【ショートストーリー】ルーツのいくらかはあの町にある

 私鉄駅の下りホームで電車を待っていると、3歳くらいの男の子とお母さんが楽しそうに話しながら通り過ぎて行った。どこまで電車に乗るの?と子どもが尋ねた。お母さんが駅名を告げるのだが、子どもは舌が回らず何度トライしても「そしやがゴーグル」になってしまう。子どもが「そしやがゴーグル」と言うたびに、お母さんが「違う違う」とケタケタ笑うので、子どもは拗ねて口をつぐんでしまった。

 幼い子の言い間違いって愛らしくて仕方がない。うちの子たちも〈とうもころし〉〈チンピラぼぼう〉〈スケバッティ〉などと言ってた時代が懐かしい。
 
          ◇

 お母さんと男の子の行き先は、祖師ヶ谷大蔵(そしがやおおくら)駅だった。私はその駅には、ちょっとした縁があった。まだ路線の大規模な高架化工事が行われる前、電車が地面を走っていた頃の話だ。

 当時、大学生だった私は塾講師のアルバイトをしており、週3日、この駅で降りて商店街のはずれにある個人塾に通っていた。あの頃はまだ、町の小さな塾が地元の小中学生の補習を一手に引き受けていた。進学塾ではなく、補習塾。学校の授業についていけない子、自分で宿題のできない子、放課後何となくここに来て話し相手を求める子らが集っていた。
 塾長は、40代の職人肌の男性だった。無口で冗談の一つも言わないが、子どもたちがどこでつまずいているかを、眼鏡越しの小さな目で瞬時に判断した。ミルフィーユみたいに何層にも分かれた教材棚から、ちょうどその子に必要なプリントを出し、生徒の前に置く。それだけだ。B5サイズの小さな紙。1枚には数問しかない。教師の無駄な説明なし。生徒の自立学習を促す。一枚終われば、次の課題を解く。生徒たちは少しずつではあったが、自分にもできるという確信を得て、だんだん集中していく。もっとやりたい、と生徒が思ったころ時間が来て、それでおしまい。喝を入れたり、精神論を説いたりする熱血教師像からはほど遠かったが、それでも「先生のおかげで勉強が嫌いにならずにすみました」という卒業生が多かった。「勉強が嫌いにならずにすんだ」というのは「勉強が好きになった」と言われるより、ひょっとすると嬉しいことばだったかもしれない。私たちアルバイト講師は皆、塾長の静かな情熱に、教師の理想を見ていたと思う。

 そんな地元に愛された学習塾がある日突然、終わりを迎えた。塾長家族が夜逃げしたのだ。あっという間に商店街の噂になった。「夜逃げ」なんて小説やドラマの中だけのことだと思っていたのに、自分の身近なところで起こった。仕事の日、いつものように出かけていくと、ブラインドがおり、ドアに鍵がかかっていた。私の他に3人いた学生のアルバイト講師全員で教室に来た生徒の対応をした。何も知らされていなかった私たちに同情してくれる保護者もいれば、「月謝を返せ」と怒鳴る保護者もいた。塾長とはそれっきり連絡がつかなかった。何があったのか、どうして突然夜逃げなんかしたのか、さっぱりわからないままだった。

          ◇

 幼い男の子の「そしやがゴーグル」を聞かなければ思い出すこともなかっただろう郊外の駅に今、私は来ている。駅前の風景はすっかり変わってしまったが、当時からある三方向に広がる商店街のうち、どちらに行けばよいのかは辛うじてわかる。けれどいくら正しい方向に歩いても、あの学習塾がもうないことは、明らかだ。明らかだが歩いてみずにいられなかった。あれから数十年。流れた時間のあいだにも、私が変わらず持ち続け大切にしてきたもののルーツのいくらかが、この町にあるような気がした。それが、ほんとうに確かなものであったか、見つめてみたかった。

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