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【シリーズストーリー】小説家マドカさん 三たび登場

 このアパートに越して来た時、僕は彼女と別れたばかりだった。一緒に住んでいたマンションから追い出され、貯金も乏しかったので、家賃が安くて即入居可のアパートを探した。雨露が凌げれば上等。それで、とりあえずこの「円ハイツ」に決めた。僕の部屋は2階の203号室。大家で小説家のマドカさんが101号室に住んでいる。マドカさんだから「円ハイツ」って昭和の映画みたいだ。
 
 201号室に男子大学生、あとは103号室に加藤さんという30歳くらいの女性が住んでいる。彼女とは朝、たまに玄関で顔を合わす。チャーミングな人だ。加藤伊都さんというらしい。なぜフルネームを知っているかというと、郵便物が間違ってうちのポストに紛れ込んでいたから。そのまま「103加藤」と書いてある郵便受けに入れておいた。「いと」さんかあ、いい名前だなあと思いながら。

 僕は、代々木八幡にある自然食品を扱う小さな会社に勤めて5年になる。住むところにはこだわらないかわりに、口に入れるものには大いにこだわる。それで大手食品メーカーを1年で辞めて、今の会社に転職した。給料は減ったが自分らしく働けている。僕は少しでもアディティブなものやケミカルなものを口にすると盛大に腹をこわす。食生活を見直して、肉魚はもちろん、卵や乳製品など動物性のものは一切食べないビーガンになった。実はこれが原因で元カノと上手くいかなくなったとも言える。彼女は「肉食いてー」というタイプだったから。今思うと付き合ったのがそもそも間違いだったんだろう。ビーガンになって僕は感覚が研ぎ澄まされた気がする。味覚、嗅覚はもちろん、あらゆることに以前より敏感になった。その一つが〈霊感〉だ。

 円ハイツには3匹の猫が住みついている。この猫たちがただならぬオーラを発していることに僕は気づいた。どうも〈この世の生き物〉ではなさそうだ。先日201号室の大学生が、朝っぱらから大声で大家に文句を言っていた。猫たちが3匹揃って押入れに侵入していて気味が悪い、と言っているのが聞こえて、ピンと来た。

 となりの部屋202号室は現在空室だ。ここを拠点に猫たちが〈この世〉と〈あの世〉を往き来している、と僕の〈霊感〉は察知している。きっと202号室と壁一枚の201号室の押入れを通路としているのだ。押入れの奥に穴でも開いているんじゃないかな。

 それを確かめるために、ある深夜、僕は屋根の上の物干し場を通って202号室に侵入した。201号室側の押入れには予想通り穴があった。ちょうど猫が通り抜けできるだけの大きさの。この部屋が本当に〈この世〉と〈あの世〉の往き来の拠点だとわかるサインがないだろうかと探っていた時、鍵のガチャガチャという音に続きドアの開く音がした。僕は全身の血の気が引くほどびっくりして、とっさに押入れの下段に隠れた。入って来たのはなんと、大家のマドカさんだった。こんな時間に何してるんだ?自分のしてることは棚に上げて、不審に思った。

 マドカさんは、床にマットを敷くとあぐらをかいて座り、指を膝の上で組み、目を閉じた。月あかりでこちらからは顔の表情までよく見える。なに?瞑想?ひょっとしてマドカさんって霊媒師か何かで、ここで〈あの世〉と交信でもしてるの?僕は息を殺して見守った。20分くらい経って、マドカさんは「よし」と言うと腰を上げて部屋を出ていった。僕も緊張でヘロヘロになったので、その晩は部屋に帰ることにした。

 翌朝、僕が出勤する時、マドカさんが後ろにヌーっと立っていた。まさか夕べ、僕が202号室の押入れにいたことがバレたか?とドキっとした。開口一句、こう話しかけてきた。


 「牛尾さん。僕ね、面白いことを発見したんだよ」
 「はい?」
 「あのさ、うちのアパートの住民の名前が全部ひと繋がりになるって。知ってた?」

 「…… 」 

 「まず、私が〈マドカ〉。それから103の〈カトウ〉さん。君が〈ウシオ〉さんだろ。そんでもって201の〈オギノ〉くん。ね、マドカ、カトウ、ウシオ、オギノ。綺麗に繋がってるでしょ?」


  いつのまにか、玄関に来ていた加藤さんが、
 「ほんとだ〜!マドカさん、大発見ですね」と隣で笑っていた。
 「夕べ、瞑想してるときにふと着想してね」


 え?あの瞑想のこと?〈あちら〉との交信じゃなかったの?そんなことを着想するために、わざわざあの部屋に来たのか。僕は夕べの月あかりの下のマドカさんの神妙な面持ちと、目の前で子どもみたいにはしゃぐアホなおっさんとのギャップにいたたまれなくなって、憮然とした。

 「牛尾さんっておっしゃるんですね」
 そのときふと、加藤さんが僕の顔をのぞき込みながら言った。
 「あ、はい。牛尾です。加藤さん、でしたね」と僕も聞いた。今初めて知ったみたいに。
 「はい、加藤伊都です」
 「伊都さん。いい名前ですね」と僕は口に出して言った。

 僕の〈霊感〉の検証は、中断されたままだ。伊都さんが、下北沢のビーガン食カフェでバイトしていると聞いて、食材のことなど色々話した。それがきっかけで、僕たちは急接近していて、何かと忙しい。あの時はくだらないとバカにしたマドカさんの瞑想のおかげとも言える。

 マドカさんは、毎晩202号室で瞑想してるらしい。本来は小説のアイディアを得るためだが、時に雑念が混じってこの前のようなことになる。伊都さんによると、猫には「ワタナベノボル」という名前をつけて、それを題材に今、執筆中だとか。別の小説からワープしてマドカさんの小説に来る、っていう設定らしい。ふーん。ひょっとしたら、マドカさんと僕は案外、感性が近いかもしれない。


(第4話へつづく)

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