人はなぜ表現が必要なのか?

先日は、運営しているシェアハウスに住んでいる劇団をやっているコの公演に行ってきました。

ジェンダーをテーマに扱い、ときにコミカルに、ときにシリアスに、演出家の実体験を基に、取り巻く違和感を描いた作品。

舞台は海の底。エビが営むいわゆるガールズバーに来店するカニの接客を通して、ジェンダーに対する固定観念にスポットを当てる。

彼女の作品は始めて鑑賞させてもらったのだが、ひいき目とかなしで、すごく良くできた作品だなと…「よくできた」だなんて、なんだか偉そうな感じな聞こえですが…とにかく、ストーリーや各キャラクターのわかりやすさ、出演者の演技力、舞台美術や小道具の世界観、入場に至るディスプレイやグッズ…総合的にすごくよかったんですよね。

僕は人の表現に振れることが好きなので、演劇の他、音楽やお笑い諸々、観にいくことが多いのですが、多くはやっぱり作品自体に重きがあって。当然と言えば当然で、もちろん彼女の場合も主としてあるのは作品で間違いないのですが、その作品に至るまでの過程をも演出する人って小劇場スケールでやれている人って多くないと思います。

自分は元々音楽業界の人間で、プロダクションとして、アーティストのライブ会場の設営やその過程を幾度となく見てきているのですが、スケールが大きくなればなるほど、関わる人間も増え、そういった会場の世界観というのは、周りの大人たちが作っていって、エンタメとして一つの完成した世界が築かれていきます。

なので、もしかしたら一定のスケールでのライブとかに良く行かれる方は、こういった世界観の演出というのは当たり前のように思うかもしれませんが、今回のスケールやそれに伴う予算でそこまで行き届くというのは、割とすごいことだなぁと個人的に感じました。

作品の内容に関しては本日まだ公演が残っているため、ここでは割愛させていただきますが、やっぱり表現って大切だなぁと改めて感じさせられました。今後、もっと大事になってくるな、とも。


というのも、僕らはこれから、未だかつてないほどの多様性の中で生きるのにあたって、ときに双方の理解を得ることが難しい課題もあると思います。既に色々溢れていて、戦っている人も多い。

そういうのって、ロジックで論破して解決するようなことではありません。

納得ではなく、共感して始めて理解のキッカケが掴めるものだと思います。


今回、彼女はジェンダーをテーマに扱いました。
彼女が抱える葛藤を普段、シェアハウスで彼女の口から聞いていたりしたので、彼女の気持ちは知っていました。が、個人的な意見としての伝わり方と、それを作品して昇華させられたものの伝わり方って、芯の部分は同じでもなんか違うんですよね。

僕らは人の話を聞くときって、無意識に話し手のことをカテゴライズしていて、そして自分が持つカテゴリーとの接点を探して会話しているのかもしれません。

世代とか性別、職業や出身、他バックグラウンド…

それは人がコミュニケーションを取る上で、そういう風にできているものだと思うので、否定も肯定もないのですが、ひとたび作品となると、こういったその人に対する一種の先入観みたいなものが取っ払われるような気がします。


といった感じに、僕としては今後、表現というのが益々社会に必要だなと、昨日の公演を観させてもらって改めて思いましたが、反面、今、数々の劇団が主に資金難のためどんどんなくなってしまっている現実もあるそうです。

今回、演出家として公演を主催した彼女としても、演劇の良さを一人でも多く知ってもらおうと、利益をド返してしてまでも観てもらう敷居をなんとか下げ、かつ良い作品を観てもらおうと努力しています。

そんな彼女の劇団
劇団はみだしぼっち
https://hamidasibotti.wixsite.com/hamidasi

ということで今日はこの辺で。
今日も聴いていただき、ありがとうございました。
よい一日を。

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