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Rogha / 撰んだ話

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#コラム

見てうれしい三つの夢

〈海へ行き、キレイな写真がたくさん撮れたので、noteにupしよーとおもったところで目が覚めました。全部夢でした。〉 と、飛渡さゆりさんがお書きになっているのを読んで、頭に浮かぶこと(rêve)。それは見てうれしい夢のことだ。 一、飛ぶ夢 二、どこまでもカッコいいフレーズが自分の指から流れまくる夢 三、アイルランド語で会話している夢  このうち、可能ならぜひとも録音したいのが第二の夢で、もし音源として保存できれば自分にとっては世界で最高の信じられない音楽になるだろう

カトリック詩人スプリングスティーン(追記あり)

現代は詩人がロッカーとして(も)現れる。 ブルース・スプリングスティーン論 'The Greatest Catholic Poet of Our Time' (Jim Cullen) を読んだ。ポスト・ディランとしてのスプリングスティーンを論じる人は多くても、このような角度で論じるのはめずらしい。 スプリングスティーンの詩に現れる「わたし」は日本語にするときに「おれ」とする誘惑をおさえるのがむずかしい。私も俺と自称したくなるほどに。彼の声や歌の感じが「おれ」感を濃厚にただ

ヨーグルトがピンク色にそまるときの味

白いまちと白いヨーグルト 春の気配がないままに3月のビリニュス(リトアニア)には真白な世界が広がっていた。眼前の景色のような真白なヨーグルトを朝食でたっぷりいただく。 リトアニアは酪農国。 古くから日本同様に発酵文化をもつ国。 塩味でいただく白い世界 ヨーグルトといえばギリシアと思われるが、ご多聞にもれず東欧もヨーグルト国家。そのひとつにヤギ皮の袋に乳と菌を入れて発酵させていたケフィアヨーグルトがある。 キリッとした酸味が特徴で、ジャムなど垂らして食べるのもおいしい

物語のための、ほんとうの言葉を考える

最近、昔読んだ児童文学を読み返したりしていて、ふと、こどものころ、自分は常に物語とともにあって、そして物語をつくる人になりたかったことを思い出した。 わたしは、漫画家になりたかった。小・中学生のころ、毎日毎日次々といろんな話を考えては、何ページも何ページも漫画を描いていた。ぺんだこは日に日に厚く固く、ひどい時は腱鞘炎になった。(筆圧が強すぎるのだ…) 少女漫画っぽくてファンタジー要素の強い話が多かった。もうほとんど覚えていないけど、不思議な生物がでてきて、それに導かれるまま

Vol.01 ようこそ「ボナペティー党」へ

旨いモノは何でも記録するが国政には一切影響しない団体「ボナペティー党」の党首、ヤスノリンコ・パンガスキーだ、こんちは。昨日投稿した「秘密結社PGS(パンが好き)」のチーフエージェントと同じおっちゃんである。兼任だよ兼任。一時期AKB48の活動もしていたNMB48の白間美瑠(しろまみる・みるるん)みたいなもんやね。 こちらは昨日投稿した秘密結社PGSの日記だ。パン好きにとっての屈辱の歴史を学んでくれたまえよ。 ちなみに、ボナペティー党の秘書は三毛猫みかんである。 ワタシが

欲望という名のささやかな

象牙の塔から筋肉のない脚で、わたし踏み出そうとしているのかもしれない。 ** 睡眠欲以外、あらゆる種類の欲というものから、できれば距離を置きたくて、 そういう静謐たろうとしているわたしのことを好いてくれる人がいることも、どこかで薄々感づいていた。 すべてのささやかな欲望は無視するか、抑え込むか、あるいはどうにか打ち勝つとかして、 透明の透明になった世界で、最後にどうしても残ってしまったものに跪く。 それがどうもわたしのやり方らしくて、ほんとうに、我ながら極端だ。

ただ並べたかっただけ。桜が今年も綺麗だったから

島根・大森町(撮影:小松崎拓郎) 東京・上野公園の咲き始め 桜が咲いたら私たちはそれを「春」と呼んでいい 色づいたら止まらないから 所変わって宮崎 桜並木抜ければ 夕陽浴びて 時は来たれり 満開になるは中目黒 心奪われ 撮り撮られ ため息とまらない 刻一刻 そろそろ桜、ひらり、はらり ただ並べたかっただけ。桜が今年も綺麗だったから。

自己顕示欲に、どう打ち克つか

昨年の秋頃から意識していることのひとつに、「自己顕示欲に飲まれない」ということがあります。 人には承認欲求というものがあり、「いいね」と言われれば嬉しいし、批判されたら自分が傷ついたときの何倍もの力でやり返そうとしてしまいます。 特に私のように日々発信をしていると、よくも悪くも常に評価に晒されている分、より自分をよく見せてアピールしたいという方向に意識が向きがちです。 あまりPVやいいね数を意識はしていないとはいえ、普段に比べて数字が伸びないと「おや」と思うこともありま

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ロジックは、個人の感性を一般化するために必要なもの

昨年から小林秀雄にハマっている私ですが、年末年始に「人間の建設」を読み、小林秀雄の対談相手である岡潔にも興味を持ち始めました。 岡潔は日本最高の数学者と呼ばれた人なので、学生時代あまり数学が得意ではなかった私はなんとなく近寄りがたく、それが理由で「人間の建設」も読めずにいたのでした。 しかし、小林秀雄との対談を読んでみると、非常に哲学的で情緒や感性を重視していることがわかり、これまでもっていたイメージが一変しました。 特に印象的だったのは、「数学的に矛盾がないというのは

矛盾を愛せる人であること

一般的には、言説に矛盾がないこと、常に一貫した主義主張をもつことが善とされています。 「こないだと言っていることが違うじゃないか!」 「あなたの言うことは矛盾している」 日々、いたるところでこうした指摘を目にします。 しかし、私は人が人である限り一切矛盾のない人というのは存在しないのではないかと思います。 人には、合理的な判断を邪魔する「感情」というものがあるからです。 そもそも、「人間の建設」で岡潔が言っているように、「矛盾しているかどうか」という判断自体が感情的

「電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ」

時間は巻き戻すことなんてできなくて、ただ前に進んでいくのみ。 頭では理解していても、やっぱり巻き戻したいと思うことはたくさんある。 世間的には「後悔」を否定的にとる向きがあるけれど、私はむしろ後悔という感情を自覚し、大切にとっておきたいと思っている。 過去のある地点に閉じ込められてしまった思い出の積み重ねこそが、人生の奥行きだと思うからだ。 *** 最近改めて近現代の短歌にはまっていて、久しぶりに東直子の短歌を目にした。 電話口でおっ、て言って 前みたいにおっ、て

「ZOZOSUIT」への悔しさと感謝と、私たちはここからどう戦っていくべきなのかということ。

私は今、この文章を半分泣きそうになりながら書いている。 何の感情なのかは自分でもよくわからないが、とにかく「すごい」という言葉がずっと頭の中でぐるぐるしている。 ルールが変わる、ここから。 毎週アメリカや中国のニュースを拾って自分なりに解説する中で、遅々として改革が進まない日本のアパレル業界に歯がゆい思いをしてきたが、ここから大きく変わる。 昨日はそう確信した日だった。 ZOZOSUITはすごい。きっと世界をとる。 私が人並みにものを考えられるようになって以来、一

「かかりつけ医」という名のファーストコールを目指す

以前書いたカラー分類の記事が想像以上の反響をいただいたときに印象的だったのが、女性を中心に「私はどこに入るんだろう?」というつぶやきが多かったこと。 友人を中心に「あなたはこれをベースにこのへんを行き来する人だと思う」と占い師のような活動に精をだしてみて思ったのが、みんなまず入り口で悩んでいるのだなということ。 そして、私たちが何かを買おうと思った時、もはや「検索」をしなくなり、代わりに「誰に聞けばいいか」を考えるようになっているということです。 最近メディアもPV偏重

届ける相手を、リスペクトすること

フリーランスになってから、一緒にプロジェクトを進める人の幅がグンと広がって気づいた、魅力的なプロジェクトチームの共通点。 それは、「届けたい相手をバカにせず、ちゃんと見ている」ということです。 一見当たり前のことに思えますが、届ける相手をリスペクトし続けるというのは意外と難しく、できていない人の方が多いように思うのです。 *** 20代OLをターゲットにしたい、働くママに使ってほしいというカテゴリ分けは、どんなプロジェクトでもあると思います。 こうしたターゲット選定