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『1日10分のしあわせ』ノート

双葉文庫刊
 
 NHK国際放送のラジオ番組で、17の言語に翻訳されて朗読された作品の中から有名な作家のショートストーリーを選んで編んだアンソロジーの第1弾である。ちなみに第2弾のアンソロジーは『1日10分のごほうび』という題名だ。
 
 選ばれた作家は、朝井リョウ、石田衣良、小川洋子、角田光代、坂木司、重松清、東直子、宮下奈都の8人。
 
 朝井リョウの『清水課長の二重線』は、ある会社の総務部に所属する岡本君が、「6月は整理作業月間です。」というポスターを貼るところを社員に見られたくなくて、早めに出勤したのに、同期の川辺君に見つけられる場面から始まる。
 入社してすぐデジタルコンテンツ事業に配属された岡本君と経理部に配属になった川辺君だったが、入社2年が過ぎて岡本君は不本意ながら総務部へ、逆に川辺君はデジタルコンテンツ事業部に異動になる。どうでもいいことにこだわって仕事を増やしている総務部の先輩たちの姿を見ながら、岡本君は自分もこのまま総務部内で席を移動するだけのサラリーマン人生の先行きをみてしまうのだ。
 
 石田衣良の『旅する本』は、本というものが読み手に何を与えてくれるのかを描いている。
 その本は地下鉄の連絡通路のベンチの上で、誰かが来て拾ってくれるのを待っていた。
 そこに失業中の中年男がやってきてその本を手に取る。男はその本をパラパラとめくったが最初から5、60ページは白紙のままだ。おかしな本だとは思いながら、さらにページをめくっていくと、活字がまるで霧が晴れるように浮かんできたのだ。そして目の錯覚かと思いながら最初のページに戻ってみると、活字が並んでいた。
 その内容は、リストラでクビになった会社員の物語だった。同じ境遇にある男は夢中になって共感しながら読み続けた。その本がいつのまにかページが倍近く膨れ上がっていることさえ気づかずに、彼は家に帰っても読みふけった。主人公が新しい職に就くという結末だった。この本を拾って読んだ男はこの物語に救われた。そしてこの本が誰か新しい人との出会いを求めているように感じ、オフィス街にある公園のブランコに、本を置いた。
 このあと、この本は幼い男の子と、男に裏切られた若い女に拾われて新しい物語が始まる。
 
 坂本司の『迷子』は、昔からつまらない人と言われてきた男が主人公だ。酒も煙草も嗜まず、ちょっと道を踏み外した娘からも、「お父さんみたいな予定通りの人生なんて絶対嫌!」「迷い道のない人生なんて、味気ないよ」と言われる始末。この男の趣味は、地図を眺めて目的とする場所までの最短ルートを考えることくらい。道に迷う者の気が知れないと思っている男は、あるとき「道に迷う者は好意を抱かれやすい」と何故か思い込む。
 そのうち娘が子どもを産み、男に孫が出来た。男は人生で初めて、初対面の人間(孫)に愛されたいと願った。それにはどうすればよいのか悩みに悩んで、道に迷えばいいのだと思い、娘の家の最寄りの駅をわざと一つ乗り過ごして、そこから歩いて道に迷いながら遅れて娘の家に行くことにした。携帯電話も置いてきた。
 そしていまこの男は本当に道に迷ってしまったのだ。男は次第に混乱してきて、もしかしたらこれは迷子ではなく、ボケなのではないだろうかと思い始める。むやみに歩き回ったせいで汗は出るし、喉は渇き、しまいには涙と鼻水まで出てくる。
「こんな私を、孫は愛してくれるだろうか。」――ちょっと怖いような、切実な現実を読者に突き付ける。
 
 そのほか、一人暮らしをする娘に母親が送った鍋のセットが、その後の娘の新しい仕事を始めるきっかけになり、料理の腕前が結婚に繋がる話。
 離婚した女が、不動産屋の前で住まいを探しているときに声を掛けてきた年齢不詳の女から勧められるままに破格の条件でアパートを借りたのだが、その女はその客がどんな物件を探しているかを見抜く力があるという。あるとき、通りかかった男性を見て、主人公に勧める。そしてこの不動産屋の女が勧める男性は間違いないと思い込み、こう呟く――「いい物件を、ありがとう」――(女にとって男は物件かい! By佐原)。
 そのほか、死んで妻の日記帳になった夫。妻が再婚を決めたことを日記帳に書いて、この日記帳を庭で焼いてしまう話や、死んでマッサージ椅子に取り憑く男の話など、ちょっと怖いファンタジー小説集だ。

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