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【東京巻き込み育児 #10】「子どもは預からない」未熟な私が凍りついた両親の言葉の真意

サンタモニカと違い、ママにとって苦しい“東京の子育て環境”の中、周囲を巻き込むことで4人の子どもを育てた私の経験からお届けする【東京巻き込み育児】前回は次女を介して起きた“ママ友とのトラブル”をご紹介しました。
今回は、愛すべき私の両親と、新米母であった頃の私との間に起こったかっとうをご紹介します。
この連載は、子育て中の私に関わってくれる全ての人へ感謝の気持ちを込めながら書いています。元気すぎる娘を、未だに辛抱強く見守ってくれる両親へ、感謝をこめて。

■「自分の両親なら?」と考えていた新米の母

私の両親は、たまの旅行が楽しみの、子どもの教育に熱心な、真面目を絵に描いて命を吹き込んだような人たちでした。

父は国立大学を出てサラリーマン生活を全うし、母はこまごまと動き回って、家の中をきちんとした空間に整えるのが趣味のような人でした。

“出来ちゃった婚”という形で思いがけなく母となった私です。が、今思えば、当時の私は両親からも完全に自立が出来ていない状況でした。

なにしろ、何か大事な事があると母に聞きたくなるし、父と母はどんな風に考えるだろう、と知らず知らず頭に浮かんでしまうのです。

当然の事ながら、夫を頼りにし、信頼するということが出来ていなかったと思います。

■ 味方してくれているのに…母に対する違和感

ある日、他愛も無いことで夫に腹を立てた私は、数日分の荷物をまとめて実家を訪れました。夫が謝罪して迎えにくる事を想定しての、何とも恥ずかしく子どもっぽい行動でした。

ところが夫は迎えに来ないどころか、電話もかかってきません。さらに私は腹を立て、母に愚痴をこぼしました。すると母は、一緒になって夫の悪口を言い、完全に100%私の味方になってくれたのです。

ある種の違和感が、胸にムクリと首をもたげました。

「アレ?」と思いました。共感してもらったはずなのに、母は私の味方なはずなのに、スッキリしません。

要は私はハッキリ言って、腹が立ったのです。実の母に、自分の夫の悪口を言われたことに対して。そこで私はまたもや荷物をまとめて自宅へ帰りました。

こうやって振り返ると、なんと身勝手で落ち着きの無い人であったかと恥ずかしく、母にも申し訳ない気持ちがします。愚痴って、共感してもらって腹を立てるのですから。

しかしながら、私と母のそれまでの関係性を、如実に表しているエピソードだとは思います。

■ 両親の放った言葉「預からない」

またとある日のことです。アメリカから、夫の大学以来の大親友と、その恋人がやってくるということでした。そこで、夫が東京を案内することになりました。そしてその中の1日は、私も同行して2時間ほどの東京湾のナイトクルーズへ行くことになったのです。

まだ長女は3歳前後、次女も2歳になる前くらいの頃だったかと思います。夫は軽く「ミカの実家に預けよう」と言ってのけます。

夜に小さな姉妹を預けて出かけることを、両親は反対しました。そして「自分たちは、それは間違った事だと思うので、姉妹は預からない」と断ってきたのです。もうこの時点で私の罪悪感はお祭り騒ぎでした。

私は“親としてすべきでないこと”をしようとしているのだ。
両親に非難されているのだ。
私は“いい母親”という輝かしい立場には、ほど遠いのだ……。

そんなモヤモヤが、胸の内を覆い尽くしました。

■ アッサリとした、夫の決断

夫はあっさりと方向転換しました。「じゃあ、託児所を探そう」。

インターネットを検索し、船着き場から送り迎えしやすい場所に、評判のいい託児所を見つけました。

つまり夫は、罪悪感など露程も感じていなかったのです。夫にとって、子どもを抜きにして夫婦で出かけることは、必要でもあり、アタリマエでもあることでした。

私は姉妹の好きなシチューを作り、夕ご飯として一緒に預けました。罪悪感と期待をぐるぐると混ぜ込んだシチューです。託児所に着くと、長女はさっそく託児所内のおもちゃを物色し始めましたが、次女は置いて行かれる気配を察して泣き叫びました。

次女の泣き声に後ろ髪を引かれる思いで、託児所を後にしました。

とはいえ、クルーズはたった数時間の事です。迎えに行くと、姉妹は他の子は寝ている薄暗い中、2人寄り添ってDVDの光る画面に向かっていました。

夢のように楽しく華やかなクルーズから下船した私に、またもや日常が戻ってきました。そうして私の罪悪感お祭り騒ぎも、ようやく鎮静しました。

■ 成長は続く

当時の私は、両親と世間の顔色を伺い、夫に決断してもらうことを常に期待していた、全くの頼りない未熟者でした。

今考えますと、子ども達を預からないと決めた両親の心には、私への不信感があったわけです。

堂々と甘えればよかったものを、びくびくと罪悪感に悩む私に不安を憶え、甘やかしてはいけないと決断したのでしょう。そりゃそうだよなあ、と今では分かります。

このように、両親の近くで子どもを育てるということは、世代間の考え方の違いがハッキリと表れるということでもあります。

それは時には、かなり面倒くさい類いのものです。

しかし私たちの場合は、ここを避けずに、ちょっと過ぎるくらいに真っ向からぶつかり合うことで、今では双方ちょうどいい距離を取ることが出来るようになりました。また、いつまでも娘気分の自分への違和感に気付くことも出来ました。

私たち人間は、色々な異なる立場の人との関わりの中で生きています。実家、義実家、兄弟家族、夫、子ども、友人……。その中で少しずつでも成長することが、恩返し、親孝行になるのではないでしょうか。

4人の母となり、当時赤ちゃんだった姉2人は、もう中学生です。遅すぎるかもしれませんが、ここに来てやっと私は、たっぷりと注いでもらった愛情を、返す立場になれたような気がしています。


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