推しを語る②-1:泉谷駿介 ~筆者が110mHに魅了された理由~

どうも、陸上競技が好きなゆーすけです。
執筆が難航していた「推しを語る」第二弾です。
現在男子110mHの第一人者である泉谷駿介選手を取り上げます。
しかし、泉谷選手について書くと種目特性に触れざるを得ません。
そのため種目の紹介をしながら選手を紹介していきます。
今回の記事は前編として、主に泉谷選手が大学1年までのことを書きます。

泉谷駿介選手のプロフィール

名前:泉谷 駿介(いずみや しゅんすけ)
横浜緑が丘中→武相高→順天堂大→住友電工
2000年3月26日生まれ

現在の日本記録保持者です。
身長は175cmとハードラーにしてはかなり小柄です。
東京五輪代表で、世界陸上の日本代表にドーハ、オレゴンと2大会連続選出されています。

なぜ推すのか。
それは日本が世界との距離があったこの種目において、
メダルの文字が出るほどの記録を出した可能性の塊だからです。
(詳しくは次回書くつもりです。)

110mHとは

ここで、現在における泉谷選手の専門種目である110mハードルの話をします。
110mハードルは、10台のハードルを跳び越えながら110mを走るタイムを競う競技です。
そのままですね。
ハードルの高さや場所は以下のように決まっています。
※高さは年代によって数種類あります。

  • 最初のハードルまでの距離は13.72m (45ft)

  • ハードル間の距離(インターバル)は9.14m (30ft)

  • 最後のハードルからゴールまでの距離は14.02m (46ft) 

  • ハードルの高さは106.7cm (3.5ft)

110mHを知ったきっかけと種目特性

自分はこの種目を知ったのは高校で陸上部に入ってからです。
世界陸上はその前から見ていましたが、全く気にも留めていませんでした。マイナーな種目かもしれません。

この種目の選手の大半は長身の(脚の長い)選手。時々比較的小柄な選手がいる程度でした。自分のチームでも長身の選手が専門でした。
後で知ったのですが、ハードルの高さゆえに競技人口が限られてしまうとのことです。
(諸外国では高校生は1段階低い高さで競技を実施しています)

そこで、この種目の特性を知ることとなります。
それは「追い風がいいとは限らない」ということです。
これがハードルなし種目との違いです。
ハードルがない種目では追い風を受けると走りやすく、良いタイムが出ます。
しかし、この種目は少し様子が違います。

風が吹くと1歩で進む距離が変わります。
しかし、ハードル間の距離や必要な歩数は変わりません。
するとどういったことが起こるでしょうか。

追い風であっても、足をハードルにぶつけて減速したり転倒したりする可能性が高まるのです。

事実、この種目が専門だった同級生は「無風が自分にとってはベストコンディション」と言っていたし、泉谷選手も日本選手権後のインタビューで「向かい風がやりやすい」と答えていました。
まあ、「タイムが出るかどうか」とは別の価値基準なのでしょうが…
それがこの種目の魅力、奥深さなのかもしれません。

高校時代

泉谷選手は高校時代、八種競技を専門としてインターハイで優勝。
その一方で110mハードルで高校歴代3位(樹立当時)をマークしています。
ただ、泉谷選手に対して私は「専門外なのにやたらと速い選手がいる」程度の認識でした。
今思えば完全に感覚が麻痺していました。
なぜか。理由は「泉谷選手が神奈川県出身だったから」です。
当時の神奈川県は古谷拓夢、金井直というトップハードラーを生み出していました。

古谷拓夢と金井直

古谷選手は泉谷選手の3学年上、
金井選手は古谷の1学年下、泉谷選手の2学年上の選手です。
古谷選手は2年と3年時にインターハイのハードル種目2冠を達成しています。
古谷選手が登場する前の高校記録は、2001年に大橋祐二選手がマークした13秒98。
13秒台の高校生ハードラーはそれ以来他にいませんでした。

しかし、古谷選手はそこから2014年までに13秒83まで短縮。
その時点で13秒台が歴代通算で3人しかいなかったことから、
記録は10年は破られないだろうと思ったものです。

しかし、翌年金井選手がインターハイ決勝で13秒85をマーク。
古谷選手に肉薄しました。
古谷選手の高校記録は、2021年のインターハイまで守られることとなります。

2018年の関東インカレ決勝

泉谷選手と古谷選手は2018年の関東インカレ決勝で対戦しました。
泉谷選手は跳躍ブロックに所属していましたが、1校3人までの出場枠の関係でこの種目に出場。
脚光を浴びることになります。
1年生の泉谷選手は転倒して失格となったものの、4年生の古谷選手に先行しました。
(画面奥から3人目が泉谷、4人目が古谷)

私は、とても驚きました。
自分たちからすれば2点あり得ないことが起きていたからです。
この年代の絶対的王者というべき古谷選手に選手が並びかけていること、そしてその選手が古谷選手の3学年下であることです。

自分は高校時代陸上部でハードルの高さを身に染みて感じていました。
ハードルはやっていませんでしたが。。。
そのために、ハードリングには技術が必要であること、そしてそれはとても難しいことを分かっていました。

このレースをみて、ワクワクしました。
ただ、記録には残らなかったため、すぐに頭の片隅に追いやられてしまいました。

今回はここまで。
そのうち続編を出します。

執筆後記

この記事の執筆が難航した理由は、もともと種目紹介記事であったからです。
そのため、本人から離れたエピソードを書く必要がありました。
まとまらなくなって数ヶ月。
やっと書くことができました。

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