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☆本#72 子供の命 「赤ちゃんをわが子として育てる方を求む」石井光太著を読んで

新刊として見つけた時、垣谷美雨の小説のようなコメディのようなノリを想像していたらまったく違った。

特別養子縁組制度の制定に影響を与えた医学博士であり産婦人科医の「菊田昇」の人生に基づいたフィクションの話。

主人公の母親は、貧しさから脱却して生き抜くために遊郭を経営し始める。長男長女は優等生だったのに、お金がなかったため高校へ進学させることができず、就職させた。だから、末っ子の昇には大学まで進んでほしかった。

当の昇は、勉強が嫌いだけど友達思いの正義感の強い少年だった。あるとき、小さいころから姉のように接してきた遊女が中絶によって死亡したことと、母親の説得で医者を志す。

産婦人科医になってみると、仕事の大半は中絶だった。
昭和35年ごろ中絶された子供の数が100万人って衝撃的な数字だ。

世の中には子どもを産めなくて、子どもが欲しい人がいる一方、中絶する側にもそれぞれ事情があって、妻子あるひとと知らず付き合い、別れた後で妊娠が発覚したり、レイプされたり...。

ある母親は戸籍を汚したくないから大学生の娘を中絶するよう連れてくる。確か世界で戸籍制度があるのは日本、韓国、台湾だけじゃなかったっけ。

当時は妊娠7か月まで中絶可能だったけど、8か月でも中絶している医者がいたらしい。

ショッキングなのは、早産で死産を想定していたら、赤ちゃんが息を吹き返してしまい、医者が殺すというケース。これは結構ふつうに実施されているらしい。

産婦人科医として赤ちゃんを殺すことに心を痛め、子供が欲しくてもなかなか生めない夫婦と、事情があって子供を中絶したい女性との斡旋を思いつく。

そして、実施する。
1973年、このことを新聞の1面に載せることを条件に新聞記者に話し、それが特別養子縁組制度の制定のきっかけとなっていく。

当時、アメリカからも日本人のあかちゃんを養子に欲しいという話が来ていたらしい。スティーブ・ジョブズも養子だし、アメリカのほうが養子制度が日本より自然に受け入れられている印象。日本も、江戸時代ごろまでは特別なことではなかったようだけど。

主人公が子ども時代、姉のように接していたもう一人遊女は梅毒の悪化で亡くなる。性病については、黒船が来て開国され、西欧人が遊郭に来るようになってから薬が開発・使用され始めたらしいと聞いたことがある。要は、西欧人が帰国する際病気を持って帰らないため。


ある作家が、「正義は勇気のあるひとしかできない」と言っていたことを思い出した。



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