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最適解を求め急がない

「あなたの弱点はね、まず自分に都合のいいような答えを先に見つけて、それに引っ張られるところかな」

ほんの少しだけ躊躇いの色を見せながらも、先生は私の目をまっすぐ見てそう言った。自宅から車で20分程度の閑静な街。その一画にあるおうちで私は英会話の個人レッスンを受けている。

終わりのない英語学習。これまで現地の語学学校に通ったり、アメリカ人のチューターに英語を教わったりしてきた。今さら日本人の先生に指導を受けようと思ったのは、英語を習得した先に「翻訳」というスキルを身につけたいのが理由の一つ。
それを差し引いたとしても、日本人ならではの癖を指摘してもらえる今のスタイルが私にはとても合っているようだ。

昨年末、集中的に翻訳指導を受ける機会があった。後日振り返りのときに思い切って「翻訳における、私の弱点って何ですか?」と尋ねてみた。その答えが冒頭の言葉。

文章の内容を雑に把握して「多分こうだろう」という日本語文を先に設定し、それに合わせる形で都合よく英文を解釈しがちなのだという。

先生の返答は思いのほかグサリと心臓に突き刺さった。不愉快な痛みではない。これはきっと翻訳の話だけじゃなくて、大きな意味で「私の弱点」だと自覚せざるをえなかったから。

思い当たる節がある。たとえば人と話していても「こんなこと言いたいのかな」と推測してしまう。まだ話の途中なのにそれに対する見解が脳内にぽこぽこ生まれる。もしかしたら相手が言わんとしている主旨は全く違うかもしれないのに。推測というバイアス。よろしくない。
子どもの欲求を先読みし、ハイハイと差し出すもしくはやり過ごすことも多い。「ねぇ、僕まだ喋ってる!聞いて!」と息子に言われてごめんとなる。ちゃんと叱ってくれるからありがたい。

人生全般にも言えるのかもしれない。なんとなく「こうあるといい」姿に引っ張られてしまう。カッコいいから、流行っているから、稼げそうだからというイメージベース。もしくは、アラフォーだから、海外在住だから、子どもがいるからというスペックベース。いざ寄せてみて、それを本心から求めていない自分に気付く。

本当はもっと、目の前にいる人を、今を生きる自分を、そこから生まれる対話や感情を、大切にしなくちゃいけない。安易に最適解を得ようとしてはいけない。

だって、私が翻訳作業の中で先走って見つけた答えは間違えているものがほとんどだった。先生は、続けてこうも言った。

「ちゃんとひとつひとつを丁寧に紐解いていかないから、大きく誤ってしまうんです」

ううっ…ぐうの音も出ない。今年も先生についていく。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。