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【ショートストーリー】テラーの輝き

 人はストーリーを求めている。広告においても然り。当たり前の宣伝をして物が売れる時代ではなくなった。商品が溢れ返る世の中で、何かを売ろうと思ったら、差別化をはかること、そしてそのために「ストーリー性」のあるメッセージを発信していくことが標準になった。

 私がマーケティング業界において、いわゆる「ストーリーテラー」と称され、情報の巧みな発信者として名を馳せたのにはちょっとした訳があった。私には秘密兵器があったのだ。私はそれを密かに〈テラー〉と呼び長い間大切にしてきた。

 それは母の形見の指輪だった。私が〈テラー〉を左手の中指にはめ、右手の指でさすれば、私の中から流れるようにいくらでも斬新なアイディアが出た。誰もが気分爽快になるストーリー、誰かに優しくしたくなるストーリー、パワフルに人生を切り拓いていけるストーリーなど、広告に応じたストーリーがどんどん溢れ出た。こうして私は業界で知らない者はない存在となった。

 しかし私もまもなく定年を迎える。ずっと現場で走り続けてきたが、もう〈テラー〉をさすってアイディアを出す必要もなくなる。この指輪を誰かに譲るべきかどうか悩んでいた。例えば、私が育ててきた部下の誰かにーーしかし、これは、というほどの人材もおらず考えあぐねていた。

 職業人生の最後となる広告案件に取り掛かろうとしていた頃だった。私は指輪をなくしてしまったのだ。〈テラー〉なしには、どんなに時間をかけても、人の心を奪うような斬新なアイディアは浮かばなかった。言い訳を重ね、プレゼンの日程を遅らせてきたが、いよいよそれも限界が来た。

 プレゼンの席には、長年のライバルでもある競合社の自信満々の顔が並んでいた。とりわけプレゼンターの男性は私を見て、唇の片端だけを上げてニヤリと笑った。彼の視線を避けようとした時、彼の指に光る物が目に入った。それは紛れもなく、私の〈テラー〉だった。なぜ、私の〈テラー〉が彼の指に?いつの間に盗んだのだ。何より、どうして〈テラー〉のことがわかったのだ。

 私がその日のために用意したストーリーはこれまで〈テラー〉が生み出したものに比べ、はるかに精彩を欠いていた。競合社はおそらく華々しい案を提示してくることだろう。私は逃げて帰りたい気持ちだった。

 彼らのプレゼンが始まった。プレゼンターの左手の中指には確かに〈テラー〉が輝いており、彼はそれに右手の指をかけた。万事休すか……。ところが彼らの行なったプレゼンには何一つ心打つものはなかった。これまでの彼らのパフォーマンス同様、強引でありきたりで、退屈なものだった。〈テラー〉が機能していないことに気づいた彼らは、次第に投げやりになり、最後には完全に匙を投げていた。プレゼンターにはあるまじき姿だった。伝える内容も、伝える心もゼロに等しかった。

 私の番になった。どのような結果も受け入れる覚悟はできていた。私の最後のストーリーを静かに語ろう。派手な脚色は不要だ。それでいいーーそう思った時、私の左手の中指に輝きが宿った。指輪の〈テラー〉ではなく、右手を重ねても触れることはなかった。しかしそれは〈テラー〉の魂と言ってもいいものだった。私はこれ以上ない幸福感で満たされ、それを誰かに伝えたいと願った。

 そしてそれはまちがいなく伝わったようであった。私は最後のプレゼンを勝ち取ることができ、無事に退職の日を迎えた。今でも見ようと思えば左手の中指に〈テラー〉の輝きを見ることができる。私だけに見えるストーリーテラーの静かな誇りを。

 
 

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