フラクタルの中に存在する(自己相似性)を当たり前に受け入れた時、本当の自由を見つけるのかも
表裏一体のこの世界で起きていること
無宗教者による悟り
橘玲の新刊です。この本に書いてあるイーロンマスクの境遇について触れる箇所があるのですが、いきなり重役を解任され、顧客から預かったテスラの予約金を運転資金に回し、友人や家族から借金をしないと従業員の給料が払えないなどの様々な苦境の最中、倒産危機を迎えた際に彼は
と述べたと記述があります。
才能を活かす人間というものには、自分がしていることの意味を無自覚にも感じるのだと感じました。
「因果応報という事実を知ることで分かる何かが存在している」
これからの世界に起こる出来事
自由の解釈
この書籍の中では、リベラルの意味を分かりやすく解釈してくれています。
この本の現代社会の自由の解釈の多様さを最初の30分で説明しているところからさすがや、、、と思ったのですが、深く知りたい方はこちらの書籍を購読頂くとして…
私たち日本人の中に溢れている『自由』というキーワードの解釈は、日本語特有の【自分の感じ方によって如何様にも解釈できる】という、複雑かつ高度な言語のネガティブな部分を大いに引き出して、リベラルであるのか、果たしてフリーダムであるのかを明らかにせず、しかし、世の中で発信されている自由の解釈を鑑みれば明らかにfreedomの自由を指している言葉がスピリチュアル界隈で散見されている事実は否めないのであります。
自律を無視して、ただ、自分の好きなことをしよう、自由を得よう、自分の好きなように生きよう、というそういう自由を迎えた未来に期待しすぎるあまり、その好き勝手、無秩序に知らぬ間に堕ち、【自由を振り回した先にある因果】というものに気が付かず、いつの間にか因果の渦に飲み込まれていく。
何故なら、この世界を作っている人たちの多くがfreedomではなく、日本人の本質は、むしろLiberalだと思うし、その自律性というのも他国よりも実際は自分の欲に溺れやすく、怠けやすい怠惰な人種であることを理解して、規律規範を正しく守ることで律してきた道徳社会が根底に存在していたとおもうのです。
デジタル社会で起きていること
フラクタルという世界線
今まで敵を作ってきた社会から敵がいなくなる社会にどんどんと変化していく。それは、昨今の社会を見て明らかです。上下が薄くなり、縦社会の歪やいびつな社会構造は少しずつ変わっていくと思います。
それがいい方向かどうかはふたを開けてみないとわかりませんが、このデジタル社会が生み出した平等という名の世界線に変化していくからなのだと思います。
一方で、マンデルブロが書いている通り「人知では計り知れない働き」も同時に存在していることを忘れてはいけないと思うのです。
平等性というものの裏には自分と似たもの同士の配合がある
私たちの社会にこれから平等がやってくる未来が来るのだと思います。それは若い人たちが友愛、友達、愛を説き、この日本という国にある歪な自分を我慢してまで何かを為すことの意味がないことを無意識に理解しているからです。
その内側に存在している自己矛盾を解消していくとき
本当の『人間はありのままでいい』社会がやってくる
しかし、人間 即 神であり、逆もしかり
人を大事にできない人間は神から見放され、
神を見放した人間は人から見放される
それは、自由というのは自分勝手、好き勝手ではなく、
自律性(自分軸)を持った自由が存在しているからである
人間は、このフラクタルの法則性をはっきりと理解して、自分と同じ人と繋がり、自分と似ていない人と繋がる社会に発展していくように感じます。
それ以外宗教が無くなり、世界が平和になる道がないからです。(その世界になるために人間はバカな悲劇を繰り返す)
私たちの真の平等がやってくるときというのは、フラクタルの中に存在する(自己相似性)を当たり前に受け入れた時ではないかと思いました。
だからこそ、我々が真に自分を知り、己の弱さ強さを知り、その自分を知っていく中で得た多くのコミュニティーの中で得た友や友人は生涯にわたって付き合いがあるが、自分の性質とは違う人たちとの交流はどんどん減り、自分らしい付き合いができる人の輪の中で、いわゆる【普通のしあわせ】を永続的に経験することになる未来がやってくる。
自分を大きく見せたり、虚栄を張ることも、見栄もプライドも、そういう一切から解き放たれるときが真の平等社会になると思います
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