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品川で見かけたウェイトレス

 またちょっと不思議な話をしたい。秘密の話だ。(文字数4,488字)
 
 2024/06/10、品川で見かけたウェイトレスの話だ。
 
 全て心の中の出来事だ。何か事件が起きた、という話でもない。
 
 
 
 仕事で、印象派の画家の名がつけられた喫茶店を、利用しただけだ。
 
 そこであるウェイトレスを見かけて、気が付いた事を伝えたい。
 
 内容的には、本当にそれだけだが、伝えるべきかなと思い、書く事にした。
 
 
 
 あくまでも、当方の感覚で、ものを言っているので、IT的な第三者検証性はない。
 
 数量化・データ化もできないし、可視化・イメージ化して、伝える事もできない。
 
 それでも、まずは伝える事が、肝心かなと思う次第である。
 
 
 
 
 Noteを眺めていると、みんな伝えたい事があるから、やっているのかなと思う。

 内容は様々だ。だがこれだけ記事があると、埋もれる。

 当方も伝えたい事があるから、Noteをやっているが、状況は変わらない。

 
 
 ポータル・サイト化したメンバー・シップにでも加われば、話は別だろう。

 だが当方が書く内容は、そういうのに向いていないので、やめておく。

 今回、お伝えする内容も、人を選ぶかもしれない。

 
 
 
 思えば、人間の活動とは、何かを伝える事が、メインなのかも知れない。

 その意味や価値は、後から付加されるが、それは多数決の世界、人気の世界の話だ。

 真理の世界の話ではない。だが地上にいると、それが見えない。

 
 
 
 実際、こんな事を考えている人は、極めて少数だと思う。

 意味が分からない、そういう話はやめてくれ、と思われるかもしれない。

 内容を単にオカルト・ルリジョンと捉えて、拒否反応を示すかも知れない。

 
 
 
 だがそれは、現代という時代に影響を受けて、そう思わされているだけだと思う。

 学校などで受けている教育もよくないが、学問自体も死にかけている。

 だから仕方ない側面もあるが、黙っていると、完全に間違った方向に行く。

 

 
 近代の夜明け前、ガリレオ裁判で、ルリジョンがサイエンスを弾圧した。

 今は形勢が逆転して、サイエンスがルリジョンを弾圧している。それが現代だ。
 
 時代が変われば、力関係は、また逆転するだろう。これはポリティクスだ。


 
 だが現代は、本来の人間の姿から、かなり遠ざかっているのだ。

 当方は昔がたきの人間なので、近代以前の世界が分かり、古典古代が分かる。

 普段は、フランス語や英語がメインだが、以下の言葉も分かる。

 
 
 古文、現代文

 漢文、北京語

 ラテン語、イタリア語

 古典ギリシャ語、現代ギリシャ語

 
 
 日本、中国、イタリア、ギリシャ、四ヶ国の古典語・近代語を知っている。

 昔の人ならこう捉えるというのが分かる。だがそれは学問的な話だけでもない。


 それは、いちいち、ドキュメントに残さなかったくらい自明な事柄だ。

 だが現代は、アングロ・サクソン流の証拠主義で、文献か考古学が全てだったりする。

 孔子も『論語』が全てになっている。だが我々は、孔子の昼の顔しか知らない。
 
 
 

 ドキュメントは確かに大事だが、全てのドキュメントには前提条件がある。社会だ。

 だがその社会は失われたか、変化してしまっている。そしてドキュメントだけ残っている。古典だ。

 その社会で何が語られ、何が明らかだったのか、分からないと、本当の意味が分からない。

 
 
 当方は、そういったドキュメントを、リバースエンジニアリングできる。再現できる。

 こういう言い方は大胆で、語弊があるかもしれない。だが敢えて言えば、そういう事だ。

 スタート地点、立脚点が、間違っているから、現代人は古典古代が理解できない。

 
 
 神は死んだと言ったのは、古典文献学者だったニーチェだ。

 人類は猿から進化したと言ったのは、自然学者だったダーウィンだ。

 暴力革命で千年王国を作ると宣言したのは、共産主義者だったマルクスだ。

 
 
 三人とも19世紀の人物だが、地上世界を、人類社会を、決定的に変質させた。

 無論、悪い方向にだ。それ以前の時代と、それ以降の時代では、天と地ほど違う。

 当方的には19世紀の三大巨悪だと思っている。だがこれが20世紀の常識になった。

 
 
 
 そこで失われたものは、本当に無数にある。だが存在しなくなった訳じゃない。

 それ以前の社会では、当たり前のものとして、そういうものがあると信じられていた。

 だが今、投票箱に入れて、それらを多数決で量ってみたら、全部落選するだろう。


 
 これはそういう話である。昔の人が、当たり前に感じていた事を、現代人の感覚で伝えたい。

 難しいかもしれない。かなり陳腐なたとえも使うが、あくまで方便だと思って欲しい。

 今回の出来事自体は、ホント大した事ではないのだ。数行で終わる。だがいい機会と感じた。


 
 
 どう頑張っても、飛躍はある。何かの教えにしか聞こえないだろう。だが本当の事なのだ。

 昔の人は、こう捉えていたから、こう理解していたという話だが、伝わらない。

 精々、まんが日本昔話の延長線上にある話で、その類の話かなと思われるのがオチだ。

 

 
 こんな事を言うと、疑われるかもしれないが、心を透明にする事が、本当に重要なのだ。

 眼に見えないものが、見えてくるし、耳に聞こえないものが、聞こえてくるのだ。

 これは単に、霊的な事を言っているのでもない。気が付いていない事に、気が付き始める。


 
 
 昔の人もよく、眼に見えないものを見、耳で聞こえないものを聞けと言った。

 これは一見して、矛盾した事を言っているように聞こえるが、矛盾していない。

 だがそのためには、前提条件があり、心の透明度を上げないと掴めないのだ。


 
 
 心の透明度を上げるためには、真理に気が付いて、涙を流す事によってしかできない。

 心の曇りを洗い流すのが、真理の涙だ。これを何度も経験しないと、心が透明にならない。

 そして心が透明になって来ると、本当に不思議な事が分かって来る。世界の秘密が分かる。


 
 
 この感覚は、伝わらないし、現代では失われている。だがまだ稀には存在する。

 ちょうどいい実例がないと、話がよく見えないと思うが、それでも飛躍はある。

 元々、認識が飛躍する話なので、一種の次元跳躍でもある。伝達が難しい。


 
 
 昔の高僧で、晩年、目を瞑ると、極楽が見えて仕方ないという人がいた。

 この感覚、少しだけ分かる。当方はそこまで悟っていないが、話は分かる。

 もしかしたら、当方もあまり長く生きられないかもしれないが、それは置いておく。


 
 
 前置きが本題になってしまったが、品川で見かけたそのウェイトレスは変わっていた。

 いや、実は何も変わっていない。どこでもいるウェイトレスに見える。

 だが当方は、お水を持ってきた時から反応して、ずっと見ていた。何が違うのか?


 
 
 20代の中頃?美人系でも、可愛い系でもない。顔立ちは普通だ。

 化粧も方向性は曖昧で、自分を見せようという意識はない。社会的化粧だ。

 だが丁寧な接客を心掛けている。最初から、最後まで相手を見ている。


 
 
 いい人なのだ。たったそれだけである。ホントそれだけだ。

 だがそれだけだったら、当方もこんなに反応しない。何か秘密がある。

 今まで何人、ウェイトレスに会ってきたか分からない。だが彼女は違うのだ。


 
 
 能力的には普通の人だろう。何か特別な能力を持っているように見えない。

 ただいい人なのだ。ホントそれに尽きる。行動自体、他のウェイトレスと大差ない。

 だが当方も、丁寧な接客をしているからと言って、欧米のようにチップを払う訳でもない。

 
 
 
 一体何が当方をそう思わせているのか、分からなかったので、目を凝らしてオーラも見た。

 異常はない。全く普通の人だ。何かこの世ならざるという事もない。何だ?この人は?

 きっと彼女は、人々にいい印象を与えるが、それ以上ではないだろう。それだけだ。

 
 
 二時間ほどお店にいたが、段々分かってきた事があった。

 もしこの人が、何か酷い目に遭うとしたら、それはとても嫌だなという事である。

 無論、当方はこの人を知らない。名前くらい名札で分かるが、いちいち見ていない。

 
 
 
 縁は薄いが、それでも当方にそう思わせたのは、意味がある。

 霊人もあの世から、この人を見て、きっと同じ事を思う筈だと。

 そうなると、この人は、かなり運命を守られているという事になる。


 
 
 いい人である事は、絶対の価値を持つのだ。これは能力で量れない運命の話だ。

 Note的にたとえるなら、フォロワーが多く、スキされた回数も多いという事だ。

 無論、あの世にNoteがある訳ではないので、たとえだと思って欲しい。

 
 
 彼女は優秀ではないが、とてもいい人なので、運命的には非常に守られている。

 もし、運命の途上で、彼女に何か危険が迫れば、霊人は絶対動いて、回避させる。

 それこそ、トランプの右肩に乗っていた天使?のように。

 
 
 
 話は逸れるが、トランプは地上でも、あれだけフォロワーが多いのだから、あの世も多い。

 多分、地上の支持者の数倍いる。これだけいたら、もう目に見えない力でもない。

 物理的な力さえ持っている。それぐらいの運命力を持っている。だから銃弾さえ躱す。


 
 これがいい人である事が、絶対の価値を持つ意味だ。

 昔の人は、教えられるまでもなく、こういう事を感覚的に分かっていた。

 だから現代から見て、迷信とも思える行動をしている。


 
 
 霊の世界もあるが、本当の本当は、霊さえも超えている。

 いい人である事が、神仏の世界に近づく第一歩である事は間違いない。

 なお当方は、帰りの山手線で、涙が溢れて止まらなかった。もう現代人じゃない。



 IT業界では、能力こそ全てで、どんないい人でも、能力がなければ、すぐ辞めさせられる。

 営業も三か月、契約が取れなければ、会社からクビになる。当たり前の話だ。

 エンジニアも、能力がないと判定されれば、入場当日で、現場退場させられる事がある。
 
 
 
 
 現代は、どこの業界も能力主義で、いい人だけでは生き残れない。過酷だ。
 
 「○○さん、いい人なんですけどね~。どうも業務をご理解されていないようで……」
 
 お客さんにそう言われて、退場したエンジニアは、沢山いる。いい人ほど先に死ぬ。
 
 
 
 こういう現実も、一方で存在する事は、分かっている。だから当方も、いい人ではない。
 
 どちらかと言うと、当方も圧倒的に、能力主義者に、分類されるかもしれない。
 
 嫌な奴ほど能力が高く、生存能力が高いというのは、世の常だが、そうなりたくない。
 
 
 
 現代で、本当にいい人である事は難しい。またなおかつ能力が高いというのは不可能に近い。
 
 優秀な人ほど、能力主義に傾いて、嫌な奴になっておしまいだ。霊人に嫌われる。
 
 ただ優秀な人も、それなりにサポートはある。似た能力の霊人を引き寄せる。
 
 
 
 当方が書いた小説や記事を後で読んでみて、当方が知らない事が書いてあったりする。
 
 玄奘の旅でも『河童型宇宙人、沙悟浄になる』を後で読んで、驚いた。
 
 殆ど一発書きで出したから、内容を忘れていたが、とんでもない事が色々書いてある。
 
 
 
 当方の場合、霊人に守られているというよりは、霊人に働かさせられているかもしれない。
 
 あんまりいい人じゃないから、せめて世の役に立つように働けという訳だ。
 
 だから霊人も、たとえ当方がピンチに陥っても、能力で乗り越えて下さいとなる。
 
 
 
 酷い話だが、過度に干渉はできない仕組みにはなっているので、これは仕方ない。
 
 一回目隠して、どれだけ世界を掴めるか、試されているのだ。

 地上の生とはそういうものである。

                                以上

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