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『優しさと強さと――アウシュビッツのコルベ神父』ノート

早乙女勝元著
小学館刊

 ポーランド出身のマキシミリアノ・マリア・コルベ神父――この人の名を初めて知ったのは、学生時代に九州の長崎に住んでいた時である。
 長崎電気軌道の市内電車の終点の1つである蛍茶屋を過ぎて、国道34号の坂道を東長崎へ向けて車で登っていた時に、右側の崖に「聖母の騎士修道院」という看板を見つけ、長崎で修道院を初めて見たこともあって、あとでこの修道院の由来を大学の図書館で調べた。

 コンベンツアル聖フランシスコ会に所属するポーランド人のコルベ神父は、1930年、ゼノ修道士とともに長崎に来て、この聖母の騎士修道院を作り、6年後に祖国に帰国した。コルベ神父はポーランドでは愛国者と尊敬され、ナチスに敢然と立ち向かった。それ故、ナチスに捕らわれアウシュビッツ強制収容所に入れられてしまった。

 私はその後、出版社の転勤で東京に来て、ある大手出版社の月刊雑誌編集者をしている友人から新刊本の書評を頼まれ(もちろん原稿料をいただきました。400字詰2枚で確か7千数百円だった)、一番初めに頼まれたのが、偶然というかコルベ神父のことを書いたこの本だった。
 本の奥付を見ると1983年1月初版となっており、当時の手書きの原稿(書類キャビネットに保管してあったのを最近見つけた!)の書き終えた日付を見ると、1983年6月5日となっている。

 その偶然に驚きながら、すぐに引き受けて(原稿料に魅せられてではありません。念のため)、一気に読んだ。

 第二次世界大戦中に、ユダヤ人などおよそ400万人を虐殺したナチス。太平洋戦争を含む15年戦争での日本における犠牲者(軍人・軍属・一般国民)が約320万人であることと比較すると、いかに戦争中といえども、ナチスのやったことがいかに狂気に満ちた殺戮であったかが分かる。
 ナチスの標語――肉体を打ち壊せ、精神を打ち破れ、心身を破壊せよ――だまされて連れてこられた強制収容所で人間を極限状態に追い詰めて、人心を抜き取り、獣の心に入れ替えようとした。ここでは、思いやりや優しさ、知性や理性、良心や正義が最大の敵とされた。
 衣服は剥ぎ取られ、番号で呼ばれ、まともな食事は与えられず、強制労働に耐えられなかった人は容赦なく殺され、遺体からは金歯を抜かれ、脂肪は石鹸に、髪は切り取られて詰め物や人工フェルトに加工され、カーペットなどに使われた。
 こんな収容所の中では、自分が生き残るためには、わが子や家族、友への同情や思いやりを捨てなければならなかった。正義感などは無用のもの。それは自分の死に直結するものであった。
 コルベ神父自身も強制労働中に倒れた罰としてナチスから受けたひどい仕打ちを受け、瀕死の重傷を負いしながらも、この生き地獄の中で、自身はひたすら収容者のために祈り続けていた。「絶望から逃げてはいけません。絶望に自分から立ち向かっていき、その絶望を乗り越える力が、勇気が、今私たちに必要なのです。その力は愛です。神への愛以外にはありません」と。

 ここ収容所から脱走者があった場合には、その生け贄となって収容者の10人から15人が餓死刑に処せられる決まりになっていた。
 ある日、一人の男が脱走したことがわかり、10人の生け贄が選ばれた。その中に捕虜になったポーランド軍の軍曹がおり、彼は家族の名を呼びながら、死にたくないと叫び、泣いたのをみて、コルベ神父――囚人番号16670――は自分が彼の身代わりになると申し出たのである。彼がその時言った言葉は、「私は神父。妻も居なければ、子もいませんし、それに年よりです。彼を、あの若い彼を、妻子のもとにかえしてやってください」であった。その言葉に気圧されたように、ナチスの将校の口からかすかなうめき声がもれて、その頬がひきつったようだった。そして身代わりを認めたのである。
 コルベ神父は、餓死室に入れられ食べ物はもちろん、水も与えられなかった。そして14日間他の9人たちのために祈り続け、最後はナチスから毒殺されたのである。一瞬で命を奪う銃殺刑の方がいかに楽だったか。
 コルベ神父は、人の心を失っていく収容者たちに、絶望や憎悪は何一つ作り出せないことを教え、人間に一番必要なものは他人を思いやる優しさと、それを貫く強さなのだということを身をもって教えたのである。47年の生涯であった。

 コルベ神父が残したメモにこうある。
「自分自身に完全に打ち込め。そのあふれるものを通じて他の人びとに完全に献身することができるように」。
 強制収容所という極限状況の中で、一条の光のように人間の尊厳とは何かを教えてくれる。

 コルベ神父は、1982年に長崎を訪問したローマ教皇のヨハネ・パウロ二世から聖人に列せられた。
 なお、この本のほかに、『長崎のコルベ神父』(小崎登明著 聖母文庫)がある。
 それには、「その苦難の長崎時代を抜きにしては、聖者コルベは語れない」とある。

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