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『大図解 九龍城』ノート



九龍城探検隊
岩波書店刊
1997年7月1日初版

 皆さんは九龍城(Kowloon Walled City)というものをご存じだろうか。

 昔、阿片(アヘン)戦争(1839年9月4日~1842年8月29日)という清国と英国の間で起こった戦争で、結果は英国が勝ち、南京条約で香港の割譲(その後、1898年に99年の期限で租借)など、清国は不平等条約を呑まされた。
 この戦争の後、英国の植民地となった香港の一角(当初は清国の飛び地)に建設された砲台の跡に、太平洋戦争後、鉄筋コンクリートの建物がまるで生き物が自己増殖するように40年間に渡って300~500棟(外壁を共有しており、どこまでが一つのビルか判然としないため)もの10階から15階建てのペンシルビル群が巨大化し、最盛期には5万人におよぶいろんな職業の人びとが住み着いて一つの混沌とした超密度の都市をなしていた。しかもエレベーターがあるビルはたった2棟のみ、あとは複雑に入り組んだ階段で上がり降りしていた。
 しかも、管轄権問題が起き、いろいろな経過を経てほとんど治外法権状態となってさらにカオスが拡大した。

 この九龍城は香港の中国への返還にあたって、香港政庁(責任者は英国人の総督)から取り壊しの方針が発表され、1992年7月初旬、最後の住民が強制退去させられて、無人の巨大なビル群が残された。
 私事だが1994年1月に所用で香港に行ったことがあるが、前年から解体作業が始まっており、ほとんど跡形もないとの話であった。

 九龍城の中には、食料品を含めあらゆる日用品の製造工場があり、不動産屋(もちろん九龍城内の部屋の斡旋をする)、おもちゃ工場、紡績工場、麻雀屋、香港裏社会の事務所、ストリップ小屋、パン工場、太極拳のスタジオ、水運び屋(飲料水やトイレ用の水を運ぶ職業)、餃子屋、豚の丸焼き製造工場、喫茶店、雑貨屋、洋服屋、宗教施設(キリスト教系の中華伝道会や関羽を祀った武帝廟など)、また救世軍設立の幼稚園や小学校まであった。

 この本は、縦38センチ、横26センチの大型本で、厚さは1センチ。中は4ページ分の折り込み見開きに描かれた九龍城のパノラマ断面図が4枚と、あとは内部の写真で埋め尽くされているわずか40ページの本である。探検隊は、内部の撮影の許可を苦労して取り、取り壊し前に何とか記録に残すことが出来たそうだ。内部は家財道具が放置されたり、ゴミで通路が埋まったり、壁が崩落しているところもあり、非常に危険で、まさに探検と呼ぶにふさわしい取材だったようだ。

 いまはその跡地は中国式の庭園として整備され、観光名所となっている。

 この当時の九龍城(九龍城砦とも呼ばれる)の写真を見たい方は、インターネットで見ることができるし、今回紹介した本もまだ販売されている。私が購入した当時の値段は2,600円だったが、いまは3,630円(税別)で販売されている。なお、古本の方が値段は高い。

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