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SB742便、月の裏側

 アメリー・ルーは、そーっと目を開いた。
 特に問題ない。身体に異常はなかった。
 周囲を見渡すと、機内は静まり返っていた。
 皆、気絶しているのか、誰一人として動かない。
 Airbusの電源は生きているのか、エアコンは効いている。
 アメリーは、シートベルトを外すと、立ち上がった。
 座席を離れる前に、隣の男の子を見た。眠っている。
 ――いい子、大丈夫そうね。
 通路に出ると、窓から外を見た。
 機体は止まっている。飛んでいない。着陸している。
 何かドームのような施設の中にいる。よく見えない。
 さっきから内心がアラートを上げて、鳴りまくっていた。
 アメリーは、Airbusのコクピットに向かった。
 途中で女性搭乗員が、倒れているのを見つけたが、置いておいた。
 命に別状はない。それはすでに分かっている。
 「ロックが掛かっている」
 アメリーは、扉の前で、ノックしてみた。耳を近づける。反応はない。
 今度は強めに扉を叩いてみた。ダメだ。反応がない。
 仕方ないので、女性搭乗員を起す事にした。彼女はすぐに目を覚ました。
 「……私はどれくらい意識を失っていたの?」
 「まだ五分も経っていない」
 実はアメリーは、ずっと目を瞑って耐えていた。意識は途切れていない。
 「……機体は?ここはどこ?」
 「機長を起して下さい」
 アメリーは、異常事態を把握する事が先だと思った。
 
 それから機内は、騒然となった。
 どこかに着陸しているという状況は分かったのだが、場所が分からない。
 アナウンスで、座席から動かないように指示があったが、皆混乱した。
 女性搭乗員が食事を配って、乗客を落ち着かせようとしたがダメだった。
 エアバスは外部と通信を取ろうとしたが、失敗しているようだった。
 スマホの機内モードを解除してみたが、アンテナは立たなかった。
 圏外という事だろう。やる前から分かっていた。
 そして何が起きたのか、何となく分かっていた。予感がある。
 今、機内の乗客たちは、外に出るべきだと訴えていた。
 どこかの空港に着陸したのは間違いない。早く外に出ようと言っている。
 コクピットでは、機長が難しい判断を求められていた。
 ベテラン・パイロットでも、この状況は判断できない。
 ただアメリーは、外に出る事自体、反対ではなかった。
 真実を確かめる必要がある。隣の小さな男の子が言った。
 「……僕たち、攫(さら)われたの?」
 やはり子供の方が、状況を正しく見ている。
 「そうみたいね。でも負けてはダメ」
 こういう時は、絶対に諦めないという気持ちを持たないとダメだ。

 とうとう機長の判断で、乗客を機体から降ろす事になった。
 Airbusはタイヤを出していないが、胴体着陸している。
 本来であれば、機体の損傷を確かめないといけない。
 だが計器上、問題は検出されなかった。ノーダメージらしい。
 機体の搭乗口から、脱出シューターが下ろされ、搭乗員から降りる。
 地面はコンクリートではなかったが、人工的なものだった。
 ドーム状の施設だが、プラネタリウムみたいな感じだった。
 薄暗く、星空が見えた。天井が透けているのかも知れない。
 乗客全員が降りた訳ではないが、大半の人が外に出た。
 各々が勝手に動き出したが、搭乗員たちが制止を求めた。
 アメリーも外に出たが、すぐに誰かの音声のようなものを聞いた。
 いや、これは耳で聞いた音ではない。心の声だ。
 ただその方角を見ていると、扉が開いて、灰色の一団が現われた。
 乗客たちも気が付いて、騒然とした。明らかに人ではない。
 小人だ。顔には大きなアーモンド形の目が二つ付いている。
 グレイだ。手に何か棒状のものを持っている。それが大量に現れた。
 乗客たちは、悲鳴を上げて、Airbusに戻ろうとした。
 アメリーと一部の男たちが、その場に残った。映画的な瞬間だ。
 だが悲鳴が再度上り、Airbusの周囲にも、グレイが現われた。
 挟み撃ちに合ったが、アメリーは臆せず、グレイに向かって行った。
 「……ちょっと待て!危ないぞ!」
 男たちは驚いたが、その次のアメリーの行動に、さらに驚かされた。
 グレイを足で蹴っ飛ばした。そして棒を奪って、振り回した。
 グレイは次々倒れた。棒は折れてしまったが、倒れたグレイは動かない。
 「見て!中身が入っていない。これは遠隔操作のアバターよ!」
 アメリーは叫んだ。一目見て、魂が入っていないと気が付いた。
 「……ロボットみたいなものか?」
 男たちは、互いに顔を見合わせた。
 若い女の子独りに、戦わせておく訳にも行かない。
 「床に倒せば、頭を打って、壊れる。接続が切れる」
 アメリーは手で押したり、足で転ばせた。
 小学生低学年くらいの身長だ。問題ない。
 男たちが勇気づけられると、どちらの方面でもグレイは撃退され始めた。
 だがその時、黒くて丸い何かが二体、高速で転がって来た。
 急に止まると、足が生えて、レーザーガンを速射して、地面を焼いた。
 「……星界大戦で見た事があるぞ!」
 「フォースが使えないとダメだ」
 男たちは早くも両手を上げて、降参した。だらしない。
 だがアメリーは降参せず、油断なく、扉の方を見ていた。何か来る。
 ――あれはアリゲーター?いや、レプタリアン?
 小銃を構えたワニ型の二足歩行生物が、集団でやってきた。
 緑色の鱗に、猫目のような細い目、そして大口だ。醜悪極まりない。
 ――魂が腐っている。臭いが酷い。
 アメリーは嫌悪した。このレプタリアンは人を喰らっている。
 レプタリアンは小銃を構えながら、集団で押して来た。
 アメリーたちは、Airbusの近くまで、押し返された。
 機内に帰り、籠城戦をやるべきか、決断を迫られた。
 ――そこの女、お前がリーダーか?
 アメリーの裡側で、二足歩行のワニの声がした。テレパスか。
 ――違う。だが人喰いには屈しない!
 アメリーは心の中で叫び、精一杯の去勢を張った。
 ――お前、ここがどこだか分かっているのか?
 ――月の裏側でしょう?あなたたちが神様に隠れて悪さしている。
 アメリーが即答すると、レプタリアンは嗤った。
 ――勘の鋭い奴だな。お前も宇宙人か?
 ――いえ、ただの修行者よ。欲望丸出しの大口には負けない!
 ――お前のような地球人がいてたまるか!
 レプタリアンは、小銃でアメリーに狙いを付けた。
 レーザーのレクティルが、アメリーの胸元に紅く灯った。
 だがアメリーは、その場に両膝をつくと、十字を切って、両手を組んだ。
 歌は得意ではないが、こういう時は気持ちが大切だ。天まで届け!
 「Ave Maria, gratia plena,(Hail Mary, full of grace,)
 Dominus tecum. (the Lord is with you.)
 Benedicta tu in mulieribus, (Blessed are you among women,)
 et benedictus fructus ventris tui, (and blessed is the fruit of your womb,)
 Iesus. (Jesus.)
 Sancta Maria, Mater Dei, (Holy Mary, Mother of God,)
 ora pro nobis peccatoribus, (pray for us sinners,)
 nunc et in hora mortis nostrae. (now and at the hour of our death.)
 Amen.(Amen.)」(注119)
 それはアヴェマリアだった。教会ラテン語だ。
 明らかに、レプタリアンは嫌がっていた。たじろいで後退する。
 乗客たちも、ポカンと口を開いていた。何だ?これは?効果がある?
 アメリーは立ち上がると、『Amazing Grace』(注120)を歌い出した。
 英語圏の乗客も多い事も考慮した。IもWeに変えて歌う。皆乗るか?
 最初に、アメリーの隣にいた男の子が乗った。一緒に歌い出す。
 徐々に乗客たちは、アメリーの意図に気が付いて、歌い出した。
 最終的にはアジア圏の乗客を除いた全員が、合唱に参加した。
 ムスリムや仏教徒でさえ、姿勢を正して歌を聞いた。信仰心が集まる。
 だが一際、大きな獣の咆哮が響いて、歌がかき消された。
 ――お遊戯の時間はおしまいだ!楽しいおねんねの時間だ!
 その個体は10mを超えていた。大型のレプタリアンだった。
 恐竜型で、両手にビームマシンガンを持って、のっしのっし歩いてきた。
 王様レプタリアンだ。それがSB742便、月の裏側だった。
 
 注119 『アヴェマリア』は、カトリックの典礼行為ではない。主に教会の外で歌う聖歌。
 注120 『アメイジンググレイス』は、主に教会の中で歌う事が多い讃美歌。
 
            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺022

『SB742便、星の王子様と八人の美姫』 SB742便 3/5話


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