友人がシェフとして働くお店に行ったとき、その魔法のエキスをほんの数滴たらして、シェフに食べてもらったら、そのシェフが真っ赤な顔をして怒り出したと。お前は、一体何てことをしたんだ!こんなものを入れて、俺が作った料理を冒涜するのか!と。それぐらい、少量で、本来の旨味を破壊してしまうもの。

化学調味料不使用に騙されないようにね。これは、かつて、すっかり騙された自分への、あの時の自分へのアドバイスでもある。

とこれだけ書いたら、すっかり化学調味料を悪者にしていますが、でも、その存在を、否定しているわけではないです。

物には、全て、どんなものにもアイデンティティーがある。

どんなに身体に悪いといわれるような、例え添加物であっても、それが生まれてきたことには、全て理由があり、当初は、それが悪い物だと思って作られたものではなかったはず。そして、それらを全て排除することは出来ないし、世の中は、いいものばかりで廻っているわけではない。いい物も悪い物も、両方あって、その両方のバランスを取りながら成り立っているし、ひとつの物に、ひとつの事に、いい面も悪い面も両方あったりもする。ある面からみればいい物でも別の面からみれば悪い場合もある。

なので、自分が感じたその悪いものを全て排除していく、という考え方は、とても危険な考え方でもある、とある歯科医師から教えられた。

特に健康志向の方で、歯の詰め物や被せ物に金属を使うことが身体にあらゆる変調をきたしているといわれて、それを金属ではないものに交換してほしい、という人が増えていると。でも、歯というのは、とても微妙なバランスの上に成り立っていて、ちょっとかみ合わせがずれるだけで、身体全体のバランスに影響するんです。今、どこも悪くないのに、あえて、いいバランスをたもっている歯をいじることほど、危険なことはないんです、と。

実際に、そうして、高いお金を払って、金属からセラミックに変えたりした後に、具合が悪くなる人が増えています、と。しかも、強度からしても、金属に勝るものはないです。金属は断然長持ちします。交換しなくていい、ということは、それだけ口の中をいじらずに済むので、バランスを変えずに済む、ということ。

それでも、その医師は、どちらの利点、弱点も説明したうえで、あくまで選択はお任せしますと、どちらを選びますか?そう言って、こちらが選んだ選択を否定することはしない。そんなことしたら、先生、ちっとも儲からないじゃない、ということになってもね。先生の理想は、歯科医なんて要らない世の中になること、そう言われていた。もっと早く、こんな先生に出会いたかったなと心からそう思う先生。

話を食べ物のことに戻すと、化学調味料やその他の添加物や、砂糖や乳製品や小麦製品が身体には悪い物であると、当初、全て排除する志向に一時、すっかりはまり込んでいた自分達がいたのも事実。

でも、その歯科医師との出会いによって、それがとても危険な志向であることにも気づかされた。

世の中は、良いものばかりで廻っているわけではない。そして、なんでもかんでも良いもの、悪いものとわけて、悪いものは排除する、という考え方になったら、どうなりますか?それが、人にも当てはまったら?頭のいい人間だけ、あるいは、背が高い人だけ、あるいは、容姿が、例えば、ある一定の基準を満たしている人を美人、美男子としてそれに当てはまらない人はダメ、と排除していったら?それは、ま、極端な例かもしれないけれど、確かに、想像もしたくない世の中だな、って思う。

添加物も、それが生まれた背景というものが必ずあって、よかれと思って最初は生まれたはず。だけどね、それが、間違った方向に向かってしまったり、間違った使われ方をしているのかな、というものはたくさんある。

化学調味料が出始めた頃、世の中は、ちょうど女性が社会に進出し始めた時で、私の母もそうだった。

それまでずっと母の手作りだった餃子が、冷凍食品の餃子になって、焼くだけになったとき、そのまずさに驚いて、二度とこの餃子は食べたくない。お願いだからまたおかあさんが作って、と頼み込んだことを覚えている。でも、その頃、母の仕事も忙しく帰りが遅くなっていき、二度と手作り餃子を作ってくれることはなかった。そして、気付いたら、いつしか、その最初は美味しくないと感じた冷食の餃子が、美味しい、と感じるようになった。恐らくそれが、化調が使われ始めた頃だったのではないかと思う。

そんな忙しい母にとって、その家族にとって、美味しい冷食は手軽で便利で有難いものだった。そういう意味で、いいものだった。安く、手軽にどこでも美味しいと感じられるものを食べられるようになったのは、まさにそういった添加物のおかげ。今でも、ときには、その恩恵に授かることもある。

ただ、結果的にそれが、味覚を壊し、素材本来の味わいを感じられなくしていくことにもつながっている。

そのことに懸念を抱き、危惧する人々もいる。日本の風土に根付く、日本古来の伝統ある素材、その風味と味わいを大切にするのであれば、その個性を大切にするのであれば、そこにそういった脳にダイレクトに働きかけてくる旨味というのは、その個性を失くすものでしかない。

日本には、その土地その土地の美味しい食材がたくさんある。それを守りたい、と思ったら、そういった旨味調味料は使いたくない。

大変でも、手間暇かかっても、その為に高くなったとしても、その素材の持つ本来の旨味を引き出したものを味わいたいと思うし、そういう料理を作る人を応援したいと思う。

添加物だから、身体に悪いから、ではなく、あくまでも、私達にとっては、その旨味は本当の美味しさではないから。だから、Noなのだと。

そういったことを、それまで全く気にしていなかった自分自身が体感出来たからこそ、自分にとってそれは絶対にNoというものになったともいえます。

なので、長くなりましたが、元々、私達の食へのこだわりは、それが身体にいいから、ということから始まったのではなく、あくまで、本当の美味しさを求めていった結果です。

それを、教えてくれたのが、ラーメン屋を開く前は銀座で寿司職人をしていたということで、特に魚介を使った限定らーめんは素晴らしく美味しくて、らーめん自体の完成度も高く、化調慣れしていた私達にも、化調に頼らなくても美味しいらーめんが作れるんだよ、ということを教えてくれた人。

そして、本来の味覚を取り戻させてくれた人であり、それはまた、私達にとって、人生を変えるほどの出会いでもありました。

なので、今でも食のことを語るときに、その料理人との出会いを抜きには語れません。

長くなりましたが、最後まで読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございます♡

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