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偵察総局による尋問

 階下で大きな物音がした。玄関の方だ。
 その女子大生は、ベッドの上で、あやしていた白猫と顔を見合わせた。
 時刻は深夜だ。明け方に近い。一体何事か?
 その白猫は、自分が様子を見てこようか?という顔をしたが、女子大生は白猫を抱いて、一緒に一階に降りる事にした。そーっと抜き足、差し足、忍び足で玄関に向かう。
 父親が倒れていた。玄関で派手にぶっ倒れている。
 慌てて電気を点けた。その女子大生は、父親を起そうとした。
 「……大丈夫だ。問題ない」
 身を起すと、父親はそう言った。顔に殴られた跡がある。瞼が腫れていた。
 「どうしたの?何があったの?」
 女子大生が心配すると、父親の口許に、嘲笑が浮かんだ。
 「……ちょっと昭和九年、1934年の気分を味わって来た。戦前の空気は不味い」
 意味不明の発言だった。どこか頭でもぶつけたか。
 「誰にやられたの?喧嘩?」
 とりあえず、リビングのソファーで父親を寝かしつける。白猫も心配そうだ。
 「……特警だよ。特警。いや、偵察総局と言うべきか」
 女子大生は青ざめた。近頃、よく分からない理由で、警察に連れて行かれる人がいると、ネットの書き込みで見た事がある。腕に腕章を付けた警察で、特警と言うらしい。尋問を受け、暴行さえ受けると言う。いつの間にか、日本がそんな国になっていた。怖い。
 「何で捕まったの?」
 「……魔導書を持っていたからさ」
 「魔導書?」
 父親の言っている事が分からない。女子大生が首を傾げると、白猫も傾げた。
 「……私は本を読み過ぎて、おかしくなった。だから本の世界に入れる」
 ダメだ。重症だ。深刻に頭部をぶつけている。早く寝かさないと。
 「……思想犯という奴だよ。だから特警にしょっ引かれた」
 もう分かった。早く寝ろ。気を静めろ。女子大生は救急箱を取り出した。
 「……あの本は惜しかった。私を独裁者に導いてくれる」
 ダメダメ。もう喋らない方がいい。放送禁止用語が漏れ始める。
 「とりあえず、お父さんの大好きな赤チン塗ったから、早く寝て」
 「……おお、マーキュロクロム液か。昭和は偉大なり」
 父親は目を閉じた。女子大生は赤チンを見た。2019年5月31日で流通も止まっている。

 そこは薄暗い部屋だった。僅かな照明が照らし出す。地下室のようだった。
 元サラリーマンは手錠を掛けられて、椅子に座っている。机の上には何もない。
 ブザーが鳴って、扉が開いた。男が入って来た。腕章を付けている。特警だ。
 「こんばんは、本部長」
 元サラリーマンは上機嫌に挨拶した。
 「……天花娘娘はどこだ?」
 その特警は単刀直入に尋ねた。千鳥足舞子を探しているらしい。
 「知らない。一晩ここにいた。会社に訊いてくれ」
 元サラリーマンは、何を言っているとばかりに、手錠をされた両手を上げた。
 「……もう一度訊く。千鳥足舞子はどこだ?」
 「会社はもう辞めている。正確には有給休暇中だ」
 特警は、鋭く元サラリーマンの目を見ていた。
 「……ちょっとコーヒーを入れて来る」
 腕章を付けた本部長は、なぜか手錠を外すと、椅子から立ち上がった。
 「ああ、怖い警察、優しい警察って奴か?」
 元サラリーマンがそう呟くと、ブザーが鳴って、扉が開いた。交代で誰か入ってくる。
 「シュタージ?(注100)いや、セクリターテ(注101)か?その制服は?日本人には恐ろしく似合わない。どうせだったら、裃つけて、ちょんまげの方が似合うぞ。時代劇だ」
 偵察総局だった。秘密警察風の制服を着ている。鋭い目つきをしていた。まだ若い。
 「旧デジタル庁がどうした?コスプレ文化庁にでもなったのか?」
 元サラリーマンは挑発し続けた。だが偵察総局の男は静かだった。扉は開いたままだ。
 「お手柔らかに頼むよ。優しい警察さん」
 元サラリーマンはいきなり頭を掴まれて、ガン!と机に額を叩きつけられた。
 「……誰が優しい警察だって?」
 偵察総局の男は言った。元サラリーマンは、これは参ったとばかりに笑う。
 「いきなり頭から来たか」
 だが偵察総局の男は、今度は元サラリーマンの手を拳で叩き付けた。
 「手か。手は痛いな」
 元サラリーマンは叫び声をあげて、手を押さえて笑う。
 「……天花娘娘はどこだ?」
 「何で千鳥足舞子を探す。頭に花が咲いた女だからか?」
 「……そうだ。アレは危険だ。我々が管理する」
 元サラリーマンは、薄く笑いながら、偵察総局の男を見た。
 「彼女は私の部下だったが、ただのOLじゃないのか?頭に花が咲いているが」
 「……言え!お前もあの本で怪しげな事をやろうとしていただろう!」
 偵察総局の男は檄すると、元サラリーマンの胸倉を掴んで、持ち上げた。
 「アレはただの魔導書だ。私を1934年の世界に連れて行ってくれる。いや、現代か」
 偵察総局の男は、元サラリーマンの頭を壁に叩き付けた。血が流れる。
 「……このモンスターめ!社会に隠れて何を企む!」
 「モンスター!この私がモンスター!ただの失業者なのに!」
 元サラリーマンは激しく笑っていた。だが殴られた。壁際で崩れる。まだ笑い続ける。
 「……失業者が聞いて呆れる。お前もモンスターだろう。分かっているんだ!」
 偵察総局の男は、元サラリーマンの首元を掴みながら、そう凄んだ。扉は開いている。
 「……上位世界から何を命じられている。お前らはコンビだろう。ミッションを言え!」
 「上位世界と来たか?何の事かさっぱり分からない」
 真面目な話、何の事か分からない。だが元部下は守った方がいいだろう。
 「……天帝と繋がっている事は分かっている。地上は我らのものだ。手出しはさせない」
 偵察総局の男はそう言った。元サラリーマンは穏やかに言った。
 「基本的な誤解があるようだ。あの娘に何か力があるのか?」
 「……天花娘娘は、天帝の隠し子だ。全世界の伝染病を一瞬で消す」
 コスモクリ〇ナーみたいなものか。便利だ。地球が浄化できる。
 「……今、流行っている病気が消えてもらっては困る。管理社会が到来しない」
 なるほど、だがそんな力を発揮するには、準備が必要だろう。
 「私は関係ない。彼女の事も知らない。上司部下の関係はたまたまだ」
 営業部に若い女が来ただけだ。頭に花が咲いていたが。
 「……ウソを吐け。お前らはグルだ。何を企んでいる!言え!このモンスター!」
 右目を殴られた。元サラリーマンは床に転がる。瞼が腫れた。また笑っている。
 「お前たちの方がモンスターじゃないのか?」
 元サラリーマンは立ち上がると、一転して静かにそう言った。
 「……そうさ。だがお前と違ってルールがある。国家だからな」
 「在民主権って知っているか?国民に主権があるんだぞ?なぜ私を弾圧する?」
 「……お前は国民じゃない。モンスターだ。非国民だ!」
 「ああ、1934年と言う奴か。これは参った。時空の迷い子らしい。21世紀はどこか?」
 また殴られた。元サラリーマンは、吹っ飛んだ。扉は開いている。
 「そうポンポン人を殴るんじゃない。死んでしまうではないか?」
 偵察総局の男は再び、拳を振り被った。それが偵察総局による尋問だった。
 
 
 目を覚ますと、そこはリビングだった。ソファーから起き上がろうとする。節々が痛い。
 「……まだ寝ていたら?どうせもう会社には行っていないんでしょ?」
 娘だった。キッチンで何か作っている。味噌汁か。白猫が鳴いている。
 「ああ、そうさせてもらう」
 元サラリーマンは、昨日の出来事は何だったのか、思い返した。怒りが湧いて来る。
 「……しばらく身を隠した方がいいんじゃない?」
 「そうだな……」
 元サラリーマンは考えたが、すぐに止めた。奴らの考えは分からない。その後、白米と味噌汁、海苔佃煮の朝食を食べた。ごはんですよ?
 「生きる目標ができた」
 「……何?急に?」
 「偵察総局だよ」
 元サラリーマンは、箸で指し示した。
 「……偵察総局?ああ、デジタル庁だった奴ね?それがどうかしたの?」
 娘は白猫に猫缶を与えながら、尋ねた。ねこまっしぐら?
 「昨日、尋問された」
 元サラリーマンは、顔を見せながら、そう言った。
 「……特警じゃないの?」
 「特警は下部機関に過ぎない。偵察総局が上位機関だ」
 「……何でもいいけど、あまり睨まれないようにね」
 「こちらから睨んでやるさ。窮鼠猫を嚙むだ」
 白猫が「何?」という顔でこっちを向いた。言葉を理解している?
 「……大学も卒業が近いし、こっちを巻き込まないでよね」
 「就職はできたのか?」
 娘は首を静かに横に振った。経済・社会の混乱もあり、まともに活動できていない。
 「……そうか。上手くやってくれ」
 そう言いながら、元サラリーマンは、偵察総局に対する復讐の念を強めた。後日、運命の数奇もあって、復讐を果たすが、それは虚しい事だった。復讐は何も生まない。悲劇だ。
 
注100 Stasi 旧東ドイツの秘密警察。ナチのゲシュタポや旧ソ連のKGBより大きい。
注101 Securitate 旧ルーマニアの秘密警察。国営の孤児院出身の者で構成された。

                                              『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺003


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