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欺瞞(人の目をごまかし、だます)社会に必要な大事なこと

キリストの本当の教が伝はらぬやうになつた時。仏法に於ては釈迦のの教が伝はらないやうになつた時、それが世の終りである。即ちキリスト精神の滅亡、仏法精神の滅亡を意味する。此時にあたつて、本当の耶蘇教、誠の仏法を起すのが世の立替である。

世の終末と立替 水鏡 出口王仁三郎

お経に疫病がある。疫病の後に、戦争が起きる。戦争の後に、極東の島で、有名な政治家が暗殺される。すべて順序立てて書かれているんです。
お経には仏法の真の教えがなくなったときに世界が滅亡すると書かれています。お経の凄いところは、その止め方も書いてあることです。我々人間が清浄となり、悟りを開くこと。

三木大雲さんの言葉

私は2018年に【これからたくさんの人が死ぬ】という謎の声が頭に響いてその翌年からコロナがはじまり、いよいよ本当に自分がどうすべきかがわからなくなり、神を信じているようで信じていなかった私でしたが【神様教えてください】と毎晩毎晩全知万能であるはずの神に問うて眠りにつきました。実際は、神というものは全知万能でなく、人間そのものも神の一部であったことが理解でき、私自身はやっと救われたのですが、ここに気が付くまでに時間がかかりました。


気づきがもたらすもの

気づかなければわからないことがたくさんある

私自身、今まで自分が正しいと思ってきたし、私の考え方が間違っているとも思ったことも考えたこともなかったので、私自身の価値観が歪んでいて間違っていたという、こんな些細なことはわからなかったのです。

今、この社会での歪さが痛切にわかるのも、自分が経てきた道を同じようにみんなが辿っているからこそであり、自分の気づきさえなければこの社会は通常運転しているように感じていただけだと思います。

人間には元はよい魂が授かつてあつたがだんだん悪くなつた。
 黄金時代は元の美しい霊であつたが、世がだんだん悪くなつて、白銀、赤銅、黒鉄時代と成り下り、今は早や泥海時代となつて居るから、今の世の中に生れて居るものは、魂が既に外部的状態を混じた善悪混合のものとなつて居る。

人間の霊魂 水鏡 出口王仁三郎

ここでわたしが書いている内容が『全く理解できない』『共感できない』という人がたくさんいるはずです。それは、【気づいていない】し、【気づこうともしていない】し、【知らないから】です。


自分はおかしい、何か間違っているかもしれない、という疑問すら湧かないし、湧いたとしても考えず流される。


上記に書かれている通り、善悪混合となった世の中で、
多数の意見に流される自分というものを持たない集団生活に
なじみやすい民族は、悪一辺倒の思想に流されやすい。

自分の抱えているちょっとした違和感に【気が付いて】
違和感を考えなければ、これらの気づきは得られないものばかり


学びなおしてわかったこと

大学は何を教えている?

色々あった10数年間で私は自分の足りないものを補おうと考えました。

ですから、独学で心理学、宗教哲学、思想、医学などをはじめとして大学に入り直し、西洋史や経済学や大学というものを大人になって学び、様々な事柄を検証していくと、あまりにも現代人は物質的なものや大衆が望む金地位名誉に固執しすぎて、目に見えない何かを失っている、心よりものを大事にする社会の裏側には、自分のエゴ、つまり何かに対する執着が異常に存在し、【自分だけよければいい】という社会に向かってみんなが突き進んでいる、と痛切に理解できたとき、はじめて「私は何かが間違っていた」と、気が付くことができました。

改めて大学の授業を学びなおすと西洋の哲学ばかりが蔓延し、『金地位名誉』の為に平等に与える価値観が当然であるように、規定概念にするような授業ばかりが多く、【自分がどうするべきか】や【自分がしあわせになるために必要な智慧】を教えてくれる授業ではありません。

世の中の大企業に勤めている人たちの思想に『自己中心』が蔓延し、『他者意識』がない、学歴至上主義、お金至上主義の社会が当たり前になるような、そういった教育ばかりが並んでいました。


自分への違和感 私はいつも間違っている

私は、自分がこういった社会で知らぬ間に疲弊し、様々な経験を経て鬱をこじらせ、体では自律神経を乱して精神的にも肉体的にもボロボロになったとき、占いに依存し、自分の都合のいい言葉を言ってくれる占い師をジプシーしました。

ある時に、ひとりの占い師に出会い簡単な占いの後、霊能力で守護霊と会話するということになり、手を合わせていると『お前はいつまでこんなことをしているんだ』と怒鳴られました。かなりショックでした。

それから、私は目が覚めたように自分自身の違和感の正体を見つけるために本職である仕事に出会うことができ、そこから自然の流れで『学びなさい』と言われているように不思議と環境もお金も整い、もう一度改めて前述した通りに学びなおし、占いの本質を知るために占いも勉強しました。


占いで出たことは三木大雲さんと同じことだった

2018年に声を聞いた時には、易占を勉強中で、2018、9年を占った際に世界情勢を占った際に出てきたのが、私の読みの浅さはあれども、アジアの国での大きなデモでした。(その時は海外情勢に疎く台湾だと思ったが香港だった)また、ロシアを占った際には【始まる】という易占の答えが出て、振り返ればウクライナとの戦争の引き金になったクリミアでの鉄橋が完成し、ウクライナとの関係が冷え込み始めており、ゼレンスキーがNATOに協力を求め、アメリカが武器提供に協力姿勢である年であったことで、易占はよく当たる、と思いました。

そして、ただ当たるだけではなく、その解決方法も易占には必ず与えられています。出口王仁三郎氏や三木大雲氏と同じく、【人間の心が大事で精神が間違っている】と何度も出てくるように、【社会ではなく、小さな家庭を大事にすることが大事】【神仏を忘れるな】と、強く念を押すように何度も出てきたのです。


神仏を忘れた先にあるもの

神仏がおろそかになることで自分を見失う

私たちの世の中を眺めていくと、SNSで罵詈雑言が蔓延しています。わかりやすい例をひとつあげれば、最近では川勝知事の『知性云々』といった発言によって、社会が荒れています。

しかし、私は川勝知事が言った発言は確かに問題があるなと思う一方で、『当事者ではない人たちがそこまで言う必要(権利)はない』とも思うのです。


なぜならば、【学歴社会が当たり前になっているこの世の中で、学歴を重要視し、人不足で社会が困窮しているにもかかわらず学歴が低くてもやる気があるいい人材かもしれない高卒を就職させていない企業が多い】のに、【畜産や農産物で働いている人がかわいそう】だから叩いているのも矛盾しているからです。

この社会に本当に社会的差別がないならば、この日本国内でもっと農業人口が増えないとおかしいし、自分たちの好きな職業で食べていく社会が成り立たないとおかしい。それだけの主張をするのであれば人の発言にとやかくいうことはできないのではないか、と思います。

そして、若者が大きな会社に勤めることが『誇り』だとか『ステイタス』だと考えている人がもし、これらの発言を叩いているようならば【自分たちの子供に好きなことをさせるべき】という意見も受け止めるべきことであると思うからです。


私たちの社会というのは、このように非常に欺瞞に満ち溢れているですね

この嘘や騙し合いの中で、私たちは本質を知らなければ、いったい何を信じて生きていくべきかわからないでのたうち回るような現実の苦しみに向き合って、地獄を感じながら生きなければいけないのです。


いい人のようで、こんな欺瞞を振り回す、
いざ自分が困っても自分に実害があれば
助けてくれない人たちに囲まれて、
本当に自分を持っていなければ、
あなたもわたしも壊れてしまうだけ。



真実とはなにか

人間はそのままでは知恵がない


善悪は、所、場所、状況によって善にも悪にもなります。
つまり、私たち自身がこの欺瞞に満ちた世界を『嘘だらけ』と捉えてしまう先には、ただの暗闇しか残されていません。

人間はなんという、汚くて傲慢な生き物だ、と、人生に絶望した人間ならば誰でも感じることだと思いますが、それでも私たちは生きていかなければいけないのです。死ぬほどつらくて人生を放棄して自殺したくなったとしても、本質的には死にたくないからです。

そして、これらの行為というのも私たちの無知さ故から発信されることである一方、こういった無知さが【ある】と、理解している人間というのは、この無知さを反省し、自分が同じ過ちを犯さないように『どうするべきか』を考えることができるということです。


ですから、人生に絶望し、辛酸を舐めた人間ほど智慧が働くようになり、自分一人では何もできない、というところまで落ち込んだ人だけが上記に書いたような

キリストの本当の教が伝はらぬやうになつた時。仏法に於ては釈迦の誠の教が伝はらないやうになつた時、それが世の終りである。即ちキリスト精神の滅亡、仏法精神の滅亡を意味する。此時にあたつて、本当の耶蘇教、誠の仏法を起すのが世の立替である。

世の終末と立替 水鏡 出口王仁三郎

お経に疫病がある。疫病の後に、戦争が起きる。戦争の後に、極東の島で、有名な政治家が暗殺される。すべて順序立てて書かれているんです。
お経には仏法の真の教えがなくなったときに世界が滅亡すると書かれています。お経の凄いところは、その止め方も書いてあることです。我々人間が清浄となり、悟りを開くこと。

三木大雲さんの言葉


これがはじめてやっとわかるようになるだけです。

欺瞞に満ち溢れているように見える社会であっても、人それぞれが自分が『どうしたら人の役に立てるのか』を考えて行っていたり行動していたりているように見えて、《自分の虚栄心のためにしている》ということも多々あります。

しかし、その虚栄心や《いい人に見られたい》という思いでしたことは、案外自分自身の暗い部分を浮き彫りにして、むしろその逆に信頼を失うこともあるのです。

ですから、その行動というものも最終的には誰が責任を取るのか、と言えば【発言した自分自身】に他ならず、【発言した限りの責任がある】ということになります。

自分自身の人生に責任を持つ、ということは、真理を知らなければいけないのだと思います。真理とは【自分一人では生きていない】という根本的な事実です。

そして、本質とは【自分の内側】であり、【自分と繋がっている神仏】がいる、ということでもあり、もし、《神仏を信じたくない》という気持ちがあるならば、≪絶対的に自分を信じる力≫と受け止めてもいいと思います。


そういう強い自分を知ることが必要で、なるべく自分が正しいと思うことに向かいながら、矛盾して『自分のすることは正しいか』という煩悶はどこかになければいけないのだと思います。


省みよ
恥じよ
畏れよ
悔い改めよ
よく悟れよ

霊界物語


自分1人の行動が、実はいろんな人に影響を与えている

自分の行動を省み、恥じ、そして人々の力もさりながら、その後ろにある力(人の想いや神仏)を畏れ、自分のしてしまった行為を悔い、間違っていたら改め、そうやって悟っていくことができる人に、たくさんの人が気が付いて変わっていけば、この世が滅亡することもなく、この世がもっとしあわせになると私は思います。


そうすれば、死ぬ人はもっと少なくなりますし、あなたもわたしも不幸な死に方をしないでも済むのです。


このまま世界が進めば、この地球は無くなります

「自分が不幸せだから、こんな世界はなくなってもいい」

と思う人が実は多いのも確かです。


だから、より自分の中の矛盾に気が付いて、本当の幸せを認める時に来ていると思います

欺瞞に満ち溢れている、この矛盾で出来た社会に矛盾をもたらすのは、自分自身の心であり、悲しいかな、自分自身の行動ひとつだけ

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