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8月、鉄火場の火葬場

 8月、その都市では、病気が再び流行っていた。
 感染すると、高熱が出る。下手すると死ぬ。
 だが人類は、この病気を侮り、格下げにした。
 通常の風邪と同列に扱う事にした。それはいい。
 だがなぜこの病気が発生して、なぜ流行るのか、追及しなかった。
 世間では、大陸で自然発生した病気、という事になっている。
 初期に、合衆国大統領が、都市名を冠してウイルスを命名した。
 大陸のとある都市名と、ウイルスを合体させた名称だ。
 今では、この大統領特有の言葉遊びだと思われている。
 それはいい。だが多くの感染症は、大陸で発生している。
 1346年の時も、その黒い死は、大陸から全世界に広がった。
 欧州では死体が溢れて、墓場に入れる事もできなかったらしい。
 現在、この都市の火葬場もそうなりつつある。
 24時間3交代で、フル回転している。
 それでも遺体を焼く事が遅れている。
 問題は、この火葬場の霊安室が少ない事だった。
 想定外の死者数に、火葬場が対応し切れない。
 絶えず、病院から遺体が供給され、霊安室から溢れる。
 現場では、冷凍庫を購入する話が現実味を帯びていた。
 豚肉等を保存する大型の冷凍車を借りる話もある。
 とにかく、遺体からも感染するので、防護服は欠かせない。
 そして数を捌くため、直葬にした。
 直葬というのは、死亡当日に遺体を焼いて、遺灰も火葬場で捨てる。
 想定外の死亡数と、感染症対策のため仕方なかった。
 だがたまに、ごく普通の遺体も来る。通常の死亡者だ。
 それはいい。だがこの婆さんの遺体は、かなり変わっていた。
 両手に札束を握りしめて、両目をクワッと見開いて死んでいる。
 右手には新紙幣、左手には旧紙幣だ。左右500万で、計1,000万だ。
 しかも驚いた事に、手が浮いているのだ。死後硬直か?
 どういう訳か、遺族はそのまま送り付けてきた。
 目視で明らかに異常がある場合、遺体を焼く前に確認する。
 規則だ。手違いがあってはならない。
 だが、これはどうしたものか?死んでいる事には違いない。
 「……どうする?そのまま焼くか?」
 俺は同僚に声を掛けた。防護服の男は頷いた。
 「念のため、確認しよう」
 まず札束を取ろうとしたが、取れなかった。
 万力のように掴んでいる。
 爪でも剥がさないと、取れそうにない。
 腕を降ろそうとしたが、ビクともしなかった。
 石のように固まっている。
 男二人全力で押しても、テコでも動かない。
 当然だが、瞳孔は開き、脈はない。死んでいる。
 「……一体何なんだ?この婆さんは?」
 「さぞかしこの世に未練を残したんだろうよ」
 とにかく直葬しないといけない。後が閊(つか)えている。
 棺桶から遺体が飛び出さないようにするのが大変だった。
 お別れ台に乗せる時、やけに重かった。
 この死んだ婆さんは、全力で抵抗しているように見えた。
 だがそれは気のせいだろう。詩的感傷に過ぎない。
 こちらも業務だ。遺体を焼かないといけない。
 前室の耐熱扉を開いて、お棺を送り込む。
 スイッチを押すと、お棺が機械で主燃炉へ移動する。
 主燃焼バーナーから、炎が吹き出し、火葬炉が全力運転する。
 「ぎゃああああああああ!」
 絶叫が響いた。我々は顔を見合わせた。
 その時の同僚の顔が、忘れられない。
 我々は規則に従って、火葬炉の小窓を開いた。
 中でお棺が燃えている。
 「ぎゃああああああああ!」
 断末魔の悲鳴が響いた。
 我々はそっと、火葬炉の小窓を閉じた。
 アレは耳で聞く物理的な音声ではない。心の声だ。
 だが聞こえる。なぜだ?我々は霊能者ではない。
 あの死んだ婆さんは、まだ全力で叫んでいる。
 「ぎゃああああああああ!」
 我々にどうする事もできない。
 いまさら火葬を中止して、中を確認してもどうにもならない。
 中途半端に損壊した遺体を見るだけだ。
 だからこれも規則に従って、最後まで火葬炉を運転する。
 「これは殺人ではない。火葬だ」
 同僚は言った。俺も頷いた。当たり前の話だ。
 「……ええ、でも最近増えましたね」
 同僚の顔が歪んだ。過度なストレスが読み取れる。
 「この直葬という奴は厄介だ。早く元に戻らないか」
 「……ええ、そうですね」
 病気のせいで、直葬が始まり、火葬場で絶叫が響く。
 以前は滅多に見られない現象だった。今ではよくある。
 もしかしたら、まだ本当に生きている人もいたかも知れない。
 だが我々にはどうにもならない。対応は規則で定められている。
 多くの場合、実際の音声ではない。騒いでいる霊の声だ。
 密かにスマホのアプリで録音しながら、業務した日もある。
 本当に霊の声なのか、実際の音声なのか、確かめるためだ。
 そしてその日も、俺は絶叫を聞いたが、録音はできなかった。
 やはり心の声、気のせいという事で、片付けられるのだろう。
 物理的な現象ではない。心霊現象だ。
 証拠にならないし、他人と共有できない。
 全ては気のせいだ。存在しないのと同じだ。
 だが果たしてそうなのか?火葬炉の運転が止まった。
 婆さんは焼けた。1,000万円の札束諸共。
 我々は主燃室の骨受皿を取り出した。
 よく焼けている。コロコロとした骨だけだ。
 歳を取って、骨が脆くなっていたのだろう。
 老人にはよくある話だ。
 我々は規則に従って、遺骨と遺灰を処理した。
 つまり、専用のゴミ箱に入れた。
 後で業者が回収して、持って行ってくれる。
 遺族に渡す暇はない。とにかく業務だ。
 人間の死体を素早く焼いて、片付けていかないといけない。
 俺はその日、8時間の夜勤を終えると、朝勤の者と交代した。
 夜勤明けの午前中、俺は発泡酒を呑み、お昼過ぎに寝た。
 次の夜勤もある。泥のように眠らないといけない。
 だが俺は夢を見た。死んだ婆さんが出て来る。
 「なぜ焼いた!」
 「……業務だからだ!」
 「なぜ焼いた!」
 「……業務だからだ!」
 俺は全力で婆さんから逃げた。
 意味が分からない。カオスだ。
 俺が悪いのか?いや、俺は悪くない。
 だが夢はまだ続いた。見知らぬサラリーマンが出て来た。
 お棺が近くにある。どうやら死んだ人のようだ。
 「せめて48時間待ってから焼いて下さい」
 その死んだサラリーマンは、同僚にそう言っていた。
 俺は近くまで移動して、死んだサラリーマンを見た。
 「死後48時間安置は必須です。まだ魂が肉体から離れていない」
 サラリーマンは痛切に訴えていた。
 「……だから火葬炉から絶叫が響くのか?」
 思わず俺は、同僚とサラリーマンの会話に横入りした。
 「直葬は不味いです。極めて不味い。やめて頂きたい」
 サラリーマンは訴えた。我々は顔を見合わせた。
 「どうする?」
 「……上に掛け合いましょうか?」
 「いや、この遺体の数は処理し切れない」
 「……わざと遅らせてはどうですか?」
 同僚が考え始めると、サラリーマンは言った。
 「骨も捨てないで下さい。家族と連絡が取れない」
 「……といいますと?」
 「骨があれば、50年は家族と連絡が取れる。霊界の常識だ」
 俺は目を覚ました。夕方だ。もうすぐ夜勤だ。
 火葬場に向かわないといけない。今日も大量の遺体とご対面だ。
 これは鉄火場だ。それが8月、鉄火場の火葬場だった。

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺012

8月シリーズ 3/5話 『8月、ボカロによる読経とAIによる戒名』

8月シリーズ 1/5話 『8月、死んだ彼女からの電話』


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