冬の光り と、この街に移住してきて6年目のこの一年のおわりが近づいてきて思うこと
冬、というわりには、だいぶ暖かくて、長崎の冬らしからぬ朝から青空が広がっていた12月のある日、キラキラのススキに逢いに平戸の川内峠まで、出かけてきました。
ススキ野原の最盛期は過ぎていたけれど、斜面一体に広がるススキの眺めはやっぱり圧巻でした。
本当は、このススキ野原は、夕陽と絡めて撮りたかったところ。でも、相方の仕事の関係で、時間的に3時までがタイムリミットで、夕陽とのコラボは無理でしたが、青空とススキのコラボも冬のひかりの温かさが感じられて良かったなぁとほんわかした気持ちで帰路につきました。
途中、ひらど新鮮市場に寄り道して、夕食用に、天然ぶりの刺身用柵を購入して帰りました。二人で食べるには多すぎるぐらいの量で、480円。こちらでは、天然物よりも養殖の方が値が張るようですが、養殖のこってりすぎる脂よりも、天然物の自然な脂の方が胃にもたれないし、断然好みです。脂がしつこすぎず、身もコリコリ過ぎず、でも、鮮度良く、抜群に美味しいぶりのお刺身でした。
以前撮った、同じ川内峠の夕陽とススキの写真。
このキラキラが撮りたかったのだけれどね。
安満岳に陽が沈む頃。
この川内峠を初めて訪れたのは、まだ長崎へ移住してくる前の2013年6月でした。
一面の草原が広がるその先は海、しかも丘の上まで登れば、360度の大パノラマ。とはいえ、初めて訪れた時は、霧であまり眺めはよくなかったけれど、幻想的な感じがまたなんともいえない雰囲気を醸し出していました。関東では見た事がない雄大な眺めに、とても感動したのを覚えています。今でも、時々、ふと訪れて、この自然の中に身を置きたくなります。今では、十分、同じような自然の中に居る日常なんですけどね。
以下は、2013年6月の川内峠です。フィルムで撮っていましたが、なんと、日付が入っていました(;'∀') しかも、全然合ってもいない、というね(-_-;)
上2枚は富士フィルムのクラッセです。
この川内峠には、ある言い伝えが残っています。この眺めを見ていると、そのいいつたえを思い出し、昔、この道を毎日超えていた人がいたんだなぁと遠い昔に思いを馳せるだけで、なんとも言えない悠久のときを感じたりします。
遡ること、今から650年ほど昔、平戸のとある貧しい商人が、毎日この川内峠を越えて川内へ塩を売っていたとか。彼は峠に差し掛かると、必ず道端の石に一つまみの塩を供えて、前方にそびえる霊峰・安満岳に「願わくば、九十九島の数ほどの船を持つ身分に成し給え」と祈願していたとのこと。その後、彼は商人として大成功を収め、殿様以上の富を誇り、大渡長者と称されるようになったそうですが、世継ぎのなかった彼は、平戸松浦16代領主に娘と領地を献上して隠居。現在、最教寺の裏にある二基の五輪塔は大渡長者夫妻の墓であると伝えられているとのこと。
この川内峠には、その大渡長者の伝説とそれにまつわる「塩上げ石」が残っているのですが、その塩上げ石の写真は撮っていませんでした。
ちなみに、それなりにアップダウンがありますので、この辺り一帯を歩かれるときは、覚悟して、歩きやすい運動靴で行ってくださいね。こう見えて、足元は、かなり歩き難いところもあり、雨のあとは、相当ぬかるんでいたりします。
そして、この一枚はハッセルブラッド。
最近、全然使っていないハッセル。使いたいのだけど、フィルム代が馬鹿みたいに値上がりしているのを見るにつけ、いや、買えない、無理・・・とポチ出来ない自分がいます(^-^;
同じ場所の12月の眺め。
やっぱり、初めて訪れるなら一面の緑の草原となる春から夏が断然お勧め。
毎年2月上旬に野焼きが行われますが、野焼き後は、当然のことながら、また景色が一変します。というより、知らずに野焼き後に訪れたときは、あー何もなくなってるーとちょっとガッカリしてしまいました。この草原を維持するには必要なことなんですけどね。
こんな雄大な景色が眺められる場所ですが、訪れる人も、それほど多くはなく、この日、すれ違ったのは、地元の方と思しき、ウォーキング中の女性一名と、観光客のカップル一組のみ。陽射しがとても温かな日だったので、途中丘の上の石に座って、景色を眺めながら、持参したコーヒーでのんびり過ごしました。
そんな場所が、車で1時間かからないところにあるこの街が、たまらなく好きなんですよね。
先日、たまたまガイド中に、某バスツアーのご一行と九十九島の展望台で一緒になり、聞けば、関東からの皆様ということで、自分も関東出身であること、Iターン移住でこちらへ来たことなど話していたら、そのツアーのガイドさんも、そして、私がそのときご案内していた元々は関東住みなのだけど、ご主人の転勤で今はこちらにいて、でも、九州は、長崎や佐賀など、この辺りがとても自然も豊かで住みやすくて気に入っていることなど、そんな話で盛り上がり、そのガイドさん曰く、都心に暮らしていて治らなかった喘息がこちらにきたらなくなったと云われていて、本当に空気もいいし、皆さんも、移住したらいいですよ、なんて言われていたので、ただね、仕事がないからね、とそこは注意してくださいね、と私が云うと、そのガイドさんも、そうそう、仕事がないからね、定年退職後に来たらいいですよ、と(笑)。移住促進している県や市の立場からすれば、働き手のある若い子育て世帯の方に移住して欲しいというのもきっとあるのでしょうが、そうなるとどうしても仕事がネックになってきます。やはり、仕事には苦労している相方のこともあり、本当に、そこはね、よくよく慎重になった方がいい。
都会にいるときとは全く違う、例えば、農業や漁業、林業などにチャレンジする、あるいは、IT関係など、地方にいても出来る仕事などの場合を除いて、都会と同じ暮らしを維持するのは、かなり大変だと思います。
それでも、色々もがきながら、私達のチャレンジはまだ続いていて、実は、朝が激早い相方の仕事、今月で辞めることになり、来年からは、また今まで通り、通常の時間に寝起きする生活に戻ることになります。私としては、仕事をまた辞める、というマイナス面よりも、普通の暮らしに戻れる、という安堵感の方が大きいのですが、まだ、実際に仕事が始まってみないとなんともいえません。きっとでも、以前の職種の方が相方には向いているんだろうなと思っていたりしますし、そこを極めていくことが、将来的に、本当に相方のやりたいことにつながっていくのかなと思っています。
あとは、私自身がこれからどうしていくのか、それを見つけていくことが来年のわたしの課題かな。
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