晴れた日は外出しないと発狂する病
よく晴れた日の、家にいる時間は気が滅入る。
部屋にいて、
「これはどう考えても本日は晴天ですね」
とわかるとき、憂鬱になる。予定がない場合は、憂鬱な気分に拍車がかかる。
太陽の光は、室内の温度をすこしずつ上げていく。辺りにむんとした香りが立ちこめる。
「さあ、絶好の外出日和だよ」
と言わんばかりに。
日が暮れ始めると、
「このままでいいのか」
とベッドの上でもがき始める。晴れた1日を、無駄にしていいものかと悶々とする。窓からちらりと見える、雲ひとつない爽やかな青空が、こちらをジワジワ見てくる。
なんとか、コンビニあたりに散歩をすると、少しは落ち着く。一度も外に出ずに夜を迎えると、日中の余熱と共に罪悪感が襲いかかってくる。
それに比べて、雨の日に過ごす家の時間は、心地良い。
「雨が降っているのだから、家にいたほうがいいよね」
と自分の中の自分が満場一致で賛成している。ゆったりと引きこもりを始められる。鼻歌を歌いながら珈琲を淹れたくらいにして。雨音が、部屋でゴロゴロする自分の存在を全肯定してくれる。
晴れの日はこうはいかない。
「珈琲なんぞ丁寧にドリップしている場合か」
となってしまう。とにかく焦りに駆られてそわそわしてしまう。
「家事とか、そういう細かいことはいいから、はやく、はやく外に出ろ!」
と頭の中で叫ばれる。
だから、晴れたら外に出るようにしている。家にずっといると気が気でなくなるから、とにかく一度出る。近くの本屋やカフェに逃げこむ。
おかげで妻には「外出しないと発狂する病」と診断された。
最近、新たに気づいたことがあった。昔の記憶がぼんやりと蘇ってきた。
自分がまだ小学校の頃。あの日も、太陽の光がサンサンと降り注ぐ良い天気だった。自分は、その日、サッカーの部活を休んだ。とくにケガや体調が悪かったわけではない。なんか気分が乗らなくて行かなかった。
どこか、罪悪感があったのか、普段はめったに使わない学習机に向かい、なぜかわからないが保健体育の教科書を熟読(するフリを)していた。
そうしたら、家の外から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。父親だ。外に出てみると、竹刀を持っている。
「なんで部活に行ってないんだ」
恐怖でしかなかった。保健体育の教科書を読んだことによる保身バリアは、いとも簡単にはじけ飛んだ。ただ立ちすくむ。太陽はジリジリとこちらを見ている。父親も自分も汗を流していた。
「これだ、このときの恐怖だ」
恐怖体験を思い出したことで、気づきを得た。晴れた日に家にいると、自分がいけないことをしているような感覚になる。ズル休みをしているような。自分だけが、ルールを破っているような。
理由がはっきりしたことで、すこし楽になれた。もう大丈夫。これからは、恐怖に負けたりしない。晴れた日に家にいることは、けっして悪いことじゃない。
そう言い聞かせた、いい天気が続いた5月の月末。
梅雨はまだ先か。
耐えられるのか。
stay home。
この恩はきっとゆるく返します