見出し画像

人身事故を目の当たりにして思うこと

今年のBig Topicsは?という年末らしい会話を友達と先週したときに、
私は人身事故を目の当たりにしたことかな~とすぐに出てきて、私にとって大きな出来事だったことを今になって実感した。

梅雨入り近いのに晴れた日、いつも降りない駅で用事を済ませて帰ろうと私は駅のホームに立っていた。
目の前を結構お年を召しているおばあさんが不安定な歩調で歩いているなぁと思っていたら、ふわっと線路内に倒れていった。
横を見たらホームに電車が入ってきている。
近い非常停止ボタンがついている柱まで走って押したが、電車は止まり切れず通り過ぎてしまった。
終わった…と正直思った。
救急隊員や駅員、話を聞かれた警察官によると2人落ちていて、ホームと電車の間から手も伸びてきていて無事とのこと。
え、ちょっと待って?2人?なんで??と混乱、横で電車を待っていた男性も線路に降りて線路横のくぼみに寄せて助かったとのこと。
アクション映画とかを見ていると、自分も身軽に動いて人を助けて…をできるなんて思っていたけど、実際に目の前にすると足が竦んで動けない、せめての私のできることは非常停止ボタンを押すことのみ。
とにかく助かってよかった。ふと私は全国にホームドアが広がったきっかけになった新大久保の事故を思い出すのであった。

目の前で事故が起こったことも衝撃的ではあったが、それ以上に衝撃的だったのは事故だと分かった後のモラルのない人々の行動。

みんなスマホを見て下を向いていて事故に気づいたのは幸か不幸か私とその隣に立っていた男性のみぐらいの状況。
普段私はスマホを見ていることも多いからこれについては特に何も言えることはない。

ただ、人が落ちた場所を電車が過ぎたと分かった後。警察官がホームと電車の間で男性と話している時。
ホームと電車の間の写真を撮ろうとする男性。
非常停止ボタンを押したときの状況説明を警察官にし、最後に身分証明書を見せている時にカメラを向けていた人、あまりにも怖いと思った、恐怖を感じた。
身分証明書を隠すように自分の身をかぶせた。

人が亡くなっているかもしれない、この状況はエンターテイメントなの?

一通りの状況説明も終わり、震えながら自宅に帰っている時にヤフーのトップページに記事が出ていた。
見なきゃよかったものの、ヤフーコメントを見てしまった。
あまりにも無責任に憶測で状況が書かれている。
非常停止ボタン押さなかったのかよとか、人が飛び降りる前にまずは非常停止ボタンだろとか。
見てないのに、記事を読んだだけなのに、強い口調でコメントを書けるものなのかと。
見てない人に何がわかるんじゃ、こっちはすぐに非常停止ボタンを押したわ!なんて反論したくなりつつ、ネットの怖さというものを思い知らされた。

半年経った今でも諸々の怖さは忘れないし、自分の行動を顧みる。
警察署から人命救助で表彰状を貰い親が大層喜んでいたけど、命あってのこと。と母親に言われて、そりゃそうか。死んじゃダメだな。と当たり前のことに気づく。
ホームドアが増えれば良いな、駅員さんが黄色い線の内側にお下がりくださいと言うときは従うべきだし、自分はホームで電車を待つときは通路が狭いところで今後待つことは止そうと思ったり。
ネットでの知らない人達の反響や、現場ですぐカメラを取り出す人たちの恐怖。
言葉にまとめることが難しいぐらい頭の中をいろんな思いがぐるぐる巡る経験だった。

経験だったですませられるのは人が死んでないからこそ。
ご無事でよかった。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?