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映画 自由とトレードオフ「nomadland ノマドランド」を観て

主人公は60代の寡婦。夫は病気で亡くなり、社宅は会社がつぶれたことで出なくてはならず、大きい荷物は倉庫に保管し、大型車を家代わりに、ノマドで移動する生活をしている。それまでは主に主婦で、たまにパートや学校の代理講師を数年。

ノマド暮しの収入は季節労働的で、アマゾン倉庫や、どこかのセンターで働き、同じノマド仲間と情報交換をして定期的に移動して働き場所を移っていく。
腹痛で車内で多分バケツにトイレをしたり、外でトイレしたり、川のようなところで身体を清めたり、知り合った人の死や、天候による車内生活の過酷さや、いろいろリアル。

他方、アメリカの広大な自然の美しさや圧倒的存在感には目を奪われる。ノマドたちは、自由で孤独と隣り合わせでこうした自然とともに生きている。

車の故障によってお金が必要になり、姉を頼る。電話では喧嘩しつつも、会うと姉はいっしょに住まないかと声をかけてくれる。けど、主人公は定住する気はない。姉は、妹の夫が亡くなった後でなぜあの土地を離れなかったのか理解できなかったと言う。けど、子供の頃から自由な妹を羨ましく思ってもいた。
姉から、主人公はとても愛されていることがわかる。

以前知り合った男性と再び出会い、いっしょに働く機会を持つ。その後、彼の息子が迎えに来て出ていくことになり、いっしょに行かないか誘われるも断る。いつか家を訪問するといい、実行する。
彼の子供や孫と楽しい時間を過ごすも、主人公はどうも落ち着かず、自分の車の中で寝る。明け方、また家の方に戻るも、静かに家を去る。
そして、大きい荷物を預けた倉庫へ向かい、すべて処分してもらう。

夫は天涯孤独で、いっしょに暮した土地を離れると彼の存在がなくなるように感じて離れられなかった。けど、思い出は心の中にあるから。

住んでいた社宅を訪れ、おそらく本当に別れを告げると、再びノマド生活に戻る。自分がいる場所が家なのだ。

始まりから中盤までリアルな描写で、お金の無さ、年齢の壁、車生活の限界等リアルで暗い気分になった。それを、明るくしてくれるのは広大な景色と、ノマド仲間との関係。

主人公には、再び家で暮らすチャンスが少なくとも2度あった。けど、断った。きっかけはともかく、一旦自由になった主人公にとって、そこはもう違和感しか感じない場所になっていてなじめなかったのだ。
ノマド暮らしの問題というかリスクは何も軽減されてないけど、ラストはなぜかポジティブな気持ちで終わった。主人公にはもう足かせがなく、どうとでもやっていけるだろうという軽さがあって。

ただし、ノマド生活はできる人とできない人がいると思う。安定が欲しい人には精神的に厳しいと思う。でも、こういう選択肢をする人は確実に増えているようだ。

以前、アメリカのドキュメンタリーで、こうしたノマド的暮らしを選ぶ高齢者が結構いることを知った。ここでは、お金を払うことでいくつか滞在センターのようなものもあった。広大なアメリカでも駐車できないところが多いのだ。
この映画で最後のテロップを見てると、本当にノマドのひとたちが多数出演していることがわかる。演技というより、ノンフィクション的。

主人公は必要なものは、交換やリサイクル等で得る。ノマド生活は究極のミニマリストかもしれない。物はなくても意外とやっていける。

この作品は、ノンフィクションを元にしている。あらすじをチェックしてから見るほうがわかりやすいかも。



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