見出し画像

ヨーグルトに救われた2週間のこと

人は失って気付くと言うけれど、私は失うより先に気付いたとしても、すぐに忘れてしまう。

繰り返し、繰り返し。

思い出したくないような、でも絶対に覚えておかなければならない、我が家に起こった出来事の記録です。

風邪の症状がない恐怖

ある日、突然のことだった。

いつものようにデイケア(保育園)へ迎えに行くと、先生に連れられ、うつむいて歩く長男がいた。普段は満面の笑みで飛びついてくる。なのに目も合わせてくれない。

「昼寝後から様子がおかしいの。ずっとダルそうに横になってて」と先生。

帰りの車の中、明るく声をかけてみても反応は薄かった。彼は、ただ静かに窓の外を眺めていた。

家に帰るや否や、床にそっと倒れ込み、動かなくなった。お気に入りのブランケットを抱きしめる腕に力がない。

熱も、咳も、鼻水も、何も症状がないのが不気味だった。風邪であってくれと願う。

初めて見る姿に背筋がぞっとする。これからとんでもない事実を突きつけられるんじゃないか。そう思うと怖くなった。

「何か食べる?」

好物を差し出しても、彼は首を横に振るばかりで、かろうじてヨーグルトを二口だけ食べて、また床に突っ伏した。

夫の帰りを待って、救急病院へ向かった。一通り診察を終えると「Everything is normal」と言われた。異常がないなんて信じられない。明らかにおかしいのに。

明日もう一度かかりつけの医師に診てもらうアポイントを取り付け、不安なまま夜を過ごした。長男は遊ぶことはおろか笑うこともなかった。

朝起きたら元気になっていますように。横で眠ろうとしたが、目は冴えていた。

翌日から、医師とともに原因探しが始まった。

先天性血液疾患という不安

G6PDという言葉を耳にしたことがあるだろうか。まるでコンピューター用語のそれは、我が家の息子二人が持つ血液疾患の名前だ。

グルコース-6-リン酸脱水素酵素欠乏症(G6PD)

赤血球を守る酵素が平均値よりも少なく、一定の条件下において溶血性の貧血を起こす。最悪の場合は血液をまるごと取り替える必要が出てくるらしい。普段は何の問題もなく生活できる。

母方の遺伝性であり、男児にしか発症しない。つまり私の遺伝子が彼らに悪さをした。これが発覚したときの葛藤は、いったん割愛する。

一番のトリガーとなるのは、ソラマメ。食べなければいいだけでは?と思うが、実はいろんな所にトラップが潜んでいて、例えば麻婆豆腐を作るのに使う豆板醤の原料にも使われている。

日本人の発症例は全体の0.1%だそうだ。

長男の様子はまさに貧血のようで、さっそく血液検査を受けた。

結果は、G6PDとは関係ないとのことだった。安堵と落胆と、両方が入り混じる。だったら、どうしてこんなに弱っているのだろう。

「I'm so sorry…」と医師や看護師たちは何度も言った。長男の様子に。原因を見つけられないことに。この言葉は、病院で聞くとめちゃくちゃ重い。

体調不良になってから3日ほど経ち、ほぼ飲まず食わずだった彼は脱水症状を起こしていた。

ふたつの疑惑

長男はありとあらゆる方面から検査を受け続けた。結果としてふたつの疑惑が浮上した。

①甲状腺ホルモンの低値

2歳児にしては、甲状腺ホルモンの数値が低いと言われた。甲状腺といえばバセドウ病が有名。これは過剰に分泌されることが原因らしいが、長男の場合は逆。

数値が低いことによる最もおそろしい影響が成長障害だという。年齢を重ねても体が大きくならない。それを防ぐためには一生投薬が必要とも。

さらなる精密検査に進んだ。

②くも膜のう胞

一ヶ月ぐらい前、長男は遊んでいたソファから転げ落ち、頭を打って流血騒ぎに発展したことがあった。一応という形で改めてCTスキャンを受けた。

「脳に水たまりがある」そう告げられたのは甲状腺ホルモンの精密検査を受けた数日後。次から次へとやってくる試練にめまいがした。

スタンフォード大学の子ども病院で正確な診断をもらうよう指示があった。G6PDが発覚した以来の来訪で、そんなところに自分の息子がなんども通うことに現実味がなかった。

グレーな経過観察

長男の腕は採血の注射跡でいっぱいになった。当時まだ2歳だ。痛くて怖かっただろう。見てるだけで辛かった。なのに彼は一度も泣かなかった。

やがて、少しずつ少しずつ元気を取り戻し、食べられるものも増えた。

期間にすれば2週間ほどだったが、この間に次男は胃腸炎にかかって嘔吐、自宅にリスが侵入してフン被害など、もう散々だった。

結果的に。甲状腺ホルモンの値は一番下だけれどもギリギリ平均値内、くも膜のう胞は幼児によくあるもので自然と消える可能性が高いということだった。数ヶ月に一度の再検査を必要とする経過観察。

大事に至らなくてホッとした。その一方で、体調不良の原因は未だ謎のまま。不安だけが残った。

ヨーグルトに救われた日々

横たわる長男を目の前にして、何もできなかった。

とにかく少しでもいいから飲ませて、食べさせて!というのは医師から命じられた最重要課題。

あのとき、ヨーグルトは大袈裟でも何でもなく彼の命を繋いでくれたものだった。他は受け付けなくても、ヨーグルトだけは食べた。あるときは一口。あるときは全部。

「ヨーグルトのある食卓」こんな爽やかで温かい企画に、これらのことを書いていいものか、正直迷った。でも、たしかな感謝の気持ちがあった。ヨーグルトのおかげで息子が救われましたと。

私には、たくさんのやりたいことや叶えたいことがある。妻になっても、母になっても、相変わらず。

けれど、長男が笑わなくなったとき、全部どうでもいいと思った。当時の日記にこう書いてある。

こうなってみて初めてどれだけ子どもたちが大切か気付いた。母として試されている気がする。ちゃんと子どもたちと向き合っているのか?これらは自分を優先させてきた結果じゃないのか?

このときの想いは、実は以前noteにも書いた。

今まで自分が大事だと思っていたものが、握っている手のひらからスルスルと落ちていく。彼との時間を楽しまずして、わたしは何に楽しみを求めていたのだろう。

なのに、どうしてすぐ忘れてしまうのか。私はまた自分のことで頭がいっぱいなりつつあった。

つい先週、半年ぶりに経過観察のCTスキャンを受けた。得体の知れないマシンに入ることを嫌がり、暴れる彼を羽交い締めにするのは夫の役目。

着替え用の個室から検査室へ連れられた長男の泣き叫ぶ声を、遠くで耳にする。

息子の辛そうな姿を見て、母の自覚を取り戻してはいけない。当たり前を、当たり前だと受け取ってはいけない。子どもたちが元気に毎日笑っていてくれること。それが自分にとって何よりも大事なこと。

私は毎朝のように、少しの祈りを込めて長男に聞く。

「ヨーグルト食べる?」

「うん!」

元気な返事にホッとして、またいつもの日常が始まる。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。