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聖徳太子の地中石

 翌日、選挙落選者は再び立花神社を訪れた。
 いつ来ても、ここは居心地が悪く、落ち着かない。あの白い鳥居を潜るといつもそうなる。
 謎の不快感を振り払うと、参道を歩きながら、スマホを見た。
 世間では、議員補欠選挙の当選者に、盛んにマイクを突き付ける事で賑わっていた。そしてその野党の当選者は、「私は知らない」と苦し紛れのコメントを発して、マスコミから逃げている。昨日まで応援していた東京都知事は、突如カルフォルニア州に出張した。
 近く、選挙管理委員会から重大発表があると言う。だがその前に、野党側で、議員補欠選挙の当選者の記者会見を開くと言っていた。当選辞退が、関係者の間で、まことしやかに囁かれ、選挙落選者の繰り上げ当選が、噂されていた。見えない駆け引きが演じられていた。
 茶番の終わりは近い。こちらにも、密かに与党幹事長から打電があった。
 曰く。準備して待て。状況は大きく動くだ。引退した議員にも状況は伝えた。
 どうやら、立花神社のIT巫女の見立て通りに物事は進み、風向きが変わって来た。
 今日は、いつもの社務所ではなく、宝物殿に通された。何やら話があると言う。
 途中、藤色の袴を着た二人組とすれ違った。年頃は女子高生くらいか。軽く目礼する。
 二人組のうち、一人が白い目隠しを頭に巻いていた。異様な出で立ちなので、目を引く。だがその巫女には、ごく自然な雰囲気さえ漂っていた。普通に歩いている。もう一人の巫女が、闊達に白い目隠しをした巫女に話し掛けていた。姉妹だろうか。そんな感じがした。
 宝物殿に着くと、入口は開いていた。玄関らしき空間があり、その横に控室のような小部屋があった。IT巫女がいる。コンピューターおばあちゃんだ。キーボードに指を走らせている。
 「……ああ、よく来たね。ちょっと茶も出せない狭い部屋だけど、辛抱しておくれ」
 ノートPCがマルチ・モニターと繋げられていた。小部屋には、古い紙を束ねた文献が山のように積み上げられていた。近現代の製本された文献ではない。江戸時代くらいの古文献だろうか。試しに一冊、手に取って開いてみる。読めなかった。何だ?この文字は?記号か?
 「神代文字(じんだいもじ)だよ」
 IT巫女は言った。PCの画面に凄い速度で、神代文字が打ち込まれて行く。
 「……一体何をやっているんだ?」
 「研究というか、解読?あるいは再構築?」
 IT巫女はひと段落したのか、作業の手を止めて、こちらを見た。
 ふとマルチ・モニターに、楔形文字が並んでいるのが分かった。選挙落選者は目を細めた。
 「アッカド語?……いや、これはシュメール語か?」
 「おや、読めるのかい?」
 IT巫女は微笑んだ。笑うと目が糸のように細くなる。
 「英語で書かれた文法書を読んで投げ出した。読めない。区別くらいは付くが……」
 「それだけでも立派だよ」
 IT巫女はマルチ・モニターを見上げた。だがなぜここに楔形文字がある。謎だ。
 「こいつは、古い日本語だよ」
 手元の画面には神代文字、頭上のマルチ・モニターには楔形文字が並ぶ。
 「……これが日本語?」
 神代文字はともかく、シュメール語は古代メソポタミアだ。全然、地域と時代が違う。
 「神代文字の日本語と、楔形文字のシュメール語を比較研究している」
 「……ああ、膠着語(こうちゃくご)だからか」
 IT巫女は「ご名答」と答えた。一説では、膠着語は、言語の最終形態と言われる。
 「両者の文法構造から、一個前の元の言語が復元できないか試みている」
 「……それは凄いな。神代の日本語とシュメール語が元は同じ言葉で、別れてきたと?」
 日本語もシュメール語も膠着語で、似た構造を持つ事は知られている。同じ楔形文字を使って表すセム語系のアッカド語は、難しくて手が付けられなかったが、系統不明のシュメール語は学んでみると、妙に日本語とルールが似ていて、馴染んだ。楔形文字は勘弁して欲しいが。
 「こうやって見ると、何だか宇宙人の言葉みたいじゃないか」
 IT巫女が冗談めいた言い方で、モニターに映る楔形文字と神代文字を並べて見せた。
 「元々、宇宙で一つの言葉だったけど、日本とメソポタミアに降下して別れたと?」
 「……そういう話もある」
 「天孫降臨は本当だったという説か?」
 「……立花神社にも言い伝えがあってね。富士王朝系の文献があるんだよ」
 古史古伝の『竹内文献』や『宮下文書』の類だろうか。もしそれが本当だとしたら、この神社はとんでもなく古い事になる。いや、何処かから継承しただけか?選挙落選者は考えた。
 「今日は婆さんの研究発表会か?」
 IT巫女は可笑しそうに忍び笑いした。そして箱を手繰り寄せた。
 「いや、これはただの道楽で余興だ。本題はこっちだよ」
 箱から丸い球を取り出した。プラスチックでできた星の模型だ。
 「……こいつはレプリカだけどね。聖徳太子の地中石だよ」
 それは一種の地球儀だった。地図の形が少し崩れているが、そう見える。
 「現代に伝わっている現物は、江戸時代辺りに造られた偽物と言われているけど、これのオリジナルは存在したと考えている。そしてその地図の内容は、まだ失われていない」
 IT巫女は地中石のレプリカを渡してきた。選挙落選者は手に取って球を眺める。
 「……日本の南に大きな大陸があるな。これは何だ?ムー大陸か何かか?」
 「そう思うだろう。だがそれは違う。新ムー大陸だよ」
 沈黙が訪れた。意味が分からない。どう違うのか?
 「新ムー大陸と言ったのは言葉の綾さ。でも新大陸である事には間違いない」
 「……まだ存在していない」
 選挙落選者は指摘した。あと他にもこの地球儀にはおかしい処がある。
 「こいつは未来の地球の姿さ。聖徳太子、最後にして最大の予言だよ」
 ユーラシア大陸や南北アメリカ大陸、アフリカ大陸が描かれている。だが一部欠けている。
 「……こいつを見な」
 IT巫女はエンターキーを叩いて、画面を切り替えた。3Dの地球儀が現れる。
 「これは私が作った地中石の3Dさ。それを現代の地球儀に当てはめると……」
 地図上欠けたピースの面積が数値化して、新ムー大陸の面積合計値と大体一致した。
 「……と言う訳だ。これで何か証明できた訳じゃないが、意味深な符合じゃないか」
 正直、選挙落選者は驚いていた。こんな代物があった事も驚きだが、この推理と仮説の大胆さに魅力を感じた。面白い。この婆さんは一体何者だ?そして立花神社とは一体何か?
 「……どうしてこれを見せる?」
 IT巫女はこちらを見て、目を細めて微笑んだ。
 「私の見立てが正しければ、少なくとも国会議員になる。恩は売っておいて損はないよ」
 「……日本の南に新大陸が出現するなら、それは大問題だな。色々考えなければならない」
 よく見ると、小笠原諸島が飲み込まれていないか?ちょっと位置的にヤバい。
 「ところでこの新大陸はいつ頃、出現するんだ?」
 「……知らないよ。だけど最近海底火山の活動は活発だろう。島も浮上している」
 そんな報道があった気がする。最初は小さな島だったが、今は大きな島になっている。
 「それにしても、この地球儀、欠けている部分が気になるな」
 選挙落選者は、地中石を回して見た。たとえば、北アメリカ大陸の西海岸がない。
 「……シアトルからカルフォルニアまでないが、これはどういう事だ?」
 「さあね。知らないよ。表記されていないから、新大陸の面積計算に足したよ」
 沈黙が訪れた。ヨーロッパも抉れている。地中海がやけに大きく見える。
 「……過去の地球の姿って説はダメか?」
 「聖徳太子が過去の地球儀を作る理由が分からないね」
 でもそれは等しく、聖徳太子が未来の地球儀を作る理由が分からない。
 「警告かも知れないけど、未来の私たちに伝えたかった事があるんだろう」
 この際、どうしてそんな事が分かるのかという問いは、今はちょっと横に置いておく。
 「まぁ、信じる、信じないはあるだろうけど、私に言わせれば、聖徳太子の予言はノストラダムス級だよ。ちょっとスケールがでかくて、手に負えないけどね」
 確かにこの地球儀は嫌だ。新大陸は魅力的だが、沈んだ地域はどうなる?不吉だ。
 「……私の孫娘もこの地中石を見て、多分この通りになると言っている」
 孫娘?誰だ?ふとさっきすれ違った白い目隠しをした巫女を思い出した。あの娘か?
 「当代の継承者さ。令和の大巫女だよ。幕末以来の大巫女で、多分最後の巫女だね」
 まるで立花神社が終わるような言い方だった。ちょっとよく分からない。
 「あなたもこの神社の巫女なのだろう?」
 「……先代の継承者さ。平成のIT巫女さ」
 この婆さんも何か能力があるのか。IT系?
 「宇宙の電子使いには敵わないけど、ネットワーク・エンジニアの一人さ」
 なるほど、よく分からない事がよく分かった。だがこの婆さんの能力は確かに高い。
 「話を戻そう。そもそも聖徳太子とは何者だ?」
 「……少なくとも、ただの政治家ではないね。教科書通りの人物だけじゃない事は確かだ」
 IT巫女は言った。そして続けた。
 「聖徳太子は在家だけど、空海より高い悟りを得ていた可能性がある」
 伝承では、空海も宇宙にまで届く認識力を持っていたと言われている。星の海を見たらしい。だから空海と言う。この空海という名前は、空の海、宇宙とか銀河という言葉の言い換えだ。
 「そうでもないと、こんなものを残せないだろう」
 IT巫女は地中石を見た。選挙落選者の手の平の上で傾いた。
 「私たちは仏教系ではないけど、真理や神秘を知らない訳じゃない」
 「……立花神社は主に何をやっているんだ?」
 「夢解きさ」
 IT巫女は答えた。選挙落選者は黙って話を聞いた。
 「修行をしていない一般人でも、資質がある人間なら、霊夢を見る事はある」
 夜見る夢でも、フルカラーで鮮明な霊夢と呼ばれるものがある。その意味を解くのが、この神社の仕事らしい。そして立花神社の巫女たちは、夢巫女とも呼ばれるらしい。
 「ただ聖徳太子のそれは、ちょっと霊夢を見たというレベルじゃないね」
 二人は地中石を見た。これが聖徳太子の真の力の一端だと言うのか。
 「ウチの歴代の継承者たちも、とてもこの世で知り得ない情報や、神秘や智慧を持ち帰る事はあったけど、これほどのものはないよ。同じく未来を見たと言っても、スケールが違う」
 なるほど、ずっとそういう事をやってきたから、地中石に気が付いたという訳か。あの大胆な仮説や推理の理由も分かって来た。この神社は面白い。ちょっとこの世からはみ出している。
 だがこの神社と自分が、磁石のように反発するものも感じる。それがどうしてか分からないが、きっと自分が禄でもない存在だからだろう。選挙落選者は自嘲の笑みを浮かべた。
 
                                     『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード68

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